斎藤先輩とわたし | ナノ
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act:18 原始的に帰属する 後編


「なまえ」
「あと少し……待ってくださいね」

キッチンで洗い物をする私に、リビングにいるはじめさんの視線が注がれていた。
時間をかけて丁寧に食器を洗い拭き上げて収納しながら、他に磨くところはないかななんて思うけれども、このキッチンときたらワークトップは言うに及ばず、壁にも床にも汚れが見当たらない。
私がお鍋を吹きこぼしたビルトインコンロのガラストップはスルスルッと拭くだけで元通り、カビ防止加工をされてる流しの水栓も排水口もピカピカで軽くスポンジで洗うそばからシンクはカラッと乾き始める。
もっともこんなふうに気を使ってキッチンを使ったのは初めてだ。

「うーむ……」

整然と食器の収まる棚からグラスを取りつつ、ふと自分のアパートの狭いキッチン風景が浮かぶが慌てて頭から追いやる。
因みにこの部屋はキッチンだけでなくリビングの床にだって塵一つ落ちていない。ここの正規住人であるはじめさんが常日頃から清潔を保っているからだ。私にこんなことが出来るのかな。
これって……確実に死亡フラグ? もしもこの私がほんとにはじめさんと結婚したとすれば……。

「なまえ」
「肘、痛みますよね。今、薬のお水を、」
「痛まぬ。薬はいらん」

言ってる場合じゃない。もう時間を稼げそうにない。私は諦めて、水を入れようしたグラスをワークトップのトレイに置いた。
はじめさんは物言いたげな顔で真っ直ぐにこっちを見ている。

「まだかかるか」
「……終わりました」
「ならば、ここへ」

つけておいたテレビはもう消されているし、さっきまで彼が片手で操作してた仕事用のノートPCもとっくに閉じられている。
ソファーにいるはじめさんは、焦れたように自分の右隣の座面を軽く二度叩いて、ここに座れと言っている。

「なまえ」
「…………ハイ」

はじめさんといることが嫌なわけじゃ決してない。彼のことはもちろん大好きだし、精一杯お世話をする決意は一ミリも揺らいでいない。
だけど……なんというか、彼のとなりにのほほんと座っているといたたまれない気持ちになってしまうのである。だって彼の腕をこんなにしてしまったのは私なんだもの。
しぶしぶとそばまで行けば彼は自由になる右手で私の手を引く。

「ひゃ……っ」
「なんだ」
「いえ、別に……」
「少し落ち着け」
「だって家政婦ですから……他に何かすることがないかと」
「あんたを家政婦などと考えていない」
「いえ、せめてものお詫びに……」
「詫びる必要もない。いつものようにしていろと言っただろう」
「でも……」

隣に腰掛けた私を見てはじめさんは一度黙り、ややしてから言った。

「風呂に入りたい」

え。
お風呂。
……やっぱり?
ごくりと喉が鳴る。
そうですよね。そう来ると思ってた。この季節だし、いくら涼し気なはじめさんだって汗くらいかきますよね。私だってほんとはすぐにお風呂に入りたい気分です。(私の場合は昨日から入ってないんだし)

「でも……今日の今日でお湯に浸かるのはちょっと……」
「このままでは不快だ」
「ですよね。それじゃ、あの、身体を拭くんじゃダメですか」
「せめてシャワーを浴びさせてくれ」
「……わかりました」

私はほんの少しの逡巡の後、心を決めてバスルームに赴く。私のいたたまれなさの理由は、このあたりにあるのかも知れない。言葉ではうまく説明がしにくいけれど。
タオルの用意やその他いろいろを準備して戻れば、はじめさんはソファーに背を預けて軽く上向き加減に目を瞑っていた。その横顔はいつに変わらず端麗だ。

「はじめさん、服……」
「ああ」

彼は目を開けて片手でシャツを脱ぐ。タンクトップは脱ぎにくそうなので私も手伝う。
それを脱がせてしまえば現れる裸の上半身。ギプスをされた片腕は痛々しいものの、程よく筋肉質な逞しい彼の身体はやっぱり眩しい。着衣の時は細身に見えるのに脱いだらこうなのだ。
パンツのジッパーを右手だけで下ろすはじめさんの左腕に、薄目(そして涙目)になった私がそっと防水のキャストカバーをセットする。
そんな私を見て吐息で笑ったはじめさんだけど、それも済むとさっさと立ち上がりすたすたと浴室に向かって歩いて行ってしまった。
私は彼の脱いだものを抱え、慌てて後を追い脱衣室の洗濯バスケットに入れる。
ボクサーパンツに手をかけていた彼は振り返って、所在なく佇む私の顔を見ると少し目を見開いた。

