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14 交錯する恋心


健康診断後良順先生の指導のもと整えられた設備の中で、千鶴とそして密かに名前にとって最も有難かったのは風呂だった。以前は幹部も平隊士も一緒くたで、入浴はいつも遅い時間になった。誰か入って来るのではとビクビクしながらでは、湯に浸かるどころではない。名前に至っては千鶴の後にこっそり入るわけで時刻は深夜に及んだ。
浴槽が三基に増えてからは二基を平隊士が使い、もう一基は出入口も別にして幹部だけが使うようにしたので、ゆっくり入れるようになったのだ。
名前は千鶴が出たのを見計らい浴室に入った。
その日は特に蒸し暑い夜で、四つ半になると言うのに暑さが引かない。京は盆地という土地柄から風が少なく、海がないので夜になっても気温が下らず、夏の暑さは耐え難いものがある。
このような気候に慣れない名前にとっては殊更に辛かった。湯上がりに着物を着込むことが出来ず、薄手の綿の湯帷子のまま脱衣所でしばらく団扇を使い熱を冷ましていた。
そこへ外からガヤガヤと人声が聞こえてきたのだった。

「本当なんです! 誰かいるんじゃないでしょうか?カタって音がして……」

千鶴の声だった。
続いて藤堂と原田の声も聞こえる。

「千鶴の空耳なんじゃねえの?」
「本当です、聞こえたんです」
「気のせいだろ。こんな時間、風呂に人なんか」

名前は狼狽した。声と足音がどんどん近付いてくる。だだっ広いだけで隠れる物など何もない脱衣所で、身体の線が出るような姿でいるのだ。

「猫でも入り込んだか?」

がらり。

「!!」
「!?」

声と共に大きな音を立てて引き戸が開けられた。
咄嗟にどうしていいかわからずその場にしゃがみ込んだ。
原田と目が合う。彼は狼狽えて完全に固まっている。
千鶴が背後に近付き、覗こうとするのを原田が焦って遮った。

「くっ、来るな、千鶴!」

湯上りの汗がまだ引かない身体に綿の浴衣を張りつかせた名前の姿は、華奢な身体の線がはっきり見えて隠しようのない色香を放っていた。濡れ髪からしたたる滴が肩を濡らし、肌の色が透けて見える。
原田は激しく動揺し逸らした目を不自然に泳がせた。

「原田さん? どうし……」
「なっ、何でもねえ、大丈夫だ、名前だ……、おっ、お前こんな時間に風呂なのか?」
「なんだよ、名前だったのかよぉ……って、ええええぇっ!?」

続いて覗こうとした藤堂も慌てふためく。

「ばっ馬鹿! 平助見るなっ! 千鶴も覗くなっ!」
「はっ、はい! すみません!」
「さっ、左之さんだって見るなよっ!」

未だに名前を男性と認識している千鶴は別の意味で動揺しており、明らかに挙動不審な原田や藤堂の態度に気づいていない。

「千鶴、問題ないからお前、もう部屋に帰れ」

はい! と顔を真っ赤にした千鶴は駆けて行った。

「名前、悪かった。わざとじゃねえんだ」
「はい……」

突然の出来事に蹲り何も言えずにいた名前はやっと小さく答えた。原田は顔を向こうへ向けたまま、戸をがらりと閉めた。
嵐のような騒ぎが去ると羞恥よりもむしろ可笑しさがやってきて思わず笑ってしまった。いつも余裕綽々といった感じの原田が、あんなに度を失うところを初めて見たからだ。
すっかり汗も引いたので、着物と袴を身に着けると脱衣所を出る。部屋に向かって少し歩けば、勝手場の近くに原田が立っていた。

「原田さん……」

原田はきまり悪そうに、湯呑みに入った湯ざましを差し出した。

「あ、ありがとうございます」
「さっきは悪かったな……お前がこんな時間に風呂を使ってるとは、知らなかったからよ」

面映ゆく見つめてくるのにクスリと微笑み返す。
原田は安堵の表情を浮かべた。

「もう、口を利いてもらえねえかと思ったぜ」
「そんな事、ありませんよ」
「安心した。それにしても千鶴の後だとこんなに遅くなるんだな。これからは俺が見張りに立ってやろうか?」
「そんな、悪いです」
「悪かねえよ、心配だしな」
「え? 心配って」
「いや……気にするな、とにかく……」

その時だった。

「何をしている」

低く押し殺した声が聞こえた。原田と名前がほぼ同時に顔を向けると、眉を寄せた斎藤がそこに立っていた。

「おう、斎藤じゃねえか。こんな時間にどうした、酒でも取りに来たか?」

笑顔を見せる原田を無視し名前を見据える。

「何をしていると聞いている」
「……斎藤さん……あの……」

斎藤は大股で名前に近寄ると彼女の肩を強く掴み、原田から奪い取るように引き寄せた。原田の顔から笑みが消える。

「何もしてねえよ。ちょっと風呂でな」
「風呂で?」
「千鶴が勘違いしてな、名前がいたんだが……、知らずに俺が戸を開けちまって」

名前の身体を掴む手に痛いほどの力が加わり、蒼い双眸が原田に向けられた。

「みっ、見ちゃいねえよ、浴衣を着ていたし」

浴衣と言っても下着のように薄い湯帷子の事である。

「あ、あの、斎藤さん、これは事故で、」
「事故ならばお前は男に身体を見られても構わぬのか」

名前が息を飲む。斎藤の声は凍りつくように冷えていて、その瞳は明らかな不快感を顕にした。取り成そうとする原田にも耳を貸さない。
言葉が継げず名前は押し黙るしかなかった。

「おい、どうしたんだよ? 名前が困ってるじゃねえか」

刺すような視線で睨みつける斎藤の目を、原田が射るように見返した。そして低くゆっくりとした声で言った。

「……なあ、斎藤。お前何の権利があるんだ?」
「何?」
「そうやって名前を自分のものみてえに扱う権利が、お前にあるのかって聞いてるんだよ」

斎藤が顔を歪める。
そして……しばらくの沈黙の後、名前から手を離し踵を返した。

「斎藤さん……!」

権利だと? そんなもの、あるわけがない。
左之の低い声に横面を張られたような思いがした。
あの夜少しだけ名前の心に触れられたと思ったが、それは自惚れに過ぎなかった。彼女から何一つ答えをもらってはいない。彼女は誰のものでもない。己のもののように振舞うなど僭越に過ぎるのは端からわかっている。
だが左之と名前が共にいるところを見る事だけは、どうしても耐えがたいのだ。理由は考えるまでもない。

左之も恐らく名前に惚れているからだ。

原田は斎藤との間で幾度か軋轢があった事で、かえって名前を意識していく。男並みに隊務をこなしながらふと見せる笑顔や仕草に惹かれ始めていたのは、否定出来ない事実だった。
だが女心を読むのに長けている彼は、彼女の目が誰を見ているかなど、とうに知っていた。

あいつはお前しか見ちゃいねえよ、斎藤。



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MATERIAL: ユリ柩 / FOOL LOVERS

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