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24 島原にて


「ああ? 人間じゃなくて、高札の警護かよ?」

原田は頭を掻きながらあからさまに面倒くさそうな声を出した。土方も苦笑混じりだが近藤は大真面目である。

「左之、ま、そう言うなよ」
「幕命であるぞ。原田君、しっかり頼むぞ」
「……幕府の命令となりゃ仕方ねえから高札の護衛はするけどよ。しかしなぁ……」

幕府の掲げた制札が何者かに再三引き抜かれ、三条河原に投げ棄てられる事件が起こった。高札の内容は未だ長州を朝敵とするものであった。
前月第二次長州征討戦にて苦戦を強いられる中で将軍家茂が病没し、八月二十日には勅許による長州征討の中止の沙汰が出た。
事実上幕軍は敗北、権威の失墜は誰の目にも明らかだった。しかし幕府は威信をかけ、再々度高札を立て新選組にその監視を依頼した。
九月十二日新選組は三十四名を出動させこれを三隊に分け、原田は十二名を率いた。八人の土佐藩士を発見、乱闘となり四人を取り逃がすがかろうじて高札は守られた。この三条制札事件で手柄を立てたと言う事で原田に幕府より褒賞金が出る。
四人も取り逃した結果としては破格の二百両という大金だった。幕府が如何に追い詰められていたかがよく解る出来事である。



原田は上機嫌だった。

「明日は皆で島原に繰り出さねえか。俺の奢りだ。パッとやろうぜ」

懐が潤った原田は大盤振る舞いをすると言い出した。
夕餉の席である。永倉が嬉しげな雄たけびを上げる。

「ほんとかよっ、流石、左之は男前だねぇ。俺ぁ嬉しい!」
「金に糸目つけずに呑めるなんて信じらんねぇ! なあ、千鶴も名前も行くだろ?」
「ああ。みんな纏めて面倒見るぜ」

三人は盛り上がる。

「でも私達なんかが島原に……お酒も呑めないし……」

ねえ、と言うように千鶴が名前を振り向いた。
名前も困惑して箸を止め千鶴を見返す。

「なんだよ、いいじゃねえか。酒が呑めなきゃ料理を食ってればいい。なあ斎藤、いいだろ」

突然話を振られた斎藤はゆっくり顔を上げ原田を見、続いて名前に視線を移した。

「名前は行きたいのか」
「…………」

その声の調子は微かに咎めるような色を持っていて、斎藤と原田の視線を一度に受けた名前が行きたいとも行きたくないとも答えかねていると、局長が話に割って入った。
名前と千鶴に笑顔を向けて「たまには君達も羽を伸ばしてもいいんじゃないか」と言い「局長……」斎藤が言いかけるのを笑顔で制した。

「つねの若い頃の着物が何枚かある。苗字君と雪村君は借りるといい」
「いいんですか?」
「ああ、明日つねには話しておこう」
「千鶴、よかったな!」

平助が笑うと千鶴もうん! と嬉しそうに微笑んだ。
名前は黙ったまま斎藤をちらりと見る。斎藤もちらりと彼女を見返したがもうそれ以上反対はしなかった。



翌日朝から人をやり予め妻の了承を取ってくれていた近藤と共に、二人は夕近くなって近藤の本宅へ向かった。

「よく来ましたね。私には若過ぎてもう着られないから、若いお嬢さんに着てもらえて着物も喜びますよ」
「今日はよろしくお願いします」

千鶴と名前がぺこりと頭を下げる。
近藤の妻つねは無愛想と聞いていたがそんな事はなく、優しく二人を迎え入れてくれた。下働きの女性も一緒に待っていて衣桁にかけた着物を見せてくれた。
千鶴は桃色を基調とした御所解き模様を気に入り選んだ。御所車、檜扇などをあしらった若々しい小袖を選んで髪型も結綿に結ってもらい、着付けが済むとどこから見ても可愛らしいお嬢さんが出来上がった。
秋草模様の納戸縮緬に目を奪われた名前は、翡翠掛かった濃い青色のそれに心魅かれじっと見つめていた。気づいたつねが小袖を衣桁から外すと名前の肩に当てる。

「品のいいこの青色の小袖は貴女によく似合いましょうね」
「奥方様、ありがとうございます」

名前は一目見た時から他の物は目に入らずこの着物が着たいと思っていたので奥方の言葉が嬉しかった。日本髪は少々気恥ずかしく毛流れを縦に前髪に丸みを持たせる髪型に結い上げ、これも女性らしく品よく仕上げてもらった。
つねは満足げに微笑み二人の若い娘を見つめると目を離さないまま夫に言う。

「まあ、品の良いどちらのお嬢様でしょう。旦那様、よくお気を付けになってあげてくださいね。殿方が羽目を外し過ぎたりなさらないように」
「あ、ああ、わかったぞ」

神妙な顔で頷く近藤にさしもの新選組局長も奥方様には形無しなのだと、二人は小さくくすくすと笑った。



暮れ六つの鐘の音を聞くともうそわそわと落ち着かない永倉、平助はとうに出かける準備を済ませていて原田を急かせる。今日は体調のよい沖田も行くつもりだ。
原田は近藤達がまだ戻らないのを気にしていた。

