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06 健康診断


将軍警護から間もなくの五月末日。医師松本良順による健康診断が行われた。総勢百七十名程の人数でありまた日常の隊務とかけ離れた行事でもあった為、がやがやと大変な騒ぎである。
傷を見せ合って笑い合ったり自慢し合う隊士達。筋肉を見せびらかす永倉を初め、幹部達さえもどこか浮き立っていた。

「ふんッ! どうすか、剣術一筋で鍛えに鍛えたこの身体!」
「新ぱっつぁんの場合身体は頑丈だもん。診てもらうのは頭の方だよなー」
「申し分ない健康体だ。はい次」
「ちょ! 先生、もっとよく見てくれよ!」
「新八、後ろがつかえてるんだからさっさと終わらせろ」
「診察は診てもらうものであって見せつけるものではない。早くどけ」

笑う平助に呆れる原田と斎藤。そして伊東甲子太郎は喚く。

「冗談じゃありませんよ! あのハゲ坊主! 私の服を無理矢理脱がそうとするなんて!」

騒ぎを余所に名前が所在なく廊下に佇んでいると、ぷりぷりしながら出てきた伊東に見咎められた。

「あら、あなたは診てもらわないの?」
「私は……」

そこへ助け船を出すように「名前、ちっと来い」
と呼ぶ土方が現れ、伊東には会釈をして慌ててその場を離れる。

「伊東さんだけは信用がおけねえ。お前の事はあの人には言ってねえんだ。診察は全隊士が終わってからだ」
「はい」
「それで……だな。今後の事だが、何か思い出した事はあるか」
「……いいえ、何も」

俯いて僅かの逡巡の末答える。土方は名前をじっと見つめていたがそれ以上の詮索はせず「そうか、まあいい。お前はこれからどうする?」と聞いた。顔を上げると思いがけず穏やかな表情をしている。

「ずっとここにいるか?」
「いても、いいのでしょうか」
「構わねえよ。実際、お前はよくやってるようだしな。斎藤の覚えも目出度いようじゃねえか」
「え?」

土方はこほん、と一つ咳払いをして

「まあ、とにかくだ、これからもよろしく頼む。松本先生には言い含めてある。ちゃんと診てもらえ」
「はい。ありがとうございます」



将軍侍医を務め上洛の共についてきていた松本良順は、会津藩下で活動する新選組の局長近藤勇が壬生浪士組を結成した頃から親交があった縁で、今回の検診が実施される事となった。
一方、千鶴は良順に近づきたくて気が急いていた。半裸の男達が溢れかえる広間に入れずにいたが、医師が良順と知り今度こそ父の行方が解かると思った。本来父を捜す為遥々江戸から単身出てきた千鶴である。父と旧知の彼こそが行方を知る鍵だと思ったのだ。
一段落ついた良順と向き合えた千鶴は、しかし落胆するしかないのだった。父の行方は良順も知ってはいなかった。でもいつかはきっと見つかる筈、希望を捨ててはいない。ここの生活にも慣れたし、隊士の皆もよくしてくれる。それに。
何よりも秘めた思いが千鶴の心を励ましていた。まだしばらくここにいたいとむしろ自らで望んでいた。



診察が全て終わってみると病人は七十名近くもの人数に上った。食傷、梅毒に罹っている者もおり、風邪も含めると全隊士中実に三分の一が病気という状態である。
見かねた良順は近藤、土方に病人の療養についてまた屯所の清掃、風呂の事等を細かく指導して帰った。翌日は屯所挙げての大掃除となる。
再度訪れた良順が点検すると病室も用意され、浴槽は三個も整備されていた。

「ほう、見事だな」
「兵は拙速を貴ぶと言う事です、先生」

彼の手配でそれらが速やかに整えられた事に舌を巻き、眼前で不敵に笑う土方のその統率力と行動力に良順は無条件に感心した。
千鶴も朝から皆と共に忙しく立ち働いた。すっかり清潔になった廊下を気分よく歩いていると、階に座りぼんやりと外を眺める名前の姿があった。

「あ、苗字さん…」

振り向く名前は一瞬固い表情を見せたが、次に薄く微笑んだ。

「何を見ているんですか」
「いいえ、特に。風に吹かれていただけです」

名前は思いの外高く澄んだ声をしていた。近づいてはならぬと言われてはいたが、千鶴はその中性的な魅力に興味を引かれてしまう。隊務の時に斎藤が常に側に置いている事も興味の対象となっていたのかも知れない。
自然と隣に腰を下ろすが、名前は何も言わない。横目でそっと伺う。こんなに近くで見たのは初めてだが、見れば見る程綺麗な人だと思う。

男の人にしておくのが惜しいくらい。

しかし剣の扱いはかなり上手いと平助が言ったのを聞いた事がある。本当に斎藤とよく似た雰囲気を持つ人だと思った。
そうしてしばらく黙って並んでいた二人の目に、松本良順と沖田総司が肩を並べ歩いていく姿が映った。

「あれ、沖田さん?」

良順は深刻な顔をしていたが、沖田は薄ら笑いを浮かべていた。何か胸騒ぎがした千鶴は立ち上がり、階を降りた。振り返って見れば名前も無言で立ち上がる。尾行紛いに二人は後をつけていった。
沖田と良順は歩きながら何かを話し合っている。建物の陰に隠れるようにして様子を伺っていると、断片的に声が聞こえてきた。

「……自分の身体……ですからね……」
「……気づいて……」

沖田は笑っている。前後は解らないが部分的に聞こえてくる。そこに何かしら切迫したものがあることだけは解った。
更に歩を進めようとする千鶴の肩を「これ以上寄ってはいけません」と名前が軽く引いた。その時耳に飛び込んできた言葉に千鶴は驚愕する。

「……老咳……」

ぶるぶると震え声が漏れそうになる千鶴の口が背後から突然塞がれた。

「静かにしていろ」
「……う?」
「そのまま動くな。総司は気配に敏感だ」

名前も驚いて千鶴の口に手を当てている斎藤を見る。とても口を挟むことのできない厳しい表情をしていた。
間もなくして沖田達が立ち去ると山崎が姿を現した。斎藤が千鶴から手を離しやっと物腰を和らげる。

「不躾な事をした」
「い、いいえ、私こそ。斎藤さんが止めてくれなかったら大きな声を上げてしまってました」
「この事は他言無用に頼む。聞かなかった事にしてほしい」
「それって……、忘れろって事ですか?」
「総司の事は此方で対処する」
「沖田さん程の人の病が内外に知れる事は問題があるのです」

山崎の鋭い視線と強い口調にやはり自分は部外者扱いかと千鶴は寂しく感じた。
黙り込む名前はその時全く別の事を考えていた。労咳とは肺結核の事であり有効な抗生剤を投与する事により、若い沖田であれば一年程の治療で治癒する事の出来る病気なのだ。ただしそれは百四十数年後の世ならば、である。

考え込むその横顔を斎藤は複雑な思いで見つめた。



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MATERIAL: ユリ柩 / FOOL LOVERS

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