きくろ | ナノ


それは唐突におとずれた。
「黒子!パス!」
いつもと同じ練習。いつもと同じミニゲーム。声が下方向に僅かに視線を向けると、ボクと同じ色のビブスを着用した男が手を上げていた。この連携プレーの練習もなかなか様になってきたし、もう実践で使ってみてもいいかもしれない。そんなことを思いながらボクはボクと同じ色、緑色のビブスめがけてボールを繋げようとして――

あれ、みどりいろってどんないろだっけ?

「…黒子?どうしたんだ?」
不意に動きを止めてしまったボクに気づいたキャプテンが訝しげに声を掛けてくる。その声に気付きながらも、ボクはボールを抱きしめたまま途方に暮れていた。
「キャプテン、みどりいろって、どんないろ、でしたっけ」
そう尋ねた時の、キャプテンの顔が今も忘れられない。


ありがとうございました、と閉まる扉に声を掛けながらボクは診察室を後にした。バタン、と閉まる音がやけに耳に残る。廊下で待ってくれていた黄瀬くんが少しだけ首を傾げて、視線だけでどうだったかと問いかけてくる。
「…やはり原因はわからないそうです」
「…そうっスか」
この病院で診察を受けるのもこれで五回目だ。けれど、五回も診察に通ったところで一向に症状は改善しない。そのかわり悪くもならないのが唯一の救いである。
黄瀬くんは黙ったままでいるボクの頬を軽く撫でると、二人分の荷物を持って車回してくるね、とだけ言い残して外へ消えた。彼は二回目の診察からずっと付き添ってくれている。
初めての診察の時、一緒に診察室に入った黄瀬くんはボクの症状を目の当たりにして酷く動揺していた。それはそうだ。医者が赤い画用紙を目の前に掲げて「これは何色?」とボクに尋ねても、当のボクは全く答えられないのだから。色は目に入っている。それがモノクロでないこともちゃんと分かっている。でも何色なのかが理解できない。黄瀬くんのすごいところは、三回目の診察の時にはもう動揺の欠片ひとつ見せなくなったことだ。ボクがどんなに答えられなくともゆるく笑い、答えられないということに動揺しパニックを起こしそうになるボクの手を握って「大丈夫、落ち着いて。大丈夫だから、ね」と声を掛けてくれる。それどころか、色を理解できないボクのために、世界中に散りばめられている色について教えてくれるようになった。あれが緑色。あっちが赤色。色に関してだけ酷く記憶力が低下して、教えられたことすらろくに覚えられないボクに、飽きることなく何度も何度も繰り返し、ひとつひとつ丁寧に、慈しむように。色で囲まれた鮮やかな地獄の中で、その声が、言葉が、どれほど救いになったのか、きっと彼は知らない。
だから、そんなやさしい彼にボクは言えなかった。精神科にかかることをおすすめします、と担当医に言われてしまったことを。彼以上にやさしいひとを、ボクは知らないから。
黄瀬くんに色を教えてもらうようになってから作り始めたノートを開く。そのノートには黄瀬くんから教えてもらった色のことがぎっしり書かれていた。色を教えてくれる人間が傍にいない時、ボクは毎回これで色を確認する。今確認しているのは黄瀬くんの車の色だ。沢山ある車の中から黄瀬くんの車を見つけ出すことも、今のボクには不可能だった。色を教えられても、それがどの色か分からない。
ノートの一番最初のページに書かれた言葉と色を頼りに、病院の自動ドアをくぐりながら黄瀬くんの車を探す。ノートには「黄瀬くんの車:濃藍。真夜中の夜空の色」と書かれている。その隣に車を洗っている黄瀬くんの写真。こうしたほうが少しは覚えられるかと思って黄瀬くんには内緒で写真を貼っている。実際問題何も変わりはしないのだが、気分の違いである。
なんとか車に辿り着いたボクを見とめて、黄瀬くんがふわりと笑った。車から出てこようとしていたところを見ると、どうやら迎えにこようとしてくれていたらしい。こういう変にやさしいところはずっと変わらない。友人というにははみ出しすぎているこの関係を一体何と呼べばいいのか、何故黄瀬くんはこんなことをしてくれるのか、そんな話を赤司くんにしたことがある。その時彼は何と言って笑ったのだっけ?ああそうだ、その理由などもうとっくにテツヤは分かっているのだろう?だったな。
――本当は、わかっていた。わからないと、見て見ぬふりをするにはボクは大人になりすぎた。大人になるということは、知らないふりが出来なくなるということだと思う。
「今日はいつもより早く見つけられました」
「うん、そうっスね。よくできました」
助手席に座るボクの髪を黄瀬くんの大きな掌が撫でる。それが擽ったくて目を閉じた。家まで寝てていいよ、やわらかな声が聞こえる。