「近藤さんと二人がまだだろ」
「それなら奥方様のところから直接向かうって言っていたよ」
「そうか。なら出かけるか。総司、お前具合は大丈夫なのか?」
「やだなあ、病人扱いしないでよ。大丈夫だよ」

屯所を出ると永倉達はさっさと先を歩いていく。その後ろの総司からやや遅れて歩く斎藤に原田が近寄り声をかける。

「斎藤、お前と一緒に酒を呑むのも随分と久し振りだな」
「ああ」

斎藤は島原に然程興味はないが、名前を行かせ自分が行かぬわけにはと同行する事にした。そうでなくとも左之の仕事を素直に讃えたい気持ちももちろんある。
角屋に上がると松の間に通され早速酒や料理が運ばれてきた。今日は女性も混じる宴会である旨を予め含めてあるので芸妓はまだ呼ばれていない。
程なくして近藤が満面の笑みで座敷に顔を出した。

「やあ、遅れてすまんな」
「待ちくたびれたぜ、近藤さん」

斎藤は腰を浮かしかけたが機先を制し立ち上がった原田と平助に出遅れ、仕方なく腰を下ろす。

「局長、お疲れ様です」
「おお、斎藤君。君が来てるとは珍しいな。あれ、トシはまだか?」
「一仕事済ませてから来るって言ってたけどほんとに来るのかなあの人……。それより近藤さんはこっち」
「総司、お前は酒は駄目だそ」
「わかってますよ」

沖田が近藤を上座に据えた。

「二人とも、さあ早くこっちへ入りなさい」

近藤が後ろに言いながら席に着くと平助も襖の陰の二人に声をかけた。

「何やってんだよ、早く入ってこいよ」

おずおずと入って来た千鶴を見て平助が目を大きくする。

「!? ……おっ、お前千鶴かよ? 別人みてえだ」
「平助君……似合う?」

千鶴が照れながら顔を赤くするのに平助も目いっぱい赤い顔で応える。

「うん、すっげえ似合ってる」

原田が千鶴の更に後ろに首を差し伸ばすようにして名前にも声をかける。

「お前も早く中に……」

が、そこまで言うと口を開けたまま黙って固まった。
斎藤が立ち上がり襖の脇まで歩いて行くと原田と同様、名前の姿に口を開く事も忘れて動きを止めた。時が止まったかのように名前を凝視する。彼女は頬を染め無言で俯いている。局長は満足そうだ。

「皆、驚いているな。我々の屯所にはこんなに綺麗な娘さんが二人もいたとは驚きだろう」
「い、いやあ、二人とも見違えちまったよ。女は化けるってなぁ、本当だな」
「馬子にも衣装ってこのことだよね。あれ、そっちの二人、大丈夫?」

永倉も酒を呑む手を止めて驚き、沖田はにやにやと笑っている。総司のからかうような声にやっと我に返った原田が身体をよけ二人を座敷に通した。

「と、とにかく中入って座れよ、な」
「千鶴はここ来いよ」
「うん」

沖田の隣に戻った平助が自分の反対側、右隣を指す。
その向かいに上座から永倉、原田、斎藤の順で座っていたのだが「新八は千鶴の隣に行け」と原田が永倉を移動させ自分がずれると「名前、お前はここだな」と言って、斎藤と自分の間に名前を座らせた。斎藤がむっとした顔をするのも構わず彼女に酒をすすめ始める。

「せっかく来たんだ。まずは乾杯といこうぜ」

流石に女慣れしている原田はすぐに平常心に戻ったが、斎藤はいつまでも動揺が治まらずいつもよりも早い速度で杯を重ねる。先程は驚きの余り凝視してしまったが隣に座られてしまうと今度は其方を向けなくなった。
近藤を初め沖田に平助、永倉達の方は千鶴を中心に和やかに談笑しながら酒を呑んだり料理をつついている。
斎藤はまたほんの少し隣に目を向けたが直視出来ず直ぐに目を逸らした。初めて出会った日に女の姿を見てはいたが、あの時とはまるで状況が違う。隊務や稽古で男並みの動きをする彼女は怪我で療養していた時期を除けば、いつも袴姿で少年のように高い位置で結った髪をさらりと流していた。今ではそれを見慣れてしまっている。
今日の彼女は優しい形に髪を上げ細く白いうなじを露わにして、青地の着物の襟足が少し抜かれているのも女性らしい。柔らかな身のこなしに白粉がほのかに香って来る。
名前の方も此処に着き斎藤に姿を見られた時から、早い鼓動を打つ自分の心臓の音が耳について落ち着かなかった。時折ちらちらと斎藤に目をやるのだが彼はそっぽを向いて黙々と酒を呑むばかり。気づいてくれないかな……と期待を込めて視線をやっても、右側を見る事さえ困難になってしまっている斎藤は何も気づかずにひたすら酒を呷る。少し寂しい気持ちになって俯くと原田の優しい声が聞こえた。

