初めて足を踏み入れた王宮は、光が溢れて暖かい筈であるのにどこか薄ら寒く、思わず背筋が震える。同じ様に初めて聞いた王の声は、初めてなのに何だか懐かしい、そして何故だか恐ろしい――その声を聞いていると、全てを剥奪されてこの世の果てまで連れていかれてしまうような気がした。その王は暫くの間黙ったまま偉そうに踏ん反り返っていたが、漸く月子たちの姿を捉えたのだろう、冷たさしか内包されていない瞳を細めて凄惨に笑う。
「貴様が【清明】か。罪深き罪業の子よ、貴様まだ生きているのが不思議だなあ?己の役目を知らないわけではあるまいに」
月子は黙ったまま何も言わない…否、言わないのではなく、言えないのだろう。それまでに王の威圧感は凄まじい。それに加えて、月子と翼は後ろで両手を縛られて身動き一つとれなかった。翼だけでも逃げて欲しかったと思う。けれどもそんなことが出来る筈がなかったし、そもそも翼が許す筈がなかったのだ。(ずっと一緒だからな)囁くように、そう口にした翼の唇が、月子には、確かに微笑しているように見えた。
「【清明】のせいで人が死ぬ。【清明】が生きているから春が来ない。知っているか、【清明】。神は嘆いておられるのだ。【清明】が生きていることが」
隣で大きな体が震えるのが分かる。翼は優しい子だ、他人の痛みを自分のものと捉えてしまう。月子が怪我をした時も、まるで自分が怪我をしたかのように今にも泣き出しそうな顔をしていた――いや、既に泣き出していたのかもしれない。今となってはあまりに遠い、優しくて切なくて悲しい、遠い遠い、昔の話だ。
そうして翼は【清明】という名しか持ち合わせていなかった月子に新しい名前をくれた。どんな贈り物を貰うよりも、どんな睦言を囁かれるよりも、何倍も、何倍も何倍も嬉しい。彼はそういうことを無理なくやれる人なのだ。(翼くんはわたしがどれだけ君に救われているかを、きっと知らないんだろうなあ)
「謝罪しろ【清明】……そして死ね」
「……さっきから黙ってれば…何で…何でそんなこと言うんだよ!この世界こそ、死んで月子に謝罪するべきだ!何が【清明】だ何が春だ!俺は月子が死ななきゃいけない世界なんて認めない!月子が死ななきゃいけないなら春なんか永遠に来なくていい!そんなもの俺はいらない…っ!」
「黙れ若造が」
「おかしいよ!何でみんなそんなことが言えるんだよ!?月子は人間なんだ!俺たちと同じ人間なんだよ!【清明】だって、ただ掌に変な痣があるだけじゃないか!なのにどうして死ななきゃいけないんだよ…季節っていうのはそういうものじゃないだろ…っ」
その声は、極寒の大地に降り注ぐ、優しい陽射しのような祈りだった。自分を春を迎えるために死ぬべきである【清明】としてではなく、たった一人の人間として見てくれていることが、まだそういう存在が在ったことが、何よりも嬉しかった。それは、誰も知らなくて、いい。
王は翼の反抗的な態度に苛立ったのだろう、静かな冷たい声で牢へ連れていけ、と呟く。瞬時に反応した近衛兵たちは黙ったまま、底冷えする瞳だけを二人に向けて、有無を言わさない強い力で縄を引っ張った。きしり、と骨が軋む。そのまま牢へと連れていかれそうになった瞬間、月子は僅かに王を振り返った。告げなければいけない言葉があった。どうしても譲れない思いがあった。
「王様、一つ撤回してください。わたしは確かに【清明】かもしれません。けれど、わたしの名前は【月子】です。それだけがわたしの名前です。世界で一番大切な名前で…わたしは【清明】であって【清明】じゃない。わたしは【月子】です。【清明】と呼ばないでください。彼がわたしにくれたものを、穢さないでください」










「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -