黄黒♀ | ナノ


海に行きたいと言い出したのは誰だったっけ。少なくとも紫原っちでないのは確かだな、と思いながら黄瀬は隣にいる黒子を見つめた。ぼんやりと頭上に掲げられた案内を見つめる彼のアイスブルーは暑さのせいなのか、何時もより力がないように見えた。最高気温37度。体温に変換したら微熱レベルである。
海に行こうと言い出したのが誰だったかは思い出せなかったが、海に行きたい、と思ったのは確かだった。他の誰でもない、六人で。だから赤司が海に行こうと言ったときは小躍りしたものだ。しかも泊まりで!
どうやら訪れようとしている海辺の街に赤司家が所有する別荘があるらしい。彼は掃除しにいくという名目で、別荘の一日宿泊権をもぎ取ったのだという。我等がキャプテンながら策士である。
黄瀬と黒子に割り当てられた役目は、海辺の街までの切符を買ってくるというものだった。当日買うと余計な混乱を招く恐れがある(誰が、と赤司は言わなかった)ためだった。海辺の街は終着駅と始発駅の丁度真ん中くらいにある。黄瀬たちの街からは1時間ちょっとの場所だろう。手に持っている、預かっている全員分の切符代が入った封筒が乾いた音を立てた。
「あ、あそこですね」
はっとして顔を隣に向けると、黒子の細く白い指が案内板を指差していた。どうやらぼんやりとしていたのは駅を探していたかららしい。彼は時々予想の斜め上をいく行動をする。
「こっからだと1時間ちょいくらいっスか?」
「みたいですね、意外と遠かった」
アイスブルーの瞳が案内板を滑って黄瀬を捕らえた。途端に跳ね上がる鼓動をどうにかしたいと思いながら、僅かに微笑んでみせる。触れたら心地よさそうなアイスブルーは、黄瀬の心を雁字搦めにして離さない。離されたくもなかったのだけど。
恋は、その恋が続いている限り永遠であるという。ならばこの恋は永遠であるという確信があった。初めて心の一部を奪われたあの日から、黄瀬という存在はあますことなくすべて黒子のために存在していた。黒子の笑顔のために、美しい表情が陰ることのないように。
――恐らく一生告げることはない感情だという悲しい、しかし確かな予感だけがそこにあったけれど。
「終着駅まで行くんだったら、めちゃくちゃお金掛かるかと思ってたんスけど、意外にそうでもないんスね。三千円あれば行けるんだ」
「帰ってくるなら倍は掛かりますけどね」
「まあ、たしかに」
黄瀬の言葉に黒子はもう一度案内板を見上げた。この路線の終着駅。たった三千円ぽっきりでいけてしまう、世界の端っこ。
世界の端っこに黒子といけたら、どんなに幸せだろうと黄瀬は思った。二人で手を繋いで、帰りの切符など持たず、世界の端っこに向かう電車に揺られる。それはとても甘美な想像だった。
世界の端っこまでいけば自分たちを知るひとなどいなくなるだろう、そこでなら誰の目も気にせずに二人でいられるような気がする。結局のところ、黄瀬は黒子とずうっと一緒にいたいのだ。誰にも邪魔されないところで、黒子の隣に。叶わない願望は何時だって鋭く尖って心を突き刺す。その度に心の一番やわっこい部分が悲鳴をあげるのだったが、黄瀬はそう願うのをやめられないのだ。
「……当初の目的を忘れないうちにはたしてしまいましょう。黄瀬くん、お金は持ってきていますか?」
「当たり前っス!忘れたら何のために来たのか…はい」
白い指先が封筒を受け取り、そこから何枚かの紙幣を取り出す。少なくとも六枚はある紙幣を眺めながら、ああこれさえあれば端っこまで二人でいけるな、なんてことを考えた。実行する日はきっとないけれど。でも、実行しないと思いながら、それと同じくらいの強さで、終着駅までのボタンを押してしまいたいとも思っているのは確かだった。
「終着駅ってどんな場所なんスかねぇ」
「…終着駅?」
「うん、ほらあそこにあるじゃん?あそこってどんなとけなんだろって思って。終着駅っていうくらいだから寂れてるんスかね」
「きみは多方面に謝った方がいいと思いますよ」
「うぇ?!な、なんでっスか!?」
「そこに住んでいる方がきいたら激怒レベルだからです……まあでも、どんなところかは気になりますね」
「でしょ?どんなところなんスかねえ」
言いたかった言葉は喉の奥で固まったままだ。告げてしまえば楽になれるのは分かっていたが、そうしないのはこの関係を壊したくないからだ。関係を壊して全てなかったことになるくらいなら、一生このままの方がいい。その方がずっと一緒にいられる。
黄瀬の葛藤を知ってか知らずか、黒子は何時もの無表情を黄瀬に暫く向けてその表情を観察しているようだった。見つめ返したアイスブルーの瞳は美味しそうで、食べたら美味しいのかななんて馬鹿なことを考える。
「黒子っち、」
「はい」
「……いや、何でもないっス」
「……そうですか」
黒子は無表情にそう言って、手に持った切符を封筒にしまった。乾いた耳障りな音は、大音量で鳴き続ける蝉の声に掻き消されて消える。夏だな、と思う。
「黄瀬くん、」
「ん?なあに?」
自分でも思ったより甘い声が出たことに、何よりも黄瀬が驚いて、形の良い瞳をぱちぱちとさせた。黒子は感情を隠した表情で暫く黙って黄瀬を見つめていたが、ついに口を開くことなく背を向けて歩き出してしまう。
え、何これ?突然の出来事に対象出来ずに黄瀬はただ立ち尽くすだけだ。
「きせくん、」
もう一度黒子がそう、黄瀬の名前を呼んだ。真夏の陽射しの下、青空に同化するような髪を持つ彼は、青空に溶けるような表情をして黄瀬を見ていた。煩いほどの蝉の鳴き声が彼の口から紡がれる音楽を掻き消していく。
真夏に溶けるアイスブルーの瞳から目が逸らせない。

きせくん、ぼくはきみとなら――

「くろこっち」
「……さあ、帰りましょうか。帰りにアイスを買いたいので付き合ってください」
「え、あ、はいっス」
結局、黒子がなんと口にしたのか黄瀬には分からずじまいだった。
慌てて黒子の隣に並ぶと視界に広がるアイスブルー。何かに似ているな、と思って、ああ夏の空に似ているのだ。雲一つない真夏の空。普く光を内包した美しい色。
「暑いっスね。オレもアイス買おっかな」
「夏はまだ始まったばかりですよ」
半歩先を歩く黒子が歌うように告げた。指先からこぼれ落ちる光が真夏に溶けていく。
名前を呼んだ。彼が立ち止まり、振り返って笑う。青空の下、蝉の鳴き声と共に、永遠みたいに。






//有海
∴式日の繭
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