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22 受け入れてゆく


「あの……斎藤さん?」
「…………」
「駄目ですか?」
「……ふ、風呂に……、お、俺と……?」

激しく動揺して言葉を詰まらせる斎藤に、名前も自分の口走った言葉の意味を改めて考え急に恥ずかしくなる。

「ちっ、違います! 一緒に入るって意味ではなくて……」
「…………」

言葉足らずで彼を誤解させてしまった。名前としては自分で入浴をするが時間がかかりそうなので、出来れば外で待っていて欲しい、と言いたかっただけだったのだ。だが斎藤は名前の否定に即座に異を唱える。

「ひ、一人では洗髪の時に湯が肩にかかってしまう。それはよくないと先生も言っていただろう。だ、だから俺が……」
「でも……」
「に、入浴中に何かあったらどうする、やはり俺が共に中まで行く。でなければ駄目だ」

言い張って一歩も引かない。無論本心から身を案じてくれているとわかってはいる。顔を真っ赤に染めた名前が掬いあげるように斎藤を見ると、彼は更に茹で上がったような顔になった。

「む、無論……っ、俺は邪な考えで言っているのではない。その……湯帷子を着ていれば……いいだろう?」

最後の方は消え入りそうな声で心底心配そうに言われてはそれ以上拒否も出来ない。押し問答の末名前が折れて、結局斎藤の手で髪を洗ってもらう事になった。
江戸時代は火災の懸念から家風呂は少なく皆銭湯を利用していた。洗髪は湯を大量に使う為銭湯では嫌がられる。女性は縁側、勝手の土間、井戸端などに盥を持ち出して洗うのが民間では普通であった。長い髪を洗うのはかなり大変な事で頻度は月に一、二回程度である。
名前にとって幸運だったのは、新選組の屯所が風呂を備え、毎日の入浴洗髪が自由に出来る事だった。それが当たり前の生活習慣を持っていた彼女には、非常に切実な問題だったのだ。
襷掛けをし着物の裾を絡げた斎藤が浴槽の淵に手を掛けた名前の顔を仰向きにさせ、無患子の石鹸を泡立てその髪を洗う。無患子という植物から作られた石鹸はとても貴重で高価だったが、名前は然程多くはない給金からこれだけは惜しみ無く賄った。
斎藤の長い指が名前の髪に差し入れられ、泡立てながら地肌を優しく擦る。細く柔らかく豊かな髪が、彼の指にしっとりと絡み付く。名前に触れる喜びを感じながら丁寧に指を動かす。
彼女はうっとりと瞳を閉じていた。

「あの時は、心臓が止まるかと思った」
「え?」
「お前が斬られた時だ」
「あれは、夢中で……」
「手術を受けた時も、生きた心地がしなかった」
「……心配おかけしてすみません」
「いや、だがまた俺の側にこうしていてくれて、生きていてくれただけで……天に感謝する」
「はい」

斎藤の静かな声が聞こえ髪を洗われる心地よさと相まって眠気を誘う。

「斎藤さんの指、気持ちいい……」
「……そ、そうか」

上気して薄桃色に染まった頬と真っ赤な唇。目を逸らそうにもこうしていれば否応なしに目に入ってしまう白い喉、細い腕の線に……胸元。湿気と汗で薄い湯帷子が肌に張り付いた、名前のいつもと違うなまめかしい姿に斎藤はくらくらとした。
自分から買って出た事ではあるがこれ程の苦行になるとは。気を抜くと反応してしまいそうな自身を斎藤は必死で戒めていた。

「斎藤さん……」
「なんだ」
「私、幸せです」

斎藤の理性で抑えていた劣情が疼く。思わず赤い唇に自分の唇を押し付けた。
閉じていた瞼を上げ瞬間身体を固くした名前に切なげな笑みを向ける。

「怯えなくていい。これ以上はせぬ。……俺はお前を大切にしたいと思っている」
「…………」
「だが俺も男なのだ。煽らないでくれ」

髪に湯を何度もかけて濯ぐと手拭いで包んで拭ってやる。濡れた目で見つめる名前にもう一度、そっと口づけた。

「今は、だ。いつかはお前を、欲しい」
「……斎藤さん」

潤んだ瞳がゆっくりと瞬きをし微かに頷いたように見えた。正直に言えば名前は死番を代わった時、死んでもいいと思っていた。斎藤を愛する事の罪深さに慄きここから再び消えてしまえたら楽になれるのかと。
だが怪我をして改めてこうした彼の愛情を感じ、千鶴を初め皆の思いやりを感じ、此処に居たいと強く望むようになっていた。