ボクが暮らす家は駅から程近いところにある。言うほど新しいわけではないが、セキュリティもしっかりしているし、何より住民のひとが優しい。ボクが置かれている特殊な状況を理解した上で、普通に接してくれている。こんな体になってから気付いたことだが、世界はあまりにもやさしい。
ボクが置かれている特殊な状況というのは二つある。ひとつめは勿論、色が理解できないということ。ふたつめは、
「はー!ただいま!」
「おかえりなさい、黄瀬くん」
「うん、黒子っちもおかえり」
現在、ボクは黄瀬くんと同居中なのである。ルームシェアと言ったほうが聞こえはいいだろうか。家賃も折半しているのだし。とにかく結論から言うと、ボクは黄瀬くんと同じ部屋に住んでいる。
「黒子っち、コーヒー飲む?」
「あ、いただきます」
「りょーかい。砂糖二杯にミルク一杯っスよね」
帰り際に寄ったショッピングセンターで買ったコーヒー豆を黄瀬くんがセットするのを、同居祝に買った大きめのソファに身を沈めつつぼんやりと眺める。
こんな状況に置かれてしまったことを母に話した時、電話の向こうで母は驚くほど取り乱してみせた。それはそうだろう、女手一つ、手塩にかけて育ててきた(自分で言うのもなんだけれど)愛息子が原因不明の病を患ってしまったのだから。そんな母は是が非でも一緒に暮らしたかったらしい。けれども、ボクが大学へ進学するのと同時に夢であった渡米を果たし、現在とある企業のチームリーダーを任されれている母が何もかも放り出して帰国するには背負ったものが重すぎた。幸いなことに(と言えば黄瀬くんは怒るのだろう)日常生活には殆ど支障をきたすことはなかったため、三日に一回は必ず連絡することを条件に帰国をなんとか思いとどまらせることに成功した。ボクは母を一人の人間として深く尊敬しているし、憧れてもいる。そんなひとの道を阻むものはなんだって許せない。たとえそれが息子という立場にある自分であっても。
という話を中学の部活の同窓会のときに笑い話のようにしたことがある。色が理解できなくなった、けれど日常生活にはなんの支障もないから大丈夫。赤司くんも青峰くんも。緑間くんも紫原くんも一様に心配してくれた。その中で黄瀬くんだけが他とは全く違った反応を見せたのだ。ねえ、なんでそんな笑い事みたいに話すんスか?苛立ったように音を立てながら彼はグラスを机の上に置く。その様子を赤司くんが左右異なる色の瞳で見つめている。「笑い事だって、思ってるんスか?オレはそんなの、全然、笑い事だって、思えない」
「でも、日常生活には、」
「たとえばのはなし。車が危険信号を出す時に、青いライトを点滅させるとするっスよね。オレや赤司っちはそれが青いライトだから危険信号だって分かる。でも、黒子っちにはそれがわからない。ライトが点滅してるっていうことはわかっても、それが何色だかわからないから、危険なのかどうかすら理解できない」
「そ、れは、」
「アンタが笑い事にしようとしていることは、こういうことなんだよ!」
――笑い事にしたのは、そうでなければもう立っていられなかったからだ。
色が理解できないボクにとって、色で溢れかえった世界はそれだけで地獄だった。毎分毎秒、色は数多視界に飛び込んでくる。けれども、そのどれもをボクは理解することが出来ない。それはほとんど恐怖と同じだった。美しいと言われるものを見ても、全然全く美しいと思えない。鮮やかな世界は一瞬にして表情を変え、牙を剥く。色に溢れた鮮やかな地獄の中で、もうどうやって生きていけばいいのかすらわからない。
「そんなに心配なら、」
「…赤司くん?」
「涼太、お前が一緒にテツヤと暮らせばいい。お前がテツヤに色を教えていけばいい。先日お前の家にお邪魔した時、部屋が余っていると言っていただろう」
何でもない事のようにそういう赤司くんに対しても驚きを隠せなかったが、それよりなにより黄瀬くんもまるで名案であるかのように頷いたのが、ボクにとっては衝撃的だった。まるで今日のお昼はそれでいいよ、とでも言うような気軽さだったから。
「黒子っち、今一人暮らしなんスよね?じゃあ、オレとルームシェアしよ。そうすればオレが色を教えてあげられる」
「そこまでしていただかなくても大丈夫です!」
「テツヤ、意地を張ってもいいことなど一つもない。お前が本当にそれでいいのなら、僕は何も言わないが、でも決して後から後悔するなよ」
「後悔なんて、しません」
「ねえ、黒子っち。嘘がヘタなひとの国があったら、黒子っちはその国の大統領っスね。…減るもんじゃないし、心配くらいさせてよ」
落とされた言葉は静かだった。それは明け方に降る細かな雨に似ている。
その声を耳にした瞬間、涙がこみ上げるのを感じた。たおやかな安堵感で胸が詰まる。喉の奥で必死に嗚咽を殺し、平静を装ってその瞳を見上げると、穏やかな光を宿した瞳がそこにはある。今のボクにはもうそれが何色なのかもわからない。けれども、とてもきれいだな、と思った。色を理解できなくなってから初めて、何かをきれいだと思えた。
――なんてきれいなひとみなんだろう。鮮やかな地獄の中で見つけた宝物。そうだ、このひとの、この瞳のそばにいよう。そうすればきっと、ボクは地獄の中でも、生きていける。


