「琥太にぃってああ見えて実はかなりの寂しがりだよね」
そうぽつりと零したのは何をすることもなく保健室のベッドに腰掛けた水嶋だった。時は放課後、太陽の断末魔の光が校庭を染め上げる中青春に汗を流す賑やかな声が響き渡る。場所は保健室、この場を我が城だと言って笑う男は今は席を外している。そんな中、月子は甲斐甲斐しく部屋の片づけを一人で行っていた。ただ其処に彼が居なくとも、彼を形成する世界に身を置けるだけで幸せなのだと言わんばかりの微笑みを浮かべて。水嶋はそれが気に入らなかった。月子とこの部屋の主は特別な関係にあるというわけではない。お互いがお互いにとって一番近しい位置に居て、お互いがお互いにとって一番心を許せる存在であると傍からどう見ても明らかであるのに、二人はそれを認めようともしない。それが何より水嶋にとっては気に入らないのだ。少なくとも本当に心から幸せになって欲しいと願ってやまない二人だ。何回星月に詰め寄ったかわからない。何回月子に詰め寄ったのかも分からない。しかしその度二人は似た様な柔らかい笑顔で笑ってこう言う。「これでいいのだ」と。
「いきなりどうしたんですか?」
淡々と作業を進めていた手を止めて月子は水嶋を見る。その瞳にどの様に自分は映っているのだろう、ぼんやりと水嶋は考えた。水嶋は月子ではない。故に月子が見ている世界を見ることはできないし、月子が考えていることも露ほど分からない。それは星月に対しても同じだ。水嶋は星月ではない。星月の考えていることなど分かる筈もない。同じ世界を見ることが出来たら少しは二人の考えていることが分かるのだろうか、そんなこと果たしてある筈もないのに考えてしまう。その程度には水嶋にとって二人は大切な存在だった。
「いや?なんとなく思ったことを言ってみただけだよ」
月子は訝しげに目を細めた。その行為があの優しい記憶を呼び覚ますようで水嶋も無意識のうちに目を細める。
月子の笑い方は優しい。気付けば心の中に忍び込んできて、まるで最初から其処にあったものの様に居座っている。それを不快に思わないのは少なからず月子だから、という理由が存在するのだろう。星月が月子を手放さない理由が少しだけ分かった気がした。
「でも琥太にぃの傍に居るのが君でよかった。君だから琥太にぃは…、君だから琥太にぃの傷を少しずつでも癒せたんだろうね」
星月の心の傷は簡単に口の出来るほど生易しい物ではない。それは水嶋も理解している。ただ、月子が傍に居ることで星月の傷が少しずつ塞がっていっているのも確かなのだ。月子でよかった。何度思ったのか分からない。他の誰かではきっとうまくいかなかっただろうから。それなのに月子はきょとんとしてから少しだけ寂しそうに笑うだけだった。
「…傷は傷です。それ以上でもそれ以下でもありません。傷は触れたら痛いんです。私なんかが身勝手に触れてしまったら、ただ痛いだけです。だから無暗に触れたらいけません」
ひゅうと、この時期にしては冷たい風が吹く。月子は寂しそうに笑ったままだ。
「でも傷は放っておいたら化膿するから、治療方法を知っている誰かが治療しなければなりません。そしてその治療する人はその行為を愛だと勘違いしてはいけないんです。傷に触れることができる、だから相手から愛されているだなんて、ただ傷口を抉る行為でしかありません」
その言葉に潜む限りない愛情に水嶋は気付いてしまった。そしてひどく切なくなった。何より優しいこの少女は自分より何倍も大人だった。そうして星月も月子のことを誰より理解しているのだと、知った。
「私なんかに星月先生の傷が治療できているだなんて思えませんし、そんなこと思ってもいません。ただ、星月先生にとっての『治療する人』が現れるまでは傍に居ても許されるんじゃないかって、そう思ってるんです」
星月は教師で、月子は生徒だ。本来ならば傍に寄り添うことなど許されない。でもこういった形なら、特別じゃなくても関係に名前がつかなくとも傍に居られる。まいったなあ、水嶋の呟いた声を月子は拾わなかった。月子は寂しそうに、それでいて幸せそうに優しく微笑んだままだ。




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