「急ぎはせぬ。お前を待つことには慣れている」

斎藤がふ、と笑った。名前も表情を緩める。
今はまだ……。全てを話してしまえないけど、いつか必ず。斎藤さんの誠意に応えたいと彼女は思う。



新緑の頃には無理さえしなければ歩き回る事を許された。だがまだ傷の完治はしていない為、隊務に就く許可は出ない。名前は千鶴の手伝いをしようと思い立つ。とは言っても勝手場へ行けば「駄目ですよ、無理しては。長時間立っていてはよくないです」と追い払われ、洗濯物を干すのを手伝おうとすると「駄目です。腕の上げ下ろしなんて傷に触ります」と、姉と言うよりも母のような千鶴の過保護ぶりなのだ。
これではどちらが歳上か解らない。完全に立場が逆転してしまっている。
いつも凛として男性顔負けの隊士だった名前を、近頃千鶴は可愛らしいとすら思ってしまう。

「何もしないでいては、身体がなまってしまうので」
「なら洗濯物を畳むのを手伝ってください」

名前は顔を綻ばせていそいそと縁に座った。そんな名前をみて千鶴がくすくすと笑う。二人で洗濯物を畳んでいると、土方がやって来た。

「名前、起きてそんな事やってて大丈夫なのか?」
「このくらい大丈夫です。早く隊に復帰したいくらいです」
「馬鹿、無理するな。身体がしっかり元に戻ってからだ。ところで千鶴、ちっと頼まれて欲しいんだが……」

土方から用事を言いつかり千鶴が申し訳なさそうに立ち上がる。

「名前さん、このままにしておいていいですからね。すぐ用事を済ませてきますから」
「これくらいなら私でも出来ます。行ってらっしゃい」

温かい日差しを浴びながら一枚ずつ丁寧に畳んでいると、沖田が庭先からひょっこりとやって来て縁に腰を下ろした。

「もう起きてていいの?」
「沖田さん」

沖田は名前の顔をじっ、と見つめると

「名前ちゃんってなんだか不思議な子だよね」
「……そうですか?」
「あの捕り物の時も、さ。普通怖くて出来ないでしょ、あんな事」
「…………」
「金平糖、食べる?」

沖田が懐から和紙に包まれた金平糖を出す。

「綺麗……」
「でしょ。綺麗だし甘いし、僕、これ大好きなんだ」

畳む手を止め色とりどりの可愛らしい金平糖を一粒つまみ口に入れると、優しい甘さが口に広がる。

「美味しい」

沖田がくすりと笑って「ねえ、君さ、どこから来たの?」と唐突に聞いた。

「ずっと、思っていたんだ。近所からふらっと迷いこんで来たって感じじゃないよね」

斎藤が以前言っていた事を覚えている、沖田は敏い、と。どきりとして沖田を見つめる。が沖田はふぅ、と力を抜いて笑った。

「別に問い詰めるつもりはないよ。君は土方さんにも認められてるようだし、一君とも……ね」

そこまで言って沖田はコホコホと乾いた咳をする。咳がなかなか止まらず苦しそうに背を丸める。「大丈夫ですか」と慌てて背をさするが「触るな」と苦しそうな息の下でぴしりと言われ、驚いて思わず手を離した。

「……移る、から」
「…………、」
「移るんだよ、この咳……」
「私には、移りません」

名前の生まれた時代は当たり前のように幼児期に結核の予防接種を受ける。咳の下から途切れ途切れに喋る背を再び擦る。

「怖く、ないの?」
「怖くありません」
「僕の、病気のこと……知ってるの?」
「知りません」
「君……って……」
「あまり喋らないで」
「やっぱり、変わった子、だよね……。でも、嫌い、じゃないよ」

沖田の咳が治まるまでずっと背を擦り続けた。



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MATERIAL: ユリ柩 / FOOL LOVERS

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