黄黒 | ナノ


「……え」
送られてきたメールを見て、黒子は暫く固まったまま動かなかった。


二週間前。メールアドレスを交換しないかと持ちかけてきたのは黄瀬の方だった。それまでも黄瀬が贔屓にし、黒子が黄瀬に恋をする原因となった作家の本の貸し借りや感想の交換を細々と続けていた二人であったが、日々の忙しさ(帝光中の授業スピードに加え毎日やりすぎだと言われることもある部活をこなしているため、寧ろ時間があるほうが不自然だった)のせいでちゃんと落ち着いて会話が出来るのはせいぜい授業間の僅かな休み時間と、うまくいけば昼休み、部活後にある自主練習の後くらいなものだ。しかし黒子はともかく、多方面から絶大なる人気を誇る黄瀬の周囲には何時も誰かしらいて、二人きりになれることなど殆どない。なれたとしても女性との射るような視線のせいで常に背筋がひんやりとする。黄瀬もそれを分かっているのだろう、二人で話をするときはいつも決まって少しだけ申し訳なさそうな顔をする。それが黒子には不思議だった。
黄瀬が人気があるのは、偏に黄瀬そのものの人徳である。それは誇るべきものでありこそすれ、疎むべきものでは決してない。嫌われるのは簡単だが、好かれるのはとても難しいことをよく知っている黒子にとって、誰からも(というと語弊があるかもしれない)好かれ愛される黄瀬は眩しかった。眩しくて少しだけ羨ましくて――素敵だなあ、と思っている。だからこそ黄瀬が申し訳なさそうな顔をすることが本当に不思議で堪らなかった。そもそも誰かと会話をすることが苦手な部類にあたる黒子は、ただ黄瀬の姿を見るだけでも割としあわせなのである。
会話が出来なくても同じ教室に黄瀬がいて、きらきらとした表情で笑っている。それだけで十分と思えるほど、苦手だったはずのそれは今や一番好きなところに成り果てた。
黄瀬のことが好きだと思う。けれど、だからどうにかなりたいという気持ちはこれっぽっちも黒子にはなかった。その先を望まない恋というのもなかなか楽しいものである。青峰辺りは笑うかもしれない。

