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16 それぞれの想い


季節はすっかり冬になっていた。夏は暑さに参ったが京の冬は底冷えがしてこれもまた厳しい。師走ともなると寒さはいよいよ厳しく、しかしここでは暖を取れるものは火鉢くらいしかない。
夏場に比べ隊士達の朝は少しゆっくりになる。この時期の夜明けは六つ半。名前はそれより半時前の明け六つ、暗いうちから火の気のない中を努力して床から出るようにしていた。入隊以来朝稽古をほとんど休まず続けている。
新選組に来てから、早九ヶ月が経とうとしていた。

「今日も冷えるな………」

朝の空気は身を切るようにきん、と冷たい。
寒さで無駄な力の入る身体を叱咤激励しながら凍てつく井戸を使う。
間もなく斎藤がやって来た。彼が名前を一瞥する。

「早いな。何故そう無理をする」
「おはようございます、組長。私は非力なので少しくらい無理をしないとお役に立てません」
「……以前にも、そう言っていたな」

斎藤には名前の想いは知り得ない。どこかが痛むような目で微かに呟く。
しかしそれはほんの一瞬の事で振り返るその面にはもう感情は現れておらず、静かな厳しい声音で続けた。

「素振りで身体を温め、それから据え物切りを見よう」
「はい」

あの夏の夜以来二人きりでいても、その関係は三番組組長と一介の隊士のそれでしかなくなっていた。斎藤は斎藤でやはり努力で己を律している。だが毎朝居合いの稽古をつけるようになった。名前の方も今の斎藤がどう考えているのか、その胸の裡はもうわからなかった。

「遅い。刀の抜き出し、踏み込み、残心、速さを常に念頭に置け。それでは抜刀前に動きを相手に読まれる」

名前の一文字斬りに斎藤が鋭い視線を当て、的確に指摘を飛ばせば彼女は無言でひたすら応える。

「闇雲に斬るな。刀というのは刃筋を正し理通りに用いれば、必ず斬れるように作られている。もう一度だ」
「はい!」

藁束がすぱりと綺麗な切り口を見せるが、斎藤は納得せずに続けた。

「納刀が遅い。無防備で隙が出来やすい時にそれでは、敵に斬れと言っていると同じだ」
「……はっ!」
「敵は生きた人間だ。藁束のようにお前を待ってなどくれぬぞ」

必要なのは流儀ではなく臨機応変な対応だと斎藤は思っている。名前にはあらゆる状況で対応出来る実戦向きの戦闘手段を教えたい。己の手で守れないのならばせめて、彼女自身の刀が彼女を守るようにと。
半時程も繰り返すと冷気の中でも汗ばんで来る。

「ここまでだ。風邪を引く故、早く着替えてこい」
「はい、ありがとうございました」

ついと斎藤が背を向け足早に去って行くのを、頭を下げて見送る。勝手な事だが寂しくないと言えば嘘になる。
でも、これでいい。嫌われなかっただけましだ、と名前は思った。




「今夜はお蕎麦ですよ」

大晦日。巡察に出る組以外は各々が掃除をしたり、挨拶に回ったりと各自が忙しく動き回っている。
書物の整理をしていた名前の部屋を千鶴が覗いた。
障子戸から顔だけを出した姿が可愛らしく、思わず微笑みかける。

「雪村さんの部屋の掃除は済んだのですか」
「はい! 物がそんなにありませんから」
「お蕎麦の支度、手伝いましょうか?」
「いいんですか? でも苗字さんの片づけは?」
「もう終わります」

江戸時代には月末に蕎麦を食べる三十日蕎麦という慣習があり、十二月三十一日に蕎麦を食べることは特別な事ではない。年越し蕎麦というのはあったが、この頃のそれは節分に食べる蕎麦を指していた。
しかし名前にとってはやはり、年末の風物の一つとして感慨深い。
勝手場で材料を確認しながら千鶴が言った。

「お蕎麦、もう少しあった方がいいでしょうか……」
「これでもかなり量がありますよ?」
「でも、永倉さんとか凄く沢山食べますし……今日、土方さんと斎藤さんはお出かけでお帰りが遅いんです。足りなくなっちゃったら……」

千鶴の言いたい事が解って可笑しくなる。彼女は斎藤の分の蕎麦がなくなってしまう事を心配しているのだ。本当に可愛らしい人だと思う。

「では買い足しに行きましょうか。私も一緒に行きます」
「え、いいんですか」
「何かあれば私がお守りしますよ」

千鶴と連れだって表へ出る。誰にも断りを入れず出ようとしたところ玄関で沖田に出会ったが、彼はいってらっしゃいと間延びした声をかけてあっさりと見逃してくれた。
ぴんと張り詰めた外気は冷たいが清々しい気持ちにさせる。並んで歩きながら千鶴も久々の解放感を味わっているようだった。