「黒子っちー。ちょっと手伝ってもらってもいい?」
「あ、はい。今行きます」
夢の国へ片足を突っ込んでいたボクを揺り起こしたのは他でもない黄瀬くんの声だった。ゆるゆるとソファから身を起こすと、コーヒーを淹れてくれている黄瀬くんの元へと向かう。
「マグカップ取ってもらってもいい?青いやつ」
「わかりました」
戸棚を開くと色々なマグカップが並んでいる。黄瀬くんが取って欲しいと言ったマグカップは、この間二人で水族館へ行った時にお揃いで買ったものだろう。確かイルカの絵が描かれていたような気がする。でも、ボクには青がわからない。
「青だよ。わかる?」
「うーん、さっきから思い出そうとはしているんですけど。これがなかなか」
「青峰っちを思い出してみて。青は、青峰っちの髪と同じ色っス」
「あ、これですか?」
「うん、正解!前より思い出すのが早くなったっスね。少しずつ改善していってるのかも」
「だといいんですけど。でも、そうだとしたら、すべて黄瀬くんのおかげです」
「そうかなあ」
「そうですよ」
マグカップを手渡しながら歌うようにそう言うと、黄瀬くんは少し照れたようにもう一度そうかなあ、と言って笑う。ボクも、もう一度そうですよ、と言って笑った。
ソファに並びながらぼんやり黄瀬くんが淹れてくれたコーヒーを飲む。隣に座った黄瀬くんの、大きな掌がそうっと髪を撫でた。最近、黄瀬くんはこういった触れ合いを躊躇わなくなった。ルームシェアしたての頃は、指先に触れることすらどこか怯えていたような気がする。それはあくまで、ボクの憶測でしかないけれど。
くろこっち。黄瀬くんがボクの名前を呼ぶ。きれいな瞳を眩しそうに細めて、まるでこの世界で一番嬉しいことがあったみたいに微笑みながら。その笑顔を見た時、ボクは初めて自分の心臓がどこにあるのかを知った。
黄瀬くんの声が世界中で一番落ち着く。その声を聞いているだけで眠くなってしまう。今もそうだ、先ほどの微睡みがもう一度体を包み込むのを感じながら、ボクはそうっと隣の陽溜りに頭を乗せた。髪を撫でていた指先が頬を滑って項に触れ、指先を辿る。それは決して不快なものではなかった。おかしなことだ、同じ性別を持っているのに。同性の他の誰にされたって不快に感じることが、黄瀬くんの手にかかると魔法に変わる。不思議な事だ。こんな不思議な事にちゃんと名前がついていることが更に不思議だった。
「ねむい?」
「んー…」
「眠ってもいいよ。今日は朝早かったっスもんね。でも、明日の試合は見に来てね」
「は、い…」
「ん。絶対っスよ?」
「はい、約束です…」
唇に何かが触れた気がした。けれどもその正体を知り得ることのないままボクは意識を手放す。意識を手放す間際に見えた、きれいな色の正体を、どうしても知りたいと、思った。

