He is an angel. | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

04 海老をめぐる仁義なき戦い


「なまえ。久方ぶりだな」
「ち、ち……ちか……」

びくりと身を固くして身構えた俺以上に、なまえの方が驚愕に目を見開き強張っていた。

「何も、それ程に驚く事はあるまい。時にお前、何故連絡をして来ぬ? 携帯の番号を勝手に変えおって」

男は不遜な笑みを頬に載せゆったりとした口調で言うと、俺など目に入らないかのようになまえの前に進み出た。
なまえは我に返ったように後ずさるが、珍しくきつい口調で言い返す。

「な、何を言ってるんですか? 私を振ったあなたにどうして連絡なんかしなきゃなんないの?」
「お前を振った覚えなどないぞ」
「好きな女が出来たって、別れてくれって言ったじゃない」
「帰れとはいったがお前と別れたつもりはない。見解の相違だ」
「そんなの屁理屈っ! だいたい私達付き合ってたって言う程の関係でもなかったし……、」

なまえの“私達”という言い回しに俺は内心過剰に反応してしまった。
その単語がズキリと心臓に突き刺さる。
男はなまえの剣幕に怯む事もなく不敵に笑っていた。
この男はいつ見ても態度が大きい。
俺は神経を逆撫でる彼を無言で見据えていた。
繁華街の交差点でいきなり始まった言い合いに、通行人が興味津々の目をジロジロと向けて行く。

「ちょっとちょっと、風間もなまえも場所考えろって! なぁ、はじめ君」
「…………」
「ちょ……はじめ君? どうしたんだよ、目が怖え……」

平助に言われるまでもなく俺は自分でも自覚できる程、鋭い目つきで風間を睨みつけていたと思う。
やっと喉から絞り出た声は冷え切っていた。

「“俺達”はこれから食事をする。悪いが立ち去ってくれぬか」

俺は平助ではなく風間に向かって告げたつもりだった。
しかし間の悪い平助は口を出してくる。

「え、はじめ君たちもここで飯食うのかよ? 俺達もそのつもりだったんだ。な、風間。一緒しようぜ」

俺は思わず心の中で舌打ちをする。
平助のこういうところが気に入らぬのだ。
あんたは空気を読むと言う事を知らないのか?
風間がにやりと笑う。

「ふん、よかろう。俺に異存はない」

何?
風間は見事なまでに俺を無視し平助の意見に同意を示した。
絶句した俺がなまえを見遣れば、彼女は先刻までの態度はどこへやら、ひどくのんびりした口調で言うではないか。

「んー、そうだね……、ま、いいか」
「…………!」

二の句が次げない。
俺は忘れていた。
なまえという女があまり物事を深く考えず、存外軽いタッチで生きていると言う事を。
そもそも俺を部屋に入れ(いや、俺が勝手に入ったのだが、そこを今は突っ込むまい)あまつさえ酒まで振舞う女だ。

「今日は休日出勤でさあ、もうやんなるよ。ああ腹減った……って、あれ? はじめ君?」
「はじめさん、行こ?」

さっさと地下に続く階段を下りていった風間の後をついて行きかけた平助が振り向き、なまえも佇む俺の肘を引く。
このような面子で昼食をとるなど不愉快極まりない事ではあるが、なまえが行くと言うのならば致し方あるまい。
俺は深いため息をつき、渋々と階段に足を踏み出した。


こんなところで千景さん(と平助君)に会ってしまうとは驚いたけれど、よく考えればここから会社は目と鼻の先だ。
当たり前と言えば当たり前だった。
この店はうちの社員のランチ御用達でもあるわけだし。
本当かどうか真偽は定かではないのだけれど、一説には千景さんは社長の親戚であるとかないとかの噂が社内で立っていた。
でも私にはあまり興味のない話題だった。
千景さんが休日出勤なんてこれはまあびっくりだけれど、親戚であろうがなかろうが社員である以上休日に仕事をすることもあるのだろう。
昼を過ぎた都心のパスタ屋は土曜日と言うのに想像以上に混んでいた。
ゆっくりと歩いて行く千景さんを追い越して素早く空いた席を見つけた平助君が、こっちこっち、と呼んでいる。
ふと隣のはじめさんを見上げると、彼らに会うまでは普通だった(むしろ赤かった)顔色が、心なしか青ざめている気がした。

「はじめさん、どうかした?」
「どうもしていない」

気のせいか答え方までそっけなくて、私、何かしてしまった? と少し気になる。
一見無表情にしか見えないはじめさんの心の中が千々に乱れていた事など、この時の私に解る筈もなかった。
頭の中で今忙しく思い起こされるのは、千景さんと別れた時の事。
ずっと考えないようにはしていたけれど、もちろん忘れたわけではない。
痛みはもうないとは言うものの、あの日は本当にさんざんな思いをしたのだ。
自分が相手の事を好きかそうでもないかに拘らず、女って自分に属した存在を誰かに盗られるという事実にとても抵抗を感じるものだと思いませんか。
あれ、私だけかな?
千景さんはいかにもいいところのお坊ちゃまの風情をしている。
二ヶ月程の付き合いだから、詳しいところはよく知らないけれど。
かつての彼はいつも突然に連絡して来ては、まるで拉致するかのように私を連れ出し、恰も私が彼を好きであるという事を前提に振舞った。
千景さんとの付き合いはそうやって強引にプッシュされ続け、ある種つき纏われたと言っても過言でない状況から始まった。
全く魅かれていなかったと言えば嘘になる。
態度は無限大に大きいけれど彼は品もあるし、何よりも見た目が綺麗だ。
日本人というのに亜麻色の髪をして、瞳の色は赤に近い透き通った深緋色。
優しいというキャラではなく、むしろ俺様風をビュービュー吹かせるタイプではあったけれど何というか愛情表現は真っ直ぐで、押しつけがましいけれどどこか魅かれてしまうというような…、って私ったら。
何を考えているんだろう、今更。
でもあの夜は私なりに酷く傷ついたのだ。
ただ、何故だろう?
酷い傷心を抱えて家に帰ったような気がするのに、その夜から月曜日の朝までの事を私は全く覚えていないのだ。
思い出そうとしてもどこか霞がかかったような記憶は、どんなに頑張っても戻ってこない。
月曜日の朝がいやにすっきりしていたことだけは鮮明に覚えている。
考えごとに没頭しかけるも、間もなくそれぞれの注文したパスタが、順々にテーブルに届けられた。
向かいに座っていた千景さんは皿が置かれるなり、

