高黒 | ナノ


どうしても、喉から手が出るほど欲しいものがあった。けれどもそれは皆の【欲しいもの】でもあったから、誰ひとりとして手を出そうとはしなかった。欲して欲してどうしたって欲しいのだけれど、結局決定的な一言は最後まで言えないままで。もしかしたら、その均衡を壊してしまうのが恐ろしかっただけなのかも、しれなかったが。

――その均衡が崩れ去ったのは一体何時だったろう。
彼女がたった一人、別の高校に進学すればよかった。それなら均衡は崩れないままでいられたのに。なのに、彼女は、
「緑間くん、お疲れ様です」
よりによって緑間と同じ高校に進学したのだった。彼女――黒子に仄かな慕情を抱いている緑間にしてみればひどく嬉しいことに間違いないのだが、他のメンバーからしてみれば妬ましいことこの上ない。毎日毎日飽きもせず彼女の近況を尋ねるメールが届く。黄瀬にいたっては朝昼晩の三回だ。そんなことをするくらいなら直接彼女にメールをすればいいのだが、以前彼女が「しつこいひとはきらいです」だとかなんとか宣ったせいで、彼女の方にはあまりメールが届かなくなった。うまい手を使ったものだと思う。
「ああ、黒子はもう仕事は終わったのか」黒子は中学の頃と同じようにバスケットボール部でマネージャーをしている。非常に優秀なマネージャーだと先輩方からも好評だ。中学の頃から何も変わらない。黒子の評価も黒子と緑間の関係も。ただ違うのは、
「テッちゃんお疲れお疲れ〜。もう仕事終わり?」
「……高尾くん」
「ん?」
「いえ。高尾くんもお疲れ様です。お仕事は全て終わったのであとは帰るだけです」
緑間と黒子の間に入り込んでくる高尾和成という男だった。口にしたことはないが、緑間が唯一相棒だと認めている男である。
そんな高尾は何故だかは分からないが黒子のことをいたく気に入っているらしかった。鷹の目という、常人とは異なる特殊な目を持つ彼は、影が薄くしょっちゅういなくなる黒子のことを何があっても絶対に見逃さない。まるで最初から隣にいたかのような自然さで黒子の腕を掴み、テッちゃん、あんま俺から離れんなってば、と笑うのだ。
高尾は楽しそうに笑ってから、この後暇?と、どうとでも取れる台詞を口にした。
「暇、ですけど…それが何か…」
「じゃあさ、マジバ行かない?シェイクの割引券大量に貰ったんだよね。使わないと勿体ねーじゃん…あぁ、勿論真ちゃんも一緒だって」
「ついでみたいな言い方だな…」
「でも来るだろ?」
黒子は目を輝かせながら高尾が差し出した十枚綴りのバニラシェイク割引券を見ている。そういえば知り合いがマジバでアルバイトしているのだと以前言っていた。
確かに高尾の言う通り、緑間には行かない、という選択肢はない。個人的に自分が黒子と一緒にいたいというのも勿論あるが、それ以上に高尾と黒子を二人きりにしないよう赤司に言い含められていたのだ。今でも電話口で高尾のことを告げた後の、ぞっとするような冷えた赤司の声を思い出すだけで背筋が凍る。赤司を暴君か何かみたいに言うのは気が引けるが、あの時の赤司は正しくそれだった。思わず腕を摩った緑間を黒子が不思議そうに見つめた。
「それにしても今日はひとが多いですね。何かあるんでしょうか」
「駅前で祭があるみたいなのだよ。後で行ってみるか、黒子」
「あ、はい。いいですね」
「んじゃ、マジバの後は祭で決定!あ、そうだテッちゃん。はぐれないように俺の制服の裾掴んでな。ひと多いし」
ぴしり、と固まった緑間を他所に黒子は暫し逡巡した後、おずおずと高尾の制服の裾を握り締めた。ぎゅうっと握っているせいか若干皴になってしまっているが制服の持ち主は全く気にしていないらしい。ゆるりと笑って、はぐれんなよーと水色を撫でた。
「たっ高尾…!」
「ん?」
「おおおお前は何を…!」
「え、テッちゃんに制服の裾掴んでもらっただけっスよ」
「黄瀬の真似は止めるのだよ!あまり似ていないのだよ!…ではなく!」
「あっははは!真ちゃん動揺しすぎー」
「?ボク何かおかしなことをしたでしょうか…」
けらけらと笑い続ける高尾を見てげんなりとした気分になりながら、緑間は何でもないと黒子に向かって手を振った。ここで手を握るという選択肢を取らなかっただけマシなのかもしれない。自分の中学時代を思い出して眩暈がした。
それにしても、今ここに彼奴らがいなくて本当によかった。そうでなければ今頃高尾は生きていなかった――
「くくくくくく黒子っち?!な、なんで制服の裾なんか握ってるんスか!?」
「おいテツ、さっさとその制服離せ」
「なんなら俺が抱っこしてあげるよ黒ちん〜」
