どれだけ時間が経ったろう、此処には光が届かないから時間の概念が希薄だ。翼は月子の膝の上に頭を乗せて微睡んでいる。お喋りが過ぎたのだと看守に思われてしまったのか、はたまたもう幽閉の期間が終わったのか二人には分からなかったが、一樹や颯斗はやけに暗い目をした看守に他の牢へ連れて行かれてしまった。故にこの暗いだけの、世界から隔離されている、澱んだ場所には月子と翼、そして二人の幽閉されている牢を見張る一人の看守だけが取り残されている。看守は今までに一度も言葉を発したことがなかったから、生きているのか、死んでいるのか、そんなことも分からなかったのだけれど。
翼にとって今の世界の全ては頬に感じる温もりと、優しく髪を撫でる少しだけ淋しい指先の感触だった。けれども、それすら微睡みの中では希薄になってしまっていた。だから何だか無性に淋しくなって、今にも閉じそうになる瞼を無理矢理こじ開けて、人を愛するには僅かに不器用な指先を月子の光を孕んだ亜麻色の髪に伸ばしながら、そっと月子を見つめた。目が合うと擽ったそうに細められる、その仕種が翼は好きだ。翼くん、月子は笑っている、穏やかに。そして、とても寂しげに。翼くん、と月子の形の良い唇が動いた。しかし、微睡みの中に居る翼には、それがどこか遠い世界の出来事のように感じられた。
「春がきたら一緒に桜を見に行こうね。それからお花見をしようね…わたしお弁当作っていくから。お散歩もしよう?どこか遠く……花畑が広がってる場所で――春って、みたことないからどんなものか分からない。分からないけど、きっと素敵なんだろうなあ……あぁ、でも、」
月子はそこで言葉を切った。意識が遠退く。光を孕んだ指先の感覚が、急速に遠退いていく。けれども、意識がなくなるほんの一瞬前に見た月子の瞳は、発した言葉と優しく笑っている表情とは裏腹に、痛みを堪えているようだった。


「翼くんが笑っていてくれるなら、春が来た後にわたしがいなくなっちゃってもいいかなあ…だって翼くんを失うことだけは、どうしても、嫌だから」


翼が完全に眠ってしまったのを確認してから、月子は桔梗色の髪から指先を離す。そっと吐いた息を誰が聞くこともない。ちらりと視線を遣ってはみたものの、看守は微動だにしなかった――これは一瞬の賭けだ。成功率は極端に低い、けれども成功すれば確実に翼たちは助かるという。月子は知っていたのだ。あの残虐非道な王が翼や一樹、颯斗の命など助ける気などないことを。自分は別に良い、否よくはないけれど、元々【清明】として、春を世界に呼び込む為の道具として生きてきた。死に対する恐怖がないと言えば嘘になるかもしれない。でもそれでも、彼らが傷付くかもしれないという恐怖に較べたら本当に何ともないのだった。
だからこれは賭けなのだ。夜久月子による一斉一大の賭け。勝てば幸せ、負ければ――負ければ。
翼の肌身離さず持っている、看守に怒鳴られようとも絶対に離すことなどなかった袋をゆっくりと開く。現れた機械をそっと手にとって、音もなく抱きしめた。この無機質なだけの存在に、魂が宿るようにと祈りながら。(これを創った人はとても優しい人。だから、この機械も、きっと、優しい)
――月子は暫く何かを逡巡するように機械を黙って見つめていたが、漸く意を決したのか、桜色に色付いた唇をそっと翼のそれに寄せる。(約束しようね翼くん……わたし、ずうっと翼くんの傍に居るから。もう、淋しくないように)けれども、何故だかどうしようもなく苦しくなった。


「看守さん、賭け、しませんか」



最初で最後になるかもしれない口づけは、遠い、冬の味がした。






人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -