牢の中は薄暗く、微かに死の香りがした。翼と月子は音沙汰があるまでこの地下牢に幽閉されるらしい。幸運だったのは、二人が離れ離れにならずに済んだことくらいか。時折何処からか聞こえる、水滴の落下する音だけが世界を支配していて、そこはかとなく不気味だった。けれどもあまり恐ろしいとは思わない。手を伸ばせば届く範囲に、神の絶対性にとてもよく似た存在がいるからなのかもしれなかった。
看守は一度だけ月子をちらりと見たっきり、もう二度とこちらを向くことはない。それが仕事なのか、それとも牢に幽閉されているのが春の楔である【清明】であるからなのかは分からなかった(それでもその瞳に宿る光が、敵を見るものにそっくりであったから、恐らく後者だと思われた)。翼が小さく溜息を吐く。吐き出されたそれは澱んだ空気に混じって消えた。
「――翼か?」
不意にそんな声が聞こえた。慌てて視線を向かいの牢に遣ると、白銀の髪と若草色の瞳が其処にあった。隣には春を模したかの如き薄桃色の髪が見える。ぬいぬい、と翼が掠れた声で呟いた。
「悪い、こんなとこに入れられる羽目になっちまってよ。――最後まで助けてやれなくて、本当に悪かった」
「それはもういいよ…でも、何でぬいぬいとそらそらが此処に居るんだ?!」
「あー…、まあその、なんだ、書類の書き損じがあって…なあ、颯斗?」
「えぇ…盛大にやらかしましたよね、団長」
嘘だ、と鈍感な月子にだって簡単に見抜くことが出来た。書類の書き損じ如きで、厳しい叱責があったとしても牢に幽閉されるわけがない。自分のせいなのかもしれない、と月子は思う。思ったところで何が出来るわけがなかったし、そんなことを考えているのがバレて仕舞えば、翼に咎められることは分かっていたけれど。
「ごめん…俺のせい、だよな。俺がぬいぬいを頼りっきりだったから…俺がぬいぬいに頼らなければきっと、ぬいぬいは、」
「翼、」
一樹の静かな声が牢を満たす。水面にゆっくり広がる波紋のように、耳朶に染み込んでいく、それはどこまでもどこまでも優しい声だった。何もかも知った上で、全てを許し、包み込むような声だった。その声の温度が月子にはとても切ないもののように見えた。
「俺は此処に居ることを全く後悔してない。それどころか王に憤りすら感じてるんだ。翼は間違ってない、この世に無駄にして良い命なんかない。誰かが犠牲にならなきゃ訪れない春なんて、こっちから願い下げだっての…それに翼。春ならお前が呼んでくれるんだろう?お前は優秀な科学者なんだから」
「ぬいぬ、い」
「翼くんが気に病むことはありませんよ。これは僕たちが勝手にやったことです。それに、僕は嬉しいんですよ、少しの間だけでも家族のように思っている翼くんを、守れたことが」
「そら…そらぁ…っ!」
一樹の笑顔も颯斗の笑顔も、その言葉が嘘偽りのないものだと教えてくれていた。月子が久しく忘れていた、笑顔の本来の意味が、其処にある。けれども、月子は何故だか、本当に少しだけ、淋しくなった。
「お前が【月子】か?」
「……っ、はい。夜久月子、と言います。初めまして」
「そうか…初めまして。俺は王宮の騎士団団長をしている不知火一樹だ。こっちは副団長の青空颯斗だ。こんなことになって悪かったな……それと、」
一樹は一旦言葉をそこで切る。若草色の瞳が真っ直ぐに月子を射抜いて目が反らせない。
「ありがとう。翼の傍に居てくれて」
喉が詰まる。感情が膨れ上がって息が出来ない。憎まれこそすれ、感謝されることなんて数える程しかなかった。そうして、たった五文字の、短すぎるその言葉が、涙が出てしまいそうになるほどに嬉しいのだということを、月子は漸く思い出した。
――何があっても、この優しいひとたちだけは守り通さねばならないと、強く思った。





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