「苗字さんて斎藤さんと似てるなって、私ずっと思っていたんです」
「似てる? 私と斎藤組長が?」
「はい。斎藤さんは強くて綺麗で優しい方です。苗字さんも同じです」

そうだろうか? 私には彼のように信念を持った真っ直ぐな生き方など出来ない。私は後ろばかりを見ている。

「雪村さんは、斎藤組長のことを」

言いかければ千鶴の顔が林檎のようにみるみる真っ赤に染まる。

「わかってたんですか」

名前は薄く微笑んで頷いた。ほんの微かに胸の奥がちりりとするが……左胸を押さえ、大丈夫だと自分に言い聞かせる。

「明日は斎藤組長の生れた日ですね」
「え?」
「一言、お祝いを言ってあげたらいかがですか。きっと喜ばれると思います」

数えで皆一斉に歳を取るこの時代、誕生日というものにあまり価値は置かれていなかったが、自分がこの世に生を受けた日を祝われて嫌な気持ちのする人はいないだろう。

「はい、苗字さんありがとうございます!」

その夜子の刻近くになってやっと帰営した土方と斎藤に、彼らの帰りを待っていた千鶴がいそいそと温かい蕎麦を出した。
永倉、原田、藤堂の面々は言うまでもなくすっかり出来上がって広間の隅で騒いでいる。そちらの酒の心配までしながらこんな時間まで休みなくくるくると動き回る千鶴には頭が下がる。
きっといいお嫁さんになるんだろうな。
斎藤さんの。
名前は一抹の寂しさを感じながら彼女を眺めていた。

「土方さん、斎藤さん、お疲れ様でした」
「このような時間まで待たずともよかったのだぞ」
「ああ、千鶴悪かったな。先に休めって言っときゃよかったか」
「大丈夫ですよ。もうすぐ除夜の鐘がなりますし、聴かないと眠れませんし」
「……もうそのような刻限か」

千鶴には鐘の音が聞こえたら斎藤に真っ先に伝えたい事があった。
珍しく皆に混じり酒を呑んでいた土方が、名前に銚子を傾けてくる。そろそろ立ち去ろうと思っていた彼女は一瞬迷うが「大晦日だ。たまにゃお前もいいだろ」と言われ、思い直して受けることにした。

「では、少しだけ……」

誰も気づかない程に密やかな視線が自分を掠めてゆくのを感じる。ほんの僅かだけ目を動かすと、斎藤の視線はまた離れて行った。
自分を誤魔化すのはやり切れない。少しだけ酒の入った名前はやっとの思いで支えている心が折れそうになるのを恐れ、やはり早く部屋に戻らなければと思った。
そんな中で厳かな鐘の音が聞えてくる。


ゴォォォーーーーーーン……


追加の銚子を運んできた千鶴が斎藤の隣に遠慮がちに座った。そして思い切ったように口を切る。

「斎藤さん。あの、お誕生日おめでとうございます」
「誕生日……?」
「今日が斎藤さんの生まれた日と聞いて」
「……ああ、そうだな。ありがとう」

一瞬虚をつかれたような斎藤が次の瞬間柔らかく微笑めば千鶴の顔が赤く染まった。

「私、今年の一番最初にそれを言いたくて」
「なんだ、お前は正月生まれか」
「はい」

土方も赤い顔をしている。彼の方は酒が回った為だ。
聴き付けた三人組が割り込んでくる。

「なんだなんだ? 斎藤の誕生日だってか?」
「おう、おめでとうよ」
「一君、おめでとう!」

皆が口々に言うのに、開きかけた名前の唇からは言葉が出なかった。
ふと上げた視線が斎藤と絡まったのだ。斎藤が真っ直ぐに自分を見ている。彼の瞳に浮かんでいるものは名前と同じく言葉にならない切なさであり痛みのようでもあり、だがそれと知らない名前はそれ以上見つめることが出来ずに思わず睫毛を伏せた。
千鶴は顔を真っ赤にしたまま斎藤を見、尚も何か言いたげにしている。

「斎藤さん、私……あの、」
「なんだ?」

斎藤が静かに千鶴に向き直ったが、千鶴は口ごもる。
すっかり酔った土方だけは場の空気に気づきもせず俺は先に休むぜ、とふらりと広間を出て行った。

「どうした、雪村」
「あの……、斎藤さんの事……私……」
「言いたい事があるのならば、早く言え」
「斎藤、その言い方はないぜ。それじゃ千鶴も言えなくなっちまうだろ」
「何故だ?」
「千鶴はお前の事をだな、す……」
「原田さん!」

千鶴は泣き出しそうになっていた。彼女を見下ろした斎藤が少しだけ瞳を見開く。

「悪りい。他人が言う事じゃなかったな。千鶴、ごめんな」

流石に鈍い斎藤も理解する。何故なら自分も全く同じ事を同じような言葉で、言い淀みながら告げた事がかつてあるからだ。
目をやれば俯く名前の姿が視界に入り、彼は困惑の表情を浮かべる。名前の方はその場に居たたまれない気持ちになった。そっと立ち上がり静かに広間を出てゆく。
その姿を目で追い腰を浮かせた斎藤の二の腕がふいに強い力で掴まれた。掴んだのは原田で、彼は斎藤にだけ聞こえる声で耳元に言う。そこには有無を言わせぬ響きがあった。

「行くなよ。千鶴をそのままにしておくつもりか? そりゃあ酷だろ?」
「…………」

諦めたように斎藤が身体の力を抜けば、原田も手を離した。そうして斎藤の代わりとでも言うように立ち上がる。

「悪く思うなよ?」

言い残して原田が出て行く。
彼は間違いなく名前の後を追うのだろう。斎藤は苦い思いを噛み締めるばかりだった。



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MATERIAL: ユリ柩 / FOOL LOVERS

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