黄黒♀ | ナノ


「なにそれまじ笑える!」
男子の一人が大きな声でそう言うと彼の周囲の人間がつられてどっと笑った。現在の時刻、十時三十分。三時限目が始まってすぐの時間である。本来ならば粛々と授業が進んでいる(しかも今日は水曜日、水曜日三時間目といえば黒子の好きな国語の授業だ)はずの時間であるにも関わらずどうしてここまで煩いのか。その理由は簡単で、国語の授業が急遽自習になったからである。体調不良だか急の呼び出しだか理由は定かではないが、国語教師は自習にすると一言告げた後大慌てで教室を出て行った。勿論、課題など指定していない。
課題の指定されない自習ほどやる気の出ないものはない。次の授業の課題(四時限目の数学教師が課題をやってこない生徒に対してとても厳しいことは、校内でも有名である)を必死にやっている人間を除けば、その他は銘銘好きなことをして過ごしていた。その筆頭が黒子の前方に集まっている数人の男子の集団だ。所謂ムードメーカーと呼ばれるクラスの中心人物たちが集まって騒いでいるのだから、それはそれは煩い。かといって彼等を注意する人間がいるはずもなく。静かに読書に勤しみたい黒子にとっては、はなはだ迷惑な話である。
また誰かが面白いことを言ったらしい。どっと笑いが起きる。男子たちの周囲の席の他の生徒たちも話に加わりこそしないものの、楽しそうに笑っていた。
うしろの席に座るチームメイトの最上が、自習は全て静かにあるべきだ、とぽつりと呟く。その言葉に無意識にそうですねと返す。
ふと、その男子の集団の中にいつもいるはずのひとがいないような気がして、黒子は視線を彷徨わせた。きらきらひかる金色の髪は黒で埋め尽くされた教室では圧倒的な存在感を放つ。もともと色んな意味で存在感の塊のようなその人は、窓際の席で真剣な顔をして何か一生懸命読んでいるようだった。席が離れている黒子には、彼が一体何を読んでいるのかなんて分からない。大きな背中を丸めている姿と真剣な表情のギャップ、何だか可愛かった。そう思った自分が不思議だった。
「おーい、黄瀬!ちょっとこっちこいよ!村上のやつがさ、この間言ってた雑誌持ってきてんぞ!」
「まじっスか!」
クラスメイトの声に反応した【黄瀬】は手元に視線を落としたまま立ち上がって、集団の前までゆらゆらと歩いていく。そこで黒子は漸く彼が読んでいた物が本、しかも文庫本ではなく割と量のあるハードカバーだと気付く。それにしても彼が読書をしているところなど初めて見た。
黄瀬はクラス替えで初めて同じクラスになった男子だ。今年の春から黒子と同じバスケ部員(勿論彼は男子バスケ部、黒子は女子バスケ部)で、入部したばかりだというのにあっさりレギュラーの座を勝ち取っていった、所謂天才肌である。更に幼少からモデルの仕事をしているというだけあって見目も好く、その無邪気な人懐っこさが周囲に受け女子だけでなく男子からも圧倒的な人気を誇った。
しかしその実、入学当時からあらゆる噂の的だった彼と割りと近しい距離にいるのに意外にも黒子は彼と話をしたことがない。同じクラス、同じ部活になって早二ヶ月。そんな簡単に人は仲良くはなれないのだなと身を以って体感する時期だ。まあ、別段仲良くなりたいという気持ちがあるわけではないが、男バスで一番仲のいい青峰がたまに彼の話をするので、なんというか、つまりそういうことだ。
「つか黄瀬、さっきからなにやってんの?」
「読書っス」
「うわ!黄瀬が読書とか気持ち悪っ!」
「ひどい!」
「お前が読書とか明日槍が降るんじゃねぇの?」
「ありえるわー」「ちょっ…ちょっと…俺の扱い、これはいかに…」
「日頃の行いだろ」