「お前はこれが好きだろう」

不意に自分のシーフードロッソにふんだんに盛られた魚介類の中から、大きな海老をスプーンとフォークを使って私のお皿に載せた。
突然の行動に私の思考が完全に分断される。

「…………」

その自然で優雅な手つきに咄嗟に拒否する事も出来ず、自分の皿の上にチョコンと置かれた海老をただ呆然と見つめてしまった。
その時だ。
隣から殺気にも似た空気が放たれているのを感じたのは。
……え?
私がはじめさんに顔を向けると、彼は私の皿をじっと見ていた。
チラリと私の顔を一瞥して再び下げた視線は、まるで親の敵かのように憎しみを込めて海老を射抜く。
海老に罪はないと思う。

「あの、はじめさん?」
「…………」

はじめさんは彼の前に鎮座した和風醤油風味きのこパスタに目もくれずフォークも取らない。
彼の目は私のアラビアータに注がれたまま。
あの……とっても食べにくいんですけど。
手にしたフォークに巻きつけたパスタを口に運ぶことが出来ずに、ちょっとはじめさん早く食べてよっ!と心でこっそり悪態をついた。
そのせいか私の口から出た声は、ほんの少し苛立っていたかも知れない。
この綺麗な男性を相手にしても、所詮私という女は花より団子ということだ。

「ねえはじめさん。パスタ伸びますよ?」

はじめさんの前の席では平助君が

「うめえ、これすっげえうめえ!」

と言いながら明太子カルボナーラをガツガツ食べている。
彼ってある意味すごく羨ましい感覚をしている。
ちきしょう、千鶴は大物を選んだな。

「ちょっと、はじめさ……」
「その海老を……食べるのか」
「……は?」
「海老を食べるのかと聞いている」

はじめさんは私の言葉なんか聞いてもいなくて、口を開いたかと思うとそう言った。
え……、海老、が問題なの?
な、なんで?

「なまえが海老を食したらどうだと言うのだ」

すると少し好戦的な口調で千景さんが口を挟んだ。
え、やっぱり海老が問題なのか?
はじめさんの視線が海老からゆっくりと千景さんに移っていく。

「他人の皿にこのようなものを載せるのは、マナーに反する」

言うが早いかはじめさんが徐に左手にフォークを取った。
そして私の皿の海老にブスリと突き刺すと素早い動きで千景さんの皿に戻した。
これには私もびっくりだ。
目にも止まらない早さでそれをやってのけたのだ。
やっていることは滅茶苦茶なのだけどその華麗な動きに、いっそ見とれてしまったと言ってもいいくらいだ。
私は元の場所に戻っていった海老を見つめる。
そこへ今度は前方からの殺気を感じた。
な、なんなの?
恐る恐る千景さんの皿の海老から目を上げると、千景さんはずっと浮かべていた不敵な笑みを引っ込めていた。
殺気は千景さんの全身から放たれていて、その目ははじめさんを射抜くように見ている。
はじめさんも全く怯む事もなく強い視線で千景さんを睨みつけている。
怖い。
双方共に殺気を孕んで絡む視線は、深碧色と深緋色の戦いか。
どちらも一歩も引かない。
長い睨み合いが続いた。
だが、やがて千景さんの方がゆっくりと視線を逸らした。
別に負けたと言うわけではなく余裕の表情を取り戻して、面倒になったと言う雰囲気を醸しながら鼻を鳴らす。

「ふん、貴様、斎藤と言ったか。この俺にそのような挑戦的な態度を取るとはな。覚えておいてやろう」
「生憎だが二度と会いたくはない」

はじめさんは引く気配もなく極寒の北極熊もびっくりみたいな声で応じた。
その後のこのテーブルは、いくら能天気な私と言えども耐えがたいものがあり、パスタの味なんかもう全く解らなくなっていた。
食べ終わった皿を横に避けた平助君が、初めて気付いたみたいにはじめさんと千景さんの皿を交互に見た。

「あれ、はじめ君も風間もまだ終わってないのかよ? 案外食べるの遅えんだな」

そんな平助君を今こそ本気で羨ましいと思ったよ、私。
さっき思い出していた千景さんとの別れ話のことは、言うまでもなく私の頭からとっくに霧散していた。
そして、金曜の夜から月曜の朝までの失った記憶を手繰り寄せようとしていたことも、綺麗さっぱりブッ飛んでしまっていたのだ。


This story is to be continued.

prevnext
RETURNCONTENTS


The love tale of an angel and me.
使



MATERIAL: blancbox / web*citron


AZURE