「しかし、名前は元がいいと思っていたけどよ、女の形をすると驚くほど綺麗になっちまうんだな」

飾り気のない賞賛の言葉にやはり女として素直に嬉しくなり、つい注がれる酒を口元に運ぶ。内心全く面白くない斎藤が顔を上げれば原田は如才なく名前の盃にまた酒を注ごうとしていた。
神経に触る。思わず苛立った声が出てしまう。

「名前、そんなに呑むな」
「……あ、すみません」

名前が運びかけた杯を下ろそうとすると原田の言葉が名前を庇うように続けられた。

「なんだよ、お前だって随分呑んでるじゃねえか。たまには名前だって、な?」

ますます勘に障った斎藤が身体を軽く捻ったその時、腕が名前の肘に触れ彼女の指先から杯がするりと落ち彼の膝に転がってきた。

「…………、」
「ご、ごめんなさい、斎藤さん……、」

少量の酒が彼の着物にほんの僅かな染みを作る。それを見るなり斎藤は情けなくてたまらない気持ちになった。場の雰囲気を壊しているのは自分だと解っている。しかし名前に眼を合わせることも出来ず何も言えないまま、静かに座を立ち座敷を出た。

「斎藤さん?」

すぐさま後を追おうと腰を上げた名前の腕を掴みかけた原田は、引き留めたい衝動に駆られながらもその手を下ろした。黙って行かせるしかない自分の立場に彼は彼で痛みを誤魔化すように一息に杯を空ける。
斎藤は廊下を歩き突き当たりを右へ折れると玄関に向かった。名前の事は気にかかるが、もう帰ろうと考えていた。あれだけの剣客に囲まれているのだ、帰りの心配はないであろう。雪村もいる。
皆が集う宴席で一人抜け出て来る無礼は重々承知の上だが、耐え難かった。激しい自己嫌悪を感じる。

何故、俺は。

名前は眩しい程に綺麗だった。
一言、たった一言だけでも、何故言えないのか。よく似合っている、と。それどころか。
このささくれ立つ感情が取るに足りない嫉妬である事など自分でも疾うに理解している。左之が絡む時はいつも平常心を失いこのどす黒い感情に支配されてしまう。名前を想うあまりに歪む心の切なさに斎藤は一人唇を噛んだ。
先ほど料理を運んできた女中が気づいて、廊下をよぎる斎藤に暖簾越しに声を掛けてきた。

「あら旦那さん、お早いお帰りや思うたら、お一人ですか」
「他の者はまだ座敷で呑んでいる。後を頼む」
「おや、綺麗なお嬢さんがこちらにやってきはりますけど? 旦那さんの事お呼びなんじゃ……あら、旦那さん?」

皆まで聞かずさっさと歩いて行ってしまった斎藤に彼女は苦笑する。

「なんや、痴話喧嘩でもしはったのかな……」

斎藤が雪駄を履き門口まで向かおうと足を進めると、後方から急かせた足音と焦る声が聞こえてきた。

「……さ、斎藤さんっ」

その声に振り向けば名前が小走りに自分に向かってくるのだった。着慣れない小袖の裾さばきに難儀しながら玄関を出ようとしている。斎藤の眼の先で細い身体が傾く。彼女の草履の足がでこぼこした石畳に躓いたのだ。

「……あっ」
「名前っ」

己を追ってきた姿に駆けより彼女を胸に抱き留める。無心にその身体を抱けば心の臓が高く音を立て、それはどちらのものだか解らなくなっていった。

「斎藤さん」
「…………」

斎藤は名前の首元に顔を埋めるようにして言葉もなくその身体を強く抱き締め続けた。ふっと身体の力を抜いた彼女が囁くように言う。

「置いて、行かないでください」
「………すまない」

斎藤の背に名前が遠慮がちに腕を回した。その感触に斎藤の心臓がまた跳ねる。俺はどうしても名前には敵わぬ。彼女の耳に触れた熱い吐息が頬を伝い唇へと触れていく。

「すまなかった……」

重なりかけた唇の隙間で彼女が小さな声で斎藤の名を呼ぶ。

「斎藤さん」
「……?」
「これ、」

少し顔を離して右に顔を傾げた。
左耳の後ろの少し上辺り、艶やかな纏め髪に斎藤が贈ったギヤマンの簪が飾られていた。それは外灯の光を受けて美しく青く光った。

「これは……」
「この簪にこの着物が合うと思って」

だから納戸縮緬を選んだんです、と斎藤の瞳を見つめ花が咲き綻ぶように笑った。堪らない気持ちになる。

「……ああ、綺麗だ。着物も簪もお前によく似合っている」

名前を見つめる。見つめ返す彼女の瞳の中に自分が映っている。先刻までの憂いが氷解していき、溶けだした滴は甘やかな甘露のように胸を満たしてくる。

「綺麗だ、とても」

再び引き合うように顔を寄せ合った二人の影はそのまま長い長い時間重なっていた。



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MATERIAL: ユリ柩 / FOOL LOVERS

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