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12 近づけぬ距離


千鶴は自室で繕い物をしていた。実戦に持ち込まれ縺れれば着用している隊服はすぐに傷んでしまう。
本日巡察に出ている組以外の隊服の綻びを一枚ずつ繕っていく。

「あっ、これ、斎藤さんの」

彼は現在大坂出張中だという話である。もう五日程になる。いつ帰ってくるのかな……と考えながら、斎藤の隊服を手に取る。几帳面な彼らしく比較的傷みは少ないが、それでも所々切れたり磨れたりしている。千鶴は数少ない綻びの場所を記憶していた。
大切そうに針を運びながら、これを着た斎藤と二人で過ごした短いひとときを思い出す。あの時は苗字が気を利かせてくれたおかげで、幸せな気持ちで小間物屋を見て回った。
斎藤さんは何だか居心地が悪そうだったけど……。
だって普通男の人は雑貨なんかに興味ないものね。
ふふっ、と笑みを漏らしてからもう一つの事を思い出した。
あの時。
斎藤がじっと見つめていた青い簪。とても綺麗な品だった。買うのかと尋ねれば否、と答えたが真剣な面持ちで彼は長い間それを見ていた。
千鶴の顔が少し曇る。まさか斎藤さんが私に、などと思う程千鶴は自惚れた性格ではない。
斎藤さんにはもしかして想う方がいるのかな……。
斎藤は非番の日も無用に外を出歩く事は少ない。何かしら隊の仕事をしていたり、自身の鍛練や撃剣指南をしていて、交際している女性がいるようにはあまり見えなかった。永倉達のように花町に出掛ける事もほとんどない。
新選組では、幹部以上になると別宅や妾宅を持つことが許されるが、実際に別宅を持っているのは近藤局長だけである。

斎藤さんはいつも屯所で生活しているし。

やはり彼に恋仲がいるなどとは考えにくい。
あの青い簪はとても美しい品だった。ただ綺麗だから見ていたのかな。きっと、そうだよね。確かに綺麗だったもの。
千鶴は一度きゅっと目を瞑り前向きに気持ちを切り替えると、止まりかけていた手をまた忙しく動かし始めた。



繕い物を片付け各々の組長の部屋に運ぼうと歩いていくと沖田に出会った。健康診断の日に良順先生との会話を聞いてしまい、あれ以来内心気に懸かっていた。しかし見たところ沖田の調子は悪そうではなく一見とても元気そうだ。

「あれ、千鶴ちゃん」
「沖田さん、具合はもういいんですか」
「え? ああ、二条城の時のこと? あれは単なる風邪だよ。土方さんが大げさに言っただけ。あんなのとっくに治ってるよ」
「そうですか。それならいいんですけど」

千鶴は曖昧な微笑を浮かべた。

「それよりさ、近藤さんがね、凄い物を持ってきたんだ」
「なんですか?」
「奥方の所からさっき戻ってきたんだけど、メバルだって」
「メバルって高級な魚じゃないですか」

池田屋以降会津からの扶持も増え壬生時代よりは食生活も格段に良くなってはいたが、それでも通常は魚と言えばめざし、良くて鯵くらいである。

「ご馳走ですね。皆さん喜びますよ」
「今の時期は傷み易いから早く料理しないとね。今日は僕も手伝うよ」
「はい!」

いつになく楽しそうな沖田に千鶴も嬉しくなる。
早速沖田と共に勝手場に向かった。



三番組、六番組が巡察からぞろぞろと帰営した。
不逞浪士と遭遇した程度でこの日も特に大きな事件もなく、比較的早い時刻だった。

「お疲れ様だったね。私は副長に報告に行くから、皆はしばらくゆっくりするといい」
「お疲れ様でした」

源さんに挨拶をし名前は汗ばんだ身体を拭う為に井戸で水を汲み自室に戻った。身体を清潔にして廊下に出ると、副長の部屋から出てきた源さんと再び出くわす。

「斎藤君が戻ったようだよ」

源さんが穏やかに微笑みながら短く伝えてくれて、それを聞くなり彼女の胸がどきり、と跳ねた。



「これは凄い。平野酒と言えば太閤様が醍醐の花見に呑んだと言う高級な酒じゃないか」

夕刻近い勝手場に近藤局長の豪快な笑い声が響く。
任務の報告を終えた斎藤が勝手場にやってきて、大坂土産として持ち帰った酒を出すと、局長は相好を崩して喜んだ。

「沢山ではありませんが、皆で少しずつでも、と」
「いやいや、斎藤君充分だよ。任務ご苦労だった。今夜はこの美味い酒と肴で、君が無事戻った祝いの宴にしようじゃないか」
「恐れ入ります」
「真桑瓜があるから漬け物にしよう。いつも沢庵ばかりで飽きちゃったからね」

沖田も珍しく弾んだ声を上げている。近藤は魚以外にも夏野菜を沢山持って来ていた。

「それじゃ、私この茄子で田楽を作りますね」
「俺も手伝おう」
「これは楽しみだな、皆頼んだぞ」
「任せてよ、近藤さん」

近藤が勝手場を出ていきかけて「おお、苗字君じゃないか」と声を上げる。後方から聞こえるそれに皆が一斉に振り向いた。

「……あの、手伝いをと思ったのですが、」
「ありがとうございます。でも今日は大丈夫みたいです。斎藤さんも沖田さんもいてくれますし、苗字さんはゆっくりなさっててください」
「手伝ってほしいけど四人だとここ、少し狭いかな」

入り口に立ち尽くす名前に千鶴が無邪気に言い、沖田も苦笑する。
斎藤は物言いたげな目で名前を見つめた。名前もその目を見返す。二人の視線が交わるのはそれぞれが想いを自覚してからは初めてだった。
だがそれはほんの刹那のことで、名前がすっと目を逸らす。「ではお言葉に甘えます」と足を引き、踵を返した。

「苗字」

名前は応えず、つい足を浮かせかけた斎藤もそこから動く事は出来なかった。

「どうしたの、一君? お湯がぐらぐら沸騰してるけど」
「斎藤さん、メバルを捌くのお願いできますか」
「あ、ああ」

何も気づかない二人が屈託なくかける声に、引き留められている気になったからだ。心は後方に消えた名前に占められたままに斎藤は黙りこむ。
沖田や千鶴が話し掛けるのにも、生返事しか返せずに手を動かした。

俺はいつでも名前の後ろ姿しか見ることが出来ぬのか。

千鶴は斎藤の横顔にちらちらと視線を走らせながら、さっきまで楽しそうだったのにどうして急に不機嫌になっちゃったのかな……と悲しい気持ちになるのだった。



自室に戻る名前の頭からは千鶴と斎藤の並ぶ姿が離れない。
幸せそうな千鶴の笑顔が守られるならそれでいいのだ、最初からそう考えていたんじゃないかと、無理矢理に自分に言い聞かせる。



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MATERIAL: ユリ柩 / FOOL LOVERS

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