その日は丁度雨が降っていた。予想通り黒子の勝手な行動に最初こそ不機嫌さをあらわにしていた青峰も、結局男バス女バスレギュラー共々に二人の秘密(両キャプテンは気付いていたみたいだった)の練習がばれてしまったところで、漸く諦めたのか何も言わなくなった。二人きりの練習は今や男バス女バスレギュラー合同練習会になっている。まあ、当の青峰も男子とはまた異質の強さを持つ女子レギュラーとミニゲームを楽しみにしている節があるので、黒子からしてみれば何がそんなに気に入らないのかと首を傾げてしまったが。
黒子は体育館の屋根下で一緒に帰るために一人青峰を待っていた。当の青峰はじゃんけんに負けて鍵を職員室まで返却しに行っている。何時もなら桃井がいるが、今日は家の用事があるからとすまなさそうな顔をして先に帰ってしまった。雨が降りしきる空はどんよりと曇っていて、通常の時間よりも薄暗い。帰るときにあまり濡れなければいいが、と溜息をひとつ。
「あれ?黒子っち、まだ残ってたんスか?」
「……黄瀬くん、お疲れ様です。それを言うならこちらの台詞ですよ」
「ああ、オレは忘れ物を取りに行ってたから。明日の数学の課題やってなくて」
「それはそれは…」
呼び名が黒子サンから黒子っちに変わったのは、初めて言葉を交わしてからすぐのことだ。黄瀬曰く、認めたひとには「〜っち」を付けるのだという。自分のどこを認めたのか甚だ疑問ではあるが、その特別な呼び名に少しだけ心が弾んだのは秘密にしておこう。
黄瀬はお気に入りらしい黄色の傘を器用にくるりと一回転させると、止まないっスねと空を見上げた。釣られて見上げると広がるどんよりとした空。
「黒子っちは青峰っちを待ってるんスか?」
黒子の足元に置かれた青峰の、お世辞にも綺麗とは言い難いバックにちらりと視線を遣って、黄瀬はこてんと首を傾げた。少しだけ不満そうな顔を見て、もしかして黄瀬くんは青峰くんと一緒に帰りたいんでしょうか、でも逆方向ですし、と考えながら取り敢えずそうですよと頷く。
「黒子っちと青峰っちって仲良しっスよね。どういう関係なんスか?」
「どういう、とは?」
「え、だから付き合ってるとか…」
「ボクと青峰くんが?まさか。青峰くんはボクの目標であり、良きチームメイトですよ。青峰くんがどう思っているかは知りませんが」
「そうなの?!毎日一緒に帰ってるから、てっきり付き合ってるのかと…」
「別に毎日一緒に帰っているわけではありませんし、それを言うなら桃井さんも一緒ですから。どちらかと言えばボクよりも桃井さんの方がそういう意味では近いんじゃないですか?幼なじみですし」
「ふぅん…そっか…」
黄瀬はどこか安心した顔になって、それからどうして自分がそんな顔をしたのかわからない、と今度は不思議そうな顔をした。勿論、黒子にもわからない。
青峰はまだ来ない。
そういえば、黄瀬くんと二人きりになるのは久しぶりですね、と黒子は思った。クラスでは何時も誰かしら隣にいる。部活ではそもそも時間帯も場所も違うから会うことはなく、会えても青峰をはじめとする部活の仲間が一緒だ。こういうときどんな話をしたらいいのかなんてさっぱりわからない。というよりも、もともとそこまで自ら進んで会話をするようなタイプではないので当たり前なのかもしれない。クラスの常に黄瀬に纏わり付いている女子だったらこんな沈黙をあっさり破ってしまうのかな、と思うとなんだか微妙に切なくなる。