「何故まだいるのだ」
「へ? だって、介助を……」
「まさか共に入る気か」
「…………」
「そのように必死な形相で」
「………え」

思わずすぐ脇の洗面台の鏡を覗けば、私の顔は強張って目も血走っている。必死過ぎて確かにちょっと怖い。

「シャワーくらい独りで浴びられる」

顔を戻し向こうを向いてボクサーを器用に脱いだはじめさんが、浴室に一歩足を入れた。
(見まいと思ったのにチラリと、だがしっかりと)横目で見てしまったのは滑らかな筋肉の隆起する背から引き締まった腰に形のいいお尻と長い脚。確かめなくても自分の顔面が瞬時に発火したのがよくわかる。
彼とは恋人としての付き合いも長くなったし、身体を重ねたことだって数え切れないし、お風呂だって何度か一緒に入っている。近い将来には結婚だって多分しちゃう。(かもしれない)
それなのに、それなのに、湧き上がるこの恥ずかしさは一体何なんだろう。

「入るつもりならばあんたも脱げ」
「え! それは」
「入らぬのなら向こうで待っていろ」
「…………」

ぱたん、とドアは閉じられ、続いてシャワーの水音が聞こえてくる。私は立ち尽くしたままどうすればいいのかと悩んでいた。
このドアの向こうでは、はじめさんが慣れない片腕で身体を洗ったりシャンプーをしようとしている。原因を作った私がそれを放置して良いのだろうか。
いや、良いわけがない。

「はじめさんっ、やっぱり私が!」

一度閉じられたドアを思い切り開ければ、シャワーコックを右手で掴み頭からお湯を被った文字どおり水も滴る全裸のイケメンが、普段の五割増しの色気を纏う濡れた目でゆっくりと振り向いた。
ああ、今わかった。
この時になってやっとはっきりと理解した。お風呂に至るまでのいたたまれなさや恥ずかしさの理由はやはりこれだったのだ。




バスチェアに座らされた俺の首筋から背を、なまえの手がおずおずとした動きで撫でるように泡立てていた。一度決めたら聞かない性格であると知ってはいたが、この状況に俺はいささか参っている。彼女の手の触れるそばからぞくりとした何かが身の裡に這いのぼる。
腕の一本ごとき折れたところでこのようにされれば、タオルを被せた足の間のそいつとて大人しくしているわけにはいかぬようだ。先程から堪え性なく主張を強めるばかりであった。
幾度も上下するように撫でていたなまえの手は腰のあたりからまた上へと上がり、肩から前へと回されて胸まで到達する。先程から妙な刺激を受けて尖った粒に煽情的な指先が触れた。
流石に勘弁してくれ。

「もういい」

言葉で止めても聞き入れず、胸から更に下へとおりていこうとする手を「やめろ」と右手で掴めば、なまえはびくりとして動きを止めた。

「でも……、」
「なまえの服が濡れるだろう。部屋に戻れ」
「私の服なんて」
「もういいと言っている」
「そ、それなら次はシャンプーでも」

俺の考えを理解していないなまえには引くつもりがなさそうだ。彼女は掴まれていない方の手をボトルラックに伸ばす。
今朝の一連の出来事に責任を感じているだろうことは容易に想像がつくが、俺にしてみれば遠因となったのが己の行動であるとの自覚がある。そもそもなまえが俺に対してしたことに俺自身は一切腹を立てていない。
片腕が動かないのは少々難ではあるが、現在のところ忙しい仕事を抱えているわけでもなく、一定期間の生活の不便を乗り切れば済む話だ。
なまえがいそいそと世話係にやって来たことの方が、実は不本意だった。俺にとって真に困るのは今ここになまえがいることだ。何故ならば情欲と可能行動を現状では一致させることが出来ぬからだ。俺は受け身でいることをあまり好まない。

「戻らぬならばあんたも脱げ」
「わ、私ははじめさんの介助をしてるので」
「あんたは先刻、何でもすると言ったな」
「え……言いましたけど……」
「脱げ」
「えっ!」
「嫌だろう? だから戻れと」
「い、嫌じゃないです!」
「何?」

これで引き下がるかと思えば、予測に反した答えを寄越すなまえに少なからず驚いて振り返る。
なまえは額に汗さえにじませ思い決めたような顔つきで、しかしやや自棄気味に泡の着いた手でカットソーをめくり上げた。

「おい、」
「ぬ、脱ぐくらい何でもありません。はじめさんが望むなら」

ジーンズを乱暴に脱ぎ捨てた彼女は唇も、細い肩紐を肩から滑り落とす指先もわなわなと震わせている。

「私は、私は、ご、」
「ご?」
「ご、ご…………」
「…………?」
「ご、ご奉仕だって、」
「は?」
「ご奉仕だって辞さない覚悟なんです!」
「何を言っているのだ……!」

胸を覆っていた下着がはらりといった風情で浴室の濡れた床に落ちた。
下腹に小さな下着一つを残し肩で息をするなまえは、二つの白い膨らみを大きく上下させている。それは絶対に落とせない試合に臨む前のスポーツ選手の様子とでも例えれば適当か、ともかく妖艶とはとても言い難い姿ではあったが、形の良い胸を揺らし思いつめた瞳に涙さえ浮かべているなまえはやはり愛らしい。
しかしこうも意表をつく言葉と行動を繰り返されては、継ぐべき言葉が見つからぬ。ややしてからなまえの手が再び伸びてきた。




