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09 痛む心


梅雨の晴れ間の日差しが眩しく降り注ぐ。夏の匂いがしていた。三番組の巡察にその日千鶴が同行した。
時折土方の遣いで外に出る事もある千鶴だが、やはり巡察に連れて行って貰えるのは嬉しい。隊務なのだから不謹慎だとは思うが、街並みを眺めたり通りすがりの店などをちらりと見るのが楽しいのだ。
そして斎藤が共にいる。

「雪村、無理をするな。何かあったらすぐに言え」
「はい! ありがとうございます!」

気にかけてくれた事が嬉しくて元気に返事をしてしまう。
斎藤は名前の名も付け加えたかったが、先日来真っ直ぐに彼女を見る事がどうも出来なくなっていた。名前の方は表情を変えずに黙って左右に目を走らせている。
その生真面目な眼差しを綻ばせ花が咲くような笑顔を作って見せたのは自分ではなく左之だった。
あの時の光景が甦っては針のようにちくりと心臓を刺す。

俺は隊務中に何を考えている。

振り切るように小さく頭を振る。この仕草が近頃増えている事に彼自身はまるで気づいていなかった。見咎めた伍長の島田魁が気遣って問うてくる。

「どうかされましたか、ご気分でも」
「いや、問題ない」

晴れ渡った空の下、少し湿気と暑さを感じる以外は快適で、これと言った問題もなく全隊が長閑な雰囲気に包まれていた。



町家に入る頃、すぐ後ろを歩いていた名前が遅れたようだった。
千鶴の呼び掛けが聞こえる。

「苗字さん?」
「いえ、失礼しました」

小走りに元の位置に戻る気配がする。

「今、あのお店を見ていました?」
「いえ、別に」
「私も気になってたんです。どんな物が売ってるのかなって」
「…………」
「もしかして苗字さん、誰か贈り物をしたい方がいらっしゃるんですか?」
「そのような事はありません」

目立たぬように後ろを伺うと千鶴が目を向けた方向には小間物屋があった。やり取りを聞きながら斎藤は名前が女子である事を改めて強く意識する。
雪村もそうだが年頃の娘が可惜若く綺麗な時期を、男の形をし男として過ごしているのだ。本来ならば簪や櫛や紅などを使いその身を飾っていた筈である。
名前の着物姿を思い出す。あの時彼女は目を閉じていたが、艶やかな緋色が白い頬によく映えていた。

「苗字」
「はい」
「少しならば……、」
「はい?」
「一通り巡察を終えた後に、見ていくといい」

斎藤は前を向いたまま名前の顔を見ずに言った。
名前は驚いて斎藤の背を見上げるが、すぐに俯いた。

「……いいえ。贈り物をしたい人はおりませんので、結構です」

それは斎藤の耳には酷く寂しそうに聞こえた。
回りには大勢の隊士がいる。性別を隠すということに忠実に飽くまでも男性としての発言をしているのだろうかと思う。それは考えすぎるあまりの思い過ごしかもしれなかったが痛々しく感じる。しかしそれ以上強要する事は出来ず斎藤は黙り込んだ。
帰途再び店の前を通り掛かるが、名前の様子を伺えば見向きもせず無表情に歩いている。すると千鶴が遠慮がちに言った。

「あの、少しだけ、お店を見てもいいでしょうか」

斎藤は刹那返答に迷った。

「組長。見せてあげてください。雪村さんは日頃自由に出歩けないのですから」
「しかし……」

お前は、と言おうとするのを制し名前が言葉を続ける。

「私達は先に帰営します」
「…………、」
「伍長もいらっしゃいますし、大丈夫です」
「斎藤組長、苗字君の言う通りです。充分に注意して戻りますから」

島田が人のよい顔に笑みを浮かべ、千鶴は嬉しそうに笑った。

「ありがとうございます!」
「では雪村さん、組長もお気をつけて」

それだけを言うと名前はさっと背を向け歩き出す。斎藤は返す言葉もないまま。二人の間に流れた形容出来ない重苦しい空気に気付く者は誰もない。

「斎藤さん?」

千鶴が呼び掛けるのも耳に入らず斎藤は名前の背を思い詰めたように見つめていた。これ以上近寄ることを許さぬとでも言うような後ろ姿。また胸に微かな痛みを覚える。
彼女は一度も振り返らなかった。



地面を踏み締めるようにしながら、名前は真っ直ぐ前を向いて歩いた。

「雪村君はやはり女子ですね、嬉しそうな顔をして。苗字君は見なくてもよかったのですか」
「はい……」

島田が気さくに話しかけてくるが上の空だった。
島田は監察方として副長付きの仕事もする。そのため幹部と同様に名前の事情は承知していた。
名前は胸が塞がれたような思いがしている。櫛や簪を見られないことが辛いわけではない。
千鶴の幸せそうな笑顔。寄り添う斎藤。
それらがどういうわけか心を締め付けてくるのだ。

どうして。私は千鶴ちゃんの思いの成就を願っていたはずじゃないか。それなのに何故こんなに苦しいの?

名前は唇をきつく引き結び、黙って屯所への帰路を歩いた。



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MATERIAL: ユリ柩 / FOOL LOVERS

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