◇◆◇

懐かしい音が谺する。ボクの始まりの世界は、今ではもうあまりにも遠い世界になってしまった。
「おや、テツヤじゃないか」
「え?あれ、赤司くん。きみも来ていたんですか?」
「こっちの方で論文の発表会があったんだ。そうしたら涼太が出る試合があると聞いてね。キャプテンとしては、部員の頑張りは見ておかないと」
「きみのそういうところも、変わりませんね。きみはいつもやさしい」
ボクの隣に腰を下ろした赤司くんは少しだけ笑って何も言わなかった。
コートでは黄瀬くんを始めとする男性の何人かが楽しそうにボールを追っていた。少し前まではあの世界に自分もいたのだと思うと何だか不思議な気がした。
色が理解できなくなってから、ボクはバスケから一旦身を引くことにした。練習中ならまだいいが、試合で色がわからないのは致命的である。色がわからないボクはユニフォームで敵味方の区別を付けることが出来ない。顔を覚えればいいだけ、と思うかもしれないが、基本的に相手を見ないでパスを出すという技の性質上、ユニフォームの色を理解することは必須条件なのだ。
「でも、捨てたわけじゃない」
その声に驚いて横を見る。いつの間にか赤司くんはボクを見て微笑んでいた。
彼の纏う色をボクは理解することが出来ない。けれども、一度だけ誰かが彼の色について語っていたのを聞いたことがある。
彼の色はね、黒子くん。たとえば赤。たとえば猩々緋。紅に深緋に蘇芳…王様の色だよ。他者を圧倒し、世界を支配し、屈服と主従を命じる色。その色に魅入られた者は頭を垂れて従うことしか出来なくなる。圧倒的な支配者の色さ。
そうかなあ、とボクは思う。ボクには色がわからない。色はわからないけれど、「赤司征十郎」という人間を知っている。彼の色をたとえるなら、夕焼け。若しくは明け方の、日が昇り始めてすぐの空。優しい色だ。色が理解できなくたってそれくらいは分かる。
色を失う前のボクだったらきっと、あの言葉に頷いていただろう。支配者の色だと、そう思っていただろう。でも、ボクは色を失った。鮮やかな地獄の中で呼吸すらままならない。どうやって生きていけばいいのか、それすらわからない。でも、そんな世界の中でも得られるものがあるというなら。それは多分、こういうことだ。そうして、そう思えるようになったのは、きっと。
――きっと。
「いつかまた、あのコートに立ちたいです。きみたちと一緒に」
「ああ、僕もその日を楽しみにしている。おかえりを、言わせてくれ。テツヤ」
「はい。待っていてください。いつか、きっと」
コートの上で黄瀬くんが楽しそうにボールを追い掛けているのが見える。きらきらとひかって眩しい。そんなことを赤司くんに言ったら髪の色からか?とからかうように言われた。いや、そうではない。だってボクは黄瀬くんの髪の色が分からない。
「赤司くん、黄瀬くんの色はなんだと思いますか?」
「涼太の?そうだな…強いていうなら黄色だろうか。髪もそんな色だし」
「…そうですか」
手元のノートを開いて黄色のページを開く。そこを見てボクは微笑んだ。
「ボクも、そう思います」