「あんたには驚かされた」
「…………」
「あのようなことを、まさか」
「……も、もう言わないでください……」

ベッドで仰向いた俺の右側に小さく丸まっていたなまえは、俺の一言を聞くごとに掛布の奥へと潜ってゆく。

「まだご奉仕とやらをし足りないか?」
「はじめさん、お願い、もうやめて……」

喉の奥から自身で意図しない笑いがこみ上げる。
面白いものだと思った。この些細な事故により、己で知らなかった己の本心をまたひとつ知ることとなったのだ。
なまえの誤解の一つは俺の性欲処理に関してだった。彼女と交わることが無上の楽しみであり喜びでもあるのは俺にとってまぎれもない事実だが、負傷中にまで欲動を行使しようと思っていたわけではない。だが彼女の認識は俺のそれとはかなりずれていたようだ。
今となって風呂場でのことを思い出せば笑いは声になり、自分でもこれまでに滅多になかったことと思うが、可笑しさのあまり肩が震えてくる。
心外と言わんばかりにシーツの中からのそりと這い戻ってきたなまえが恨めしげな表情で俺を見る。

「……そんなに可笑しいですか。だってはじめさんは、へ……」
「へ、とは? 俺が変態だとでも?」
「いえ、なんでもないです……」
「変態で結構だ。だが今日の場合はなまえの方が」
「わー! すみません、ごめんなさい! もうしません」
「いや、あれはあれで悪くなかった」
「やだっ!」

首だけを右に向け、また逃げようとするなまえの顎先を右の手で掬うように掴めば、彼女が羞恥のあまり涙目になる。意外にもその瞳の雫は盛り上がり幾つもこぼれて落ちた。

「どうした。本気で泣いているのか」
「だって、私……、私の勝手のせいではじめさんに怪我をさせて、その前に嫌な態度もとっちゃったし、それで……どうしたらこの償いができるかと一生懸命考えて……それで……、」
「なまえは悪くないと、幾度も」
「そんな優しいこと言われたら、余計……」
「優しい? そのようなつもりで言っていない」

ここにもっとも大きなずれがあったのだ。俺はなまえの思うような優しさから言ったわけではない。この件で俺の言葉が優しく聞こえたとしたならばそれは思い違いだ。

「なまえは原始的に俺に帰属している」
「え? ちょっと、言っている意味が……」

なまえがきょとんとした顔になる。
なまえは過去も現在も未来も俺のものであり、決してほかの誰のものにもならない。なまえの行為により何らかの負債が生じればその全責任は所有者である俺にあるということになる。よってなまえが責めを負う必要は全くないのだ。
今回のように彼女がヘソを曲げて俺に八つ当たりをしようが、その行動が起因して俺が身体を損傷しようが同じだ。端的に言ってなまえのすべてが俺に帰属するということだ。

「つまりあんたの責任者が俺であるということだ。わかるか?」
「……いえ、ますますわかりません」
「ついでに言うならばセックスも」
「……は?」

あんたの身体がよくなることが俺の本懐だと、その為受け身でいなければならぬこの状況では気が進まなかったのだと、そこまで言えばまたなまえが混乱するだろうことがわかる故、俺はここで一度口を噤む。
顔中に疑問符を貼り付けたなまえの瞳はもう乾いたようだ。

「一つ言い忘れていたが」
「はい?」
「G製薬の伊東部長は俺の知り合いだ。数年前に彼に引き抜きをされそうになった」
「はい!?」
「仲介に立ったのがあんたのところの専務だが、」
「…………うそ、だって、畑違いじゃ?」
「光学機器メーカーと製薬会社は実は関係が深い。そういった都合上俺は伊東さんの性質にも詳しい。あの人は多少癖があるからな、何か役立つ情報をやれるかと思いあんたの部屋へ行った」
「それ、どうして最初に言ってくれなかったんですか」
「言う前にあんたが階段で」
「……そうでした。すみません、私のせいです……ほんとにごめんなさい……」

再度なまえの落ち込む方向に話が進みそうになった為、俺は黙って彼女の身体の下に右腕を入れて引き寄せた。
重ねた唇の隙間で俺は本心を漏らす。

「なまえは金輪際俺のものなのだから、あんたの不手際はすなわち俺の落ち度だ。俺に全てを任せていればいい。腕のことはもう何も気にするな。愛している」
「え、ちょ、はじ……っ」

なお意味が分からぬとばかりに身じろぐなまえの身体を右腕で締め付けて動きを封じ、疑問も反論も一切聞き入れぬ為に再びなまえの唇に己のそれを強く押し当てて塞いだ。

2017.06.21



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