「……これはどういうことかな、真太郎」
そんなの、俺が聞きたい。
耳に嫌というほど馴染んだ声を受けて恐る恐る振り返った緑間の視界に広がるのは、あまりにカラフルな集団だった。いくら夏休みだからといったって、どうやったら示し合わせたように遠方にいる奴らまでばっちり揃うのだ。特に赤司と紫原。お前らいつ来たんだ。
ギャーギャーと騒ぎ立てる黄瀬と青峰を横目に、赤司の二種類の瞳がスウッと細められて高尾を捕らえた。きみが高尾くんだね?慇懃無礼といっても差し支えない態度で赤司が唇の端だけを持ち上げて笑う。キセキの世代の中では小柄な赤司も高尾と比べれば大した差はない。身長差のお陰で恐怖が若干薄れているといっても過言ではない(逆に仇になるときもある)のに、それを真正面から受け止められるとは、とこんな時なのに緑間は相棒の評価をまた少しだけ上げてから心の内で手を合わせた。死ぬなよ高尾…。
「あっ、どうも。洛山の赤司くんだよね」
「おや、ボクの名前を知っているとは」
「きみのことは大半のひとが知っていると思いますよ。お久しぶりです、赤司くん。どうしてここへ?」
「そんなの決まってるからじゃないか。テツナに会いに来たんだよ」
赤司にそう言われたのに、黒子は不思議そうな表情を崩さないまま曖昧に頷いた。黄瀬が黒子っち!一緒にお祭りいこ!と今にも飛び付きそうな勢いで言って紫原に羽交い締めにされていた。青峰といえば苛々した様子で高尾を睨みつけている。どうみても顔が堅気じゃない。
「……そういうことだから、高尾くん。テツナを返してもらっていいかい?」
「何がそういうことだからなのかさっぱりわかんねぇから無理かな」
「おい触覚、テツはお前のじゃねぇだろ。さっさと渡せ」
触覚とはどうやら高尾のことらしかった。紫原が確かにと神妙に頷く横で、黄瀬が堪えきれなかったのか吹き出す。しかし当の本人は侮辱されたにも関わらず平然とした顔で黒子の髪を撫でる。やけに挑戦的な顔をしているので確信犯なのだろう。
「やだね。第一テッちゃんはアンタらのものでもないし」
「……高尾くん、これは命令だ。テツナを返せ」
キセキの世代が聞けば無条件で従う声にも言葉にも全く動じず、高尾は笑う。
「あのさあ、前から思ってたけどその仲良しごっこどうにかなんねぇの?みんながテッちゃんのこと好きだからみんなで仲良く分け合いっことか理解できねーわ。俺だったら堪えらんないね。誰かのものにならないんだったら別に自分のものじゃなくてもいいなんて、本当はテッちゃんのこと好きじゃないんだろ?」
「高尾、お前は何を」
「真ちゃん、俺は真ちゃんのこと好きだし、これからも末永く仲良くしていきたいって思ってる。でも、お前にテッちゃんを取られんのは嫌だ。言ってる意味、分かるよな」
「………」
一斉に黙ってしまったキセキの面々を見て高尾は笑った。
誰かのものにならないなら自分のものじゃなくても。みんなのものだったら奪われる心配もないし、ずっと傍にいられる。多分、キセキたちは黒子の傍にいたいという気持ちが強すぎたのだ。傍にいたい、離れたくない、逃げられたくない。だったら、下手なことはしないほうが――。それが仇になるとも知らないで。
あまりの展開に付いていけず裾を握り締めたままぽかんとしている黒子に向きなおると、高尾は笑顔を引っ込めた。その顔を緑間は知っている。何かを成し遂げようとしている時の顔だ。そしてこの顔をするときの高尾は大抵失敗しない。
「あのさ、俺、テッちゃんのこと好きだよ。俺と付き合ってくれる?」
――多分。俺たちに足りなかったのは、こういうところなんだろうな、と思う。何かを捨てても手に入れたいと願う強い思い。たとえ世界を壊してでも。そうしていれば、俺の隣で彼女は微笑んでくれた、だろうか。
黒子は何が起こったかわからないという顔をした後、一瞬で顔を真っ赤にしてうろうろと視線をさ迷わせた。ぎゅうっと握りしめた裾が更に大きな皴になる。
そうして静かに口を開いて何か言葉を紡いでふんわりと笑いながら頷いた。
遠くから祭の賑やかな声が聞こえる。青峰が悔しそうに足元の石を蹴飛ばした。




//有海
∴愛してるより好きがいい
(title:亡霊)
らんさまの「黒子♀が秀徳に進学したIF話で、キセキが今まで牽制しあっていたのに、高尾が目の前で告白→黒子OK、と高尾がかっさらう」というシチュエーションで書かせていただきました。ご期待にはそえているでしょうか?リクエストありがとうございました。
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