前を歩く黄瀬くんの横で向日葵が揺れていた。遅咲きの向日葵だと誰かが言っていたのを思い出す。
試合の後、黄瀬くんは見せたいものがあるんだといってボクの手を引いた。試合の後の汗ばんだ掌はやけに熱く、そこから伝わる熱が体内を循環して体温を上げているようだった。この温度を色にしたら一体どんな色になるのだろう。いつか黄瀬くんに聞いて見たいと思った。彼ならきっと笑って教えてくれる。
「黄瀬くん、きみが見せたいものって一体…」
「もうすぐっス!」
「もうすぐって、きみはさっきからそればかり…」
「はい!とーちゃく!」
「……っ!?」
そこは晴らしのいい丘になっていた。雲ひとつない青空が広がっている。その下を歩く黄瀬くんが言う。その声はあまりの穏やかだった。繋がれた掌の温度を忘れてしまうくらいに。
「最近ね、オレ、モデルの仕事している時。すっごく良くなったっていつも褒められるんス。やさしくなったねって、笑顔がすごい綺麗だよって。なんでだろーって考えてたんスけど、最近漸く気付いたんだ。それは黒子っちに色を教え始める前は一回も言われたことないことだったんだよ。黒子っちと一緒に生活するようになって、黒子っちに色を教えてあげるようになって。オレの世界は変わったんス。だって、知らなかったんだ。世界がこんなにも美しいんだってこと」
彼は何時も言う。なんでもないことのように、当たり前のことみたいに。名前を呼んで、くるりと振り向いて。首を傾げてこれ以上にないってくらいに楽しそうに笑いながら。
「今日試合を見に来て欲しいって行ったのは、ここに連れてきたかったからなんス。オレのとっておき。今まで一度も誰かに教えたことなんてなかった」
黄瀬くんの言葉はボクにとって祈りだった。極寒の地に差し込む僅かな春の陽射しのような。祈りは願いだという存在がいたけれど、ボクは祈りと願いは別のものだと思っている。願いは叶うもので、祈りは届くものだ。願いは叶わないかもしれない、けれども祈りなら届くかもしれない。たとえ自分が世界からはみ出した存在であろうと、それくらいなら許されるだろう?
「黒子っち、空の色、わかる?」
「ええと…ノートには水色だって書いてあります」
「うん。水色。雲ひとつない空の色。ここはね、その色が一番よく見える場所なんス。何かあった時、いつもオレは此処に来てた。そうするとね、心がすうっと軽くなって前向きになれる。ここの空の色はオレの一番好きな色――きみの色だね」
びゅうっと突然風が吹いて、遅咲きの向日葵を揺らした。世界中の音が消えてなくなってしまったかのように何も聞こえなくなる。誰かが耳を塞いでいるのかもしれないと思って片方の手を耳にやってみたけれど、そこには何もない。当たり前だ、耳が塞がれていたら黄瀬くんの言葉が聞こえない。
ボクは色が理解できない。黄瀬くんがボクの色だと言ってくれた空の色もボクは理解することが出来ない。理解できないものは怖い。怖いものは、愛せない。でも、それでもまた愛せるかもしれないと思えるようになった。
赤司くんの色を夕焼けの色だと言った時、赤司くんはひどく驚いて、それからその目をふんわりと細めて笑った。お前がそんなことを言うようになったのには驚いたな。涼太の影響かな?あいつは、いつも、やさしいから。確かにそうかもしれない。黄瀬くんのそばに居て、黄瀬くんに失った世界の欠片を拾い集めて、教えてもらって。そのやさしさに触れて。鮮やかな地獄の中でボクは呼吸の仕方を知った。「大丈夫だよ、黒子っち。オレがいる」その声が、言葉が、救ってくれたのだ。
いつか、黄瀬くんに伝えたい言葉があった。何回でも、飽きるくらいに。黄瀬くんが何度も何度も丁寧に慈しむように教えてくれる世界の欠片たちのように。
「…黄瀬くん」
「ん?」
「きみが色を教えてくれるから、ボクの破綻した世界はまた姿を取り戻していくんです。きみが教えてくれることで世界は修復され、鮮やかさを取り戻し、広がっていく。世界が広がっていったら、いつかボクは色をまた理解できるようになるかもしれない。そうしてもう一度、きみたちと一緒にまたバスケが出来るようになるかもしれない。そんな日がいつか、来ても」
色を取り戻す日が来ても、この失っていた世界のことを忘れないようにしようと思った。色が理解できなくなって初めて知ったことが沢山ある。自分の心臓の位置。世界のやさしさ。きみの掌の温もりだとか。そうして、いつか今日のことを笑って話せるようになれるといい。その時は一緒に笑って聞いて欲しい。隣にいて、きれいだなって思えた瞳を細めながら。
「きみは一番近くにいてください、――黄瀬くん」
黄瀬くんの、おおきな目がまんまるに見開かれて、それから何かを堪えるように数度瞬いた。いつもは元気なくせしてこういう時だけやけにしおらしくなるのだから、おかしいものだ。そう思いながらすこし高い位置にある髪に触れる。赤司くんが黄色だと言った色。周りに咲く向日葵と同じ色をしていることにボクは漸く気が付いた。
「黄瀬くん、ボクは黄色だけは分かるんですよ」
「…へ?」
ノートに書かれていた言葉を思い出す。こんなこと言ったら、きみは、笑うかな。

黄色:春の陽射し。まばゆいひかり。あたたかさ。

「黄色は、きみのいろだから」
――そう口にした時。目の前のひとがやすらかに、健やかに、本当にしあわせそうに微笑んだので。ボクもそっと、笑ってみせた。

//有海
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