と、思っていることが全く表情に現れないのが黒子のすごいところであった。
黄瀬は黒子の隣に立ったまま何も言わず、帰る気配を見せない。青峰を待っているのだろうか。
嫌な沈黙ではない。ただ、少しだけ苦しい。黄瀬の傍は何時だって少しだけ空気が薄いのだ。
「あのさ、」
恐る恐る、とても脆いガラス細工に触れるような繊細さで黄瀬は音を紡いだ。弾かれるように顔を上げると、黄瀬の、鮮やかな黄色の瞳が見える。世界中の光を凝縮したような色。
「黒子っちってケータイ持ってるっスか?」
「ケータイ?持ってますけど、それが何か…」
「その、さ。よかったらアドレス交換しないっスか?学校じゃゆっくり感想とか聞けないし、メールならと、思って…」
声が僅かに震えているのに気付く。けれども、黒子には何故黄瀬の声が震えているのか皆目検討も付かなかった。付いていたとしても即座に否定していたに違いないのだが。
語尾を震わせ、視線をさ迷わせながら言葉を紡ぐ黄瀬はまるで知らないひとみたいだと、無表情の裏で思う。そんな顔すら美しいのは卑怯だ。
「構いませんが、ボク学校にはケータイを持ってきていないので…えぇと、赤外線?でしたか?は出来ないんですよ」
「あ、それなら大丈夫!紙に書いてあるから…はい!これっス!」
「あ、ありがとうございます…」
くしゃくしゃになったメモ帳の切れ端に、あまり綺麗とは言い難い文字が羅列してある。いつ書いたのだろう、わからないそれを黒子は宝物か何かを受け取るような気持ちでそうっと摘んだ。走り書きにも見えるそれを確認しながら黄瀬を窺い見ると、一仕事終えたかの如き表情をしていた。何故だ。
メールしますね、と言いながら、そういえば携帯にアドレスを登録する二人目の男子になるな、と思った。一人目は勿論青峰だ。あの日、初めて黒子と青峰が出会った、青峰が黒子を見付けた日に交換した。あの日から黒子の携帯のアドレスの一番頭は青峰だ。黄瀬は青峰の次になるだろう。チームメイトにもカ行はいたが彼女の苗字は桐生である。
二人目です、と黒子が言うと黄瀬は何が?とまたこてん、首を傾げる。携帯のアドレス帳に登録する二人目の男の子ですよ。……一人目は?青峰くんですけど。
「……ねぇ、それ、本当に付き合ってないんスか」
テツ!下駄箱の向こう側から名前を呼ぶ声がしたので思わず振り返る。廊下の向こう側から青峰が急ぐわけでもなくゆったりとした足取りで歩いて来ていた。腹立たしいことにイチゴミルクのパックを持っている。大方、職員室までの途中にある自動販売機で買ったのだろう。ひとを待たせておいていい身分だ。
青峰は黒子の隣に並ぶ黄瀬に気付くと、すうっと目を細めて普段より少しだけ低い声で黄瀬まだ残ってたのかよ、とだけ言った。
「青峰くん、きみはひとを待たせておいて何をジュースなんか飲んでいるんですか」
「んな怒んなよ。喉渇いたんだって…ほら、テツの分な」
「全く…でも、ありがとうございます。あ、そういえば黄瀬くん、さっき何か言いかけていませんでしたか?」
「……んーん、何でもないっスよ!」

◇◆◇

そのメールを何度も何度も呆れるくらいに読み直して、取り敢えずどうしたらいいか分からずに携帯を閉じた。黄瀬から送られてきたメールは「良かったら明日オレんち来ないっスか」で始まっている。



家に帰って早速教えてもらったメールアドレスに慣れない手つきでメールを送れば、一分と経たずに返事が返ってきた。『メールありがとう!雨大丈夫だったスか?風邪引かないようにあったかくしてね』黄瀬が女子から人気が出る理由を垣間見た気がする。こういう気遣いが無理なく出来るひとなのだ。
黒子はメールが苦手だ。というよりも慣れていないといった方が正しい。故に返事をするのにも沢山の時間を掛けてしまう。黄瀬が一分で返事を返してくればその十倍。文面が長ければ長いほど時間が掛かる。はっきり言ってメールは面倒だ。ちまちまと小さなボタンを押しつづけるのは性に合わない。けれど、カコカコと両手の指を使ってゆっくりではあるが懸命にメールを作成するのは。
メールのやり取りは毎日行われた。最初は読んだ本についての意見交換だったが段々と本以外の話題も増え、最近では何でもない世間話をすることが多くなった。『今日の課題終わらないっス』『そういえばバスケ部って合宿とかあるの?』『練習お疲れさまっス!黒子っち、疲れてるみたいだから今日はゆっくり休むこと!』送られてくるメール一つ一つが黄瀬という存在を表現するようだ。
黄瀬は必ず返事を返してくれる。何時もメールを様々な理由(大半はもう寝るから、という理由だ)で切ってしまうのは黒子の方だった。だから、黒子が朝起きて一番最初に見るのは黄瀬のメールである。それが最近は少し擽ったい。

話を戻そう。
その時はこの間出版されたアンソロジーの話をしていた。二人のお気に入りの作家が寄稿していたのだ。そこで黒子が彼の本を集めているのですが、なかなか大変ですと言った。数が沢山あるので学生という身分では限界がありますから。
そのメールに対する返事が先程のものだ。全文を載せるとこうなる。
『良かったら明日オレんち来ないっスか。オレ、あのひとの本全部持ってるから、黒子っちが読んだことない本貸してあげられるっスよ!ただ量が沢山あるから自分で選んでもらった方が確実かなって…。黒子っちさえ良ければ、だけど…』
「これはどう返事をしたらいいんでしょうか…」
黄瀬がそう言ってくれたのは嬉しい。本を見に行けるのも嬉しい。でも、だからって家にまで押しかけていいものだろうか。迷惑ではなかろうか。今までこんな経験がなかったからどうしたらいいのかさっぱり分からない。余談だが黒子は一度だけ青峰の家に行ったことがある。まあ、あれは問答無用で連れて行かれた、のほうが正しかったけれど。
「……本を借りに行くだけですしね」
結局意識しているのは黒子だけだ。黄瀬からしてみれば女子を家に呼ぶなど日常茶飯事なのかもしれない。モデルだし。
よく分からない理屈を付け、何時もの倍の時間を掛けてよろしくお願いしますの十一文字を打った。