「理不尽!」
ともすれば辛辣な言葉を投げられているのに、黄瀬は楽しそうに笑っている。そういえば、黒子は黄瀬の笑っている顔以外見たことがないのを思い出した。いや、もしかしたら見たことはあるのかもしれないが、笑顔があまりにも印象的だったので。
暫く集団のメンバーにいじられていた黄瀬であったが、誰かが「その本どんな本なの?」と聞いた瞬間、笑顔を更にきらきらさせた。気づけば目を細めてあの辺眩しいなあと思っている自分がいて、よくわからない。
首を傾げながら後ろの席を振り返ると(振り返ったはいいものの、何を言うかは考えていなかった)、最上は真剣な顔をして『罪と罰』を読んでいた。おいそれと声を掛けられるような状況ではなかったので、そのまま前に向き直る。心なしか後ろの空気が重い。かといって前を向いたら向いたで黄瀬の笑顔が視界に入ってしまって何だか居心地が悪い。なんだこの状況。
黒子はとうとう耐え切れず顔を机に伏せた。机のひんやりとした温度が気持ち良い。
「これ、ミステリーなんスけど」
ミステリーという言葉が耳に入ってきて、思わずぴくりと肩が動いたのが自分でもよく分かった。何を隠そう、黒子は今まさにミステリーというジャンルに手当たり次第に手を出している状態、平たくいえばハマっている。その本がミステリーだと聞いて好奇心から顔を上げたくなるが、またあの笑顔を視界に入れなければならないと気付きなんとか踏み止まった。
「オレが小学生の頃から続いてるシリーズの最新作なんスけど、毎回欠かさず読んでて」
「へー。ミステリーなんだしやっぱり人死んだりすんの」
「まちまちっスかね。話によるかも。まあそれはおいておいても、とにかく面白いんスよ!」
「いや、そんなに力説しなくても分かったから!お前がその本好きなのは!」
「黄瀬くん気持ち悪い」
「なんで!?」
――なんというタイトルの本なんだろう。
心に浮かんでくる言葉はそればかりだった。読書は苦手だと公言して憚らない黄瀬をそこまで夢中にさせて、あんなに真剣な表情をさせる本。しかもミステリー。せめてタイトルさえ分かれば、とは思うものの、一向に黄瀬がタイトルを口にすることはなく。
意を決して顔を上げタイトルを盗み見ようとするもが、丁度表紙が下を向いているため知ることも出来ない。悔しい。あまりにも悔しいものだから、あの本は自分にこそ読まれるべきだとかよく分からない思考が脳裏を覆い尽くして、穴があったら入りたい気分になる。一体何様のつもりだ自分は!
「……あの、最上さん」
「なに、テツナ」
「黄瀬くんが読んでいる本のタイトルとかって知ってます?」
「黄瀬?」
いきなり尋ねたにも関わらず最上は律儀に返事をして、栞を挟まずに本を閉じた。形のいい瞳を細めて黄瀬を見る表情は鋭利な刃を思わせる。
「知らない。なんで?」
「いや、あの本面白いって言っていたので…」
「そんなに知りたいなら自分で聞きなさい」
「うっ…最上さんは痛いところを…」
「残念、正論」
心底呆れた顔をして(理不尽だ!)最上はまた読書を再開してしまう。黒子といえば当たり前のといえば当たり前の正論を返されて、頭を抱えた。
別に男子が苦手というわけではない。ないが、なんというか、あれだ、黄瀬は別だった。黄瀬に話し掛けるのは怖い。多分あの無駄にきらきらした笑顔が苦手なんだろうと思う。
という話を青峰にしたら心の底からわけが分からないという顔をされ、腹が立ったのでイグナイトを華麗に鳩尾に決めたのはつい最近の話である。
というか、
「(青峰くんに聞けばいいんじゃ…)」
何だかんだいって仲が良い二人である。青峰が黄瀬と本の話をするだなんて想像もつかないが(彼は夏目漱石も知らなさそうである。偏見ではない、断じて)、黒子が黄瀬と会話出来ない以上頼れるのは彼だけだ。
今日の部活終わりに聞いてみよう、どうせ一緒に練習をするのだから。決意を新たに黒子はもう一度黄瀬の大きな掌の上にある本を見つめた。


◇◆◇


一通りの練習が終わった後で、黒子は皆への挨拶もそこそこに青峰との約束の場所へ向かった。と言うと少女漫画的展開が広がりそうだが、なんてことはない、二軍用の体育館へ向かっているだけである。
何時も黒子の方が先に到着しているのだが、今日は珍しく青峰が先に来ていた。おや、珍しいですねえなどと心中で呟きながらそっと体育館に足を踏み入れる。無意識に気配を殺して背後から近付くのは、青峰を驚かせるためだ。
「あおみねくん」
「うわああああ!?だっだれ…ってテツしかいねぇよな!?何してんだよお前!」
「青峰くんはいつも驚いてくれるので脅かし甲斐があります」
「お前本当にいい性格してるよな…」
「ありがとうございます」
「ほめてねーよ!」
知っていますよ、それくらい。そういうと青峰はげんなりした表情をみせた後、バスケすっぞ!とボール片手にその場で大きく伸びを一つした。
練習を始める前に件の話をしようかとも思ったが、乗り気になっている青峰の機嫌を損ねるのも如何なものかと思った黒子は、そうですね、と無表情に同意した。後で聞けばいいのだ、どうせ一緒に帰るのだし。ああそういえば桃井も一緒だったか。ならば二人で頼み込むのもいいかもしれない。桃井は大体の場面において黒子の味方でいてくれる。そんなことを考えながら、黒子は名前を呼ぶ男の元へ走った。
――体育館の入口付近で誰かがその様子をそうっと伺っていたことに、残念ながら二人は気付かないままだった。


夢中になって練習を終えた後、汗をかいたまま床に寝そべったまま動かない青峰に痺れを切らした黒子はタオルを手に青峰の紺色の髪を拭いてやろうと手を伸ばした。存外素直に手を掴んで起き上がった青峰は大人しく髪を拭かれている。その様はまるで親子のようだ。
さんきゅーと呟かれた言葉に溜息を以って返す。
「青峰くん、髪くらい自分で拭いてください」
「めんどい」
「意味わかりません」
「いーじゃん、テツが拭いてくれんだろ」
「そういう問題ではありません」
「じゃ、どういう問題だ」
「……さあ」
「さあっておま」
青峰はされるがままになりながらもそう言って、呆れた表情になった。青峰の髪は見た目に反して猫っ毛なので、触れる分には心地好い。
これじゃまるで母親だ、と内心おかしくなりながら黒子は漸く本日の目的を口にするべく青峰の肩を軽く叩く。桃井の仕事が終わり二人を迎えに来るまでまだもう少しだけ時間がある。桃井の加勢を頼むなら今言う必要はないのだが、気になることはさっさと口にしたい性分なのだ。早いところこのよくわからないもやもやから解放されたい。
「ん?どうした?」
「青峰くんって黄瀬くんと仲いいですよね?」
「黄瀬ェ?いや別に」
「仲いいですよね?」
「脅迫か!ま、仲いいとかわかんねぇけど、話はするな」
「ちょっと聞いてもらいたいことがあるんですけど」
「俺に?」
「ちがいます。『きみから黄瀬くんに』聞いてもらいたいことがあるんです」「……………………………いやだ。つーか黄瀬に聞きたいことあんなら、自分で直接聞きゃあいいだろ」
「出来ないから頼んでるんじゃないですか」
「あー、そういえばお前、黄瀬のこと苦手つってたか」
「はい」
「………………………やっぱり嫌だから自分で聞け。俺に頼むな。何か気分悪ぃ」
細められた瞳は今までに見たことのない色をしていた。