「ここが俺の部屋。本棚にある本好きなの勝手に取っていっていいっスから!オレは飲み物取ってくんね。紅茶平気?」
「あ、はい。平気です、ありがとうございます」
黄瀬が出て行った部屋はやけに広く感じた。多分そう感じたのは間違いではない。だって黄瀬の部屋は黒子の部屋より明らかに広い。一見して男子の部屋とわかるその場所で恐る恐る触れた床は冷たい。(ベッドにくまの縫いぐるみがありません…って男の子なんですからないのは当たり前ですね)
無意識のうちに自身の部屋と比べていることに気付いて溜息つくと、視線を本棚に固定した。なるほど、彼のひとの著作が沢山並べられている。どうやらシリーズ順にきっちり並べられているらしかった。実は几帳面なんだろうか、知らなかった一面を見ることが出来た気分を味わいながら、ゆっくりと扉を開いて一冊本を取り出す。そういえばまだこれは読んでいなかった。ハードカバーのそれはずっしりと重く、その重さが堪らない。この掌にかかる負荷が愛しいのだ、思いながら表紙をめくる。
「涼太ー、この間の雑誌のことなんだ、け、ど…………」
「……っ?!」
ぼうっと本を見ていた黒子は、突然割って入った声にびくりと大袈裟に体を震わせた。黄瀬じゃない、女のひとの声だ。声から察するに相手も相当驚いたらしい。続きが紡がれることはない。錆び付いた音をさせながら発声源を見遣ると、一人の女性が立っていた。鮮やかな髪の色、整った顔立ち。どこかで見た顔だ、一体どこで―――
「……涼太の彼女?」
「いえ、ボクは黄瀬くんのクラスメイトの黒子テツナといいます。本をお借りするためにお邪魔しています」
「ああ、あなたがテツナちゃんね…なあんだ。てっきりもう涼太と付き合ってると思ったんだけど。わたし、涼太の姉です。よろしくね、テツナちゃん……ところで、」
「はい」
「あのさあ、本当に付き合ってないの?別に嘘つかなくても」
「ついていません!」
「……ふうん。でも珍しいな、涼太が女の子家にあげるの」
「え?」
姉と名乗った女は至極楽しそうに唇を緩めると、綺麗に色が付いた指先で眦に触れた。
「ねえ、テツナちゃん。テツナちゃんは涼太のこと好き?」
「あの、それはどういう意味でしょうか」
「一般的な意味でよ。まあ、どんな意味でも構わないのだけど」
黒子は暫くなんと答えたらいいか分からずに黙っていたが、答えないのもあれかと思って最終的に小さく頷いた。女は嬉しそうに、そうと言う。
「涼太ってちょっと周りと変わってるから付き合うの大変かもしれないけど、そこを除けばいい子だから良かったら仲良くしてあげてね。あなたみたいな子が多分、一番涼太には必要だと思うし」
「はい、それは勿論です。黄瀬くんにはいつも仲良くしてもらって…」
「うふふ。ありがとう。そしてあわよくば涼太のかの――」
「ストップ!姉ちゃん?!ちょ、ちょっと何やってんスか!?」
「……ちょっとぉ…今いいとこだったんだから邪魔しないでよ、涼太。ねー?テツナちゃん!」
「あ、ええと…」
「黒子っち困ってるじゃないスか!?あああもう何言ったんスかアンタ?!ていうか何言おうとしてんスか?!」
「姉に向かってその口の聞き方は何!?殴るわよ?!」
最後に黄瀬の姉が黒子に掛けた言葉は、飲み物を持ってきた黄瀬の悲鳴にも似た声で遮られてしまった。黄瀬は大慌てで部屋に入ってくるとその勢いのまま姉を部屋から追い出して扉を閉めてしまう。結局黒子は最後の言葉を聞けず仕舞いになる。
ふーふーと威嚇する猫のように息を荒げていた黄瀬だったが、水を飲んだら落ち着いたのかへにょりと眉を下げて心底申し訳なさそうに、ごめんねと言った。
「いえ別に大丈夫です。勝手にお邪魔しているのはボクなんですから」
「でも!姉ちゃんに何か変なこと言われなかったっスか?大丈夫?」
「大丈夫です。黄瀬くんはお姉さんと仲がいいんですね」
「全然!話しててもすぐ喧嘩になるしすぐパシリにされるしお菓子は勝手に食べられるし…」
「でも、黄瀬くんがあんな風に誰かと話すのをボクは初めて聞きました。喧嘩が出来るというのはそれだけ心を許しているってことなんじゃないでしょうか。ボクは姉弟がいないのでそういうのが少し羨ましいです」
「……黒子っち」
「いいお姉さんをおもちですね、黄瀬くん」
「…そうっスかねぇ」
「ええ。だって黄瀬くんのお姉さんなんですから」
初対面のクラスメイトにだってあんなことを言えるひとなのだから。
黒子が何とは無しに言った言葉に、黄瀬は目をぱちくりとさせた。それから照れたように頬を掻きながらもう一度そうっスかねぇと小さく呟く。だから黒子ももう一度、今度は瞼を下ろし少しだけ微笑みながらそうですよ、と告げた。
「あ、そうだ黒子っち。黒子っちは何色が好き?」
「……?意図がわからないんですが」
「なんかお菓子でもあれば良かったんだけど、飴しかなくて。赤と緑と紫と黄色があるっス。えっとだから、いちごとメロンとぶどうとレモンかな」
「……じゃあ黄色を」
「黒子っち黄色が好きなんスか?」
「好きっていうか……まあ、好きですね」
「そうなんだ!オレも黄色好きなんスよ。苗字に入ってるし。おそろいっスね」
「……はい、おそろいですね」




遠くから烏の鳴き声が聞こえてくる。
あの後、すっかり本の話で盛り上がってしまい、黒子が黄瀬の家を出る頃には五時を少し過ぎてしまっていた。時間を忘れて何かをしたのはバスケ以外では久しぶりの感覚だった。
黒子は別に一人で帰ることが出来るし、何よりそこまでしてもらうのは申し訳ないと言って何度も断ったのだが、頑なに送ると言って聞かない黄瀬に最後には根負けし、黒子っち送ってくる、と姉に(彼女はまたね、と手を振ってくれた)言う黄瀬の背中をぼんやりと見つめていた。筋のしゃんとした綺麗な背中だ。触れたらどうなるんだろうと思って、そう思ったことが不思議だった。ずしりと手に持った本が重量を増やす。
「じゃ、行こっか。はい」
「?」
「荷物、持つっスよ。それ、重いでしょ?」
「いえ。別に大丈夫ですよ。ありがとうございます」
「いーから!」
「あ、ちょっ…」
引ったくられるように奪われたそれは、黄瀬が持つと小さく見えた。黄瀬に荷物を持たせていると知られたら学校中の女子からバッシングをくらいそうだな、とあながち間違いでもないことを考えて、微かに頭痛がする。けれど、行こ?ときらきらした笑顔を見ているとそんなこともすぐにどうでもよくなって、黒子は何時もの無表情のまま黄瀬の隣に並んだ。遠くでまた烏が鳴いた。
「今日は長々とお邪魔してすみませんでした。本も沢山お借りしてしまって」
「これくらい全然いいっスよ!寧ろ黒子っちなら大歓迎っていうか…」
「え?」
「あ!いや!で、でも今日は沢山話が出来て嬉しかったっス。学校じゃあんまり、話出来ないし」
「そうですね」
相槌を打ちながらそうっと隣を歩く黄瀬の様子を盗み見た。その横顔は何を考えているのかよくわからない。よくわからなかったが、夕焼けに照らされたそれは美しい。
じいっと見つめる黒子に気付いたのか、黄瀬が不意に黒子の方を見て、どうかした?とそれはそれは柔らかく微笑んだ。
「いえ、」
「そうっスか?で、何の話をしてたっけ…そう!学校じゃあんまり話出来ないから、えっと、だから、その」
黄瀬は何度かえっと、だとか、その、だとかを繰り返し、落ち着きなく瞳をきょろきょろとさせた。黒子はその度に落ち着かせるように静かにはい、と繰り返す。はい、なんですか、黄瀬くん。えっと、だからね。はい。だから…。はい、大丈夫です、ボクはちゃんと聞いています。
「だから、もし良かったらまたオレと――」
「……テツ?」
不意に聞こえた声に黒子も黄瀬も同時にびくりと大袈裟に体を震わせて声がした方を向いた。
「あおみねくん?」
立っていたのは青峰だった。青峰は一瞬ひどく驚いた顔をして、しかしその表情をすぐに消して目を細めた。その顔は機嫌が悪いときにする表情だということを黒子は知っていたが、どうしてそんな顔をするのかがわからない。黄瀬が動揺したのか一歩後ろに下がる。
「予定ってこれかよ」
睨みつけるような視線は刺すようにひりひりと痛い。どうしてそんな顔をされるのかも分からない黒子は、けれども普段通りの無表情を崩さないまま少しだけ黄瀬へ近寄った。こんな青峰は知らない。怖い。
「ちょ、青峰っち。そんな怖い顔しなくてもいいじゃないっスか。黒子っち怖がってるっスよ」
青峰は何も言わない。
段々黒子は自分がイライラするのが分かった。確かに青峰に一緒にバッシュを見に行こうと誘われたのは事実だったけれど、予定があるからとちゃんと謝罪の上で断った。しかも黒子だって曲がりなりにも女である。折角好きだと思うひとと一緒にいるのに、これでは水をさされた感じだ。正直鬱陶しい。ただこうして出会っただけなのになんでこんな顔を向けられなければならないのか。
イライラをぶつけるように青峰くん、と僅かに尖った声で名前を呼ぼうとした瞬間だった。
「……?!え!?」
ギリギリと痛いくらいの力で青峰が黒子の手首を掴んで引っ張った。ぐらり、バランスを失った体はしかし日ごろの練習のお陰か倒れることはなく、そのせいで青峰のされるがままになってしまう。
――そのまま歩き出そうとする青峰に引きずられそうになった体を腕を掴んで止めたのは、他でもない黄瀬だった。
何かを堪えるような、そんな顔をして、ああ、あの笑顔が消えてしまったとぼんやり思う。
「き、せく」
「…!あ、えっと、黒子っち、その、……これ、本…今日はあり、がと、う」
「あ、はい。こちらこそありがとうございま…ちょっと!青峰くん!引っ張らないでください!痛いです!」
青峰は何も言わないまま一旦は黒子が受け取った袋を引ったくると、手首を掴んだままずんずんと進んでしまう。勿論青峰に勝てるわけがない黒子は引きずられるようにしてついていくしか出来ない。慌てて顔だけで振り向いてまた明日!と叫ぶと、黄瀬の顔がくしゃりと歪んだのが分かった。正面を向く青峰の表情は分からなかった。



「青峰くん、どうかしたんですか?」
「……」
「……そろそろ本格的に手が痛いので、離してもらえると嬉しいんですが」
「……」
「……あおみねくん、聞こえていますか」
痛い、と言えば心なしか歩調は弱めてもらえたものの、依然として腕を掴む強さは変わらない。知らない、こんなひと。黒子の中の青峰はこんなことをしない。
あおみねくん、どうしたんですか。
何度目かの呼び掛けに、ぴたりと青峰の足が止まった。がさり、青峰が持つ袋が揺れる。
「俺の方が先に見つけたんだ」
「…青峰くん?なんのはなしですか?」
「俺が、誰より先に――」
遠くで烏が鳴いている。青峰の表情は、分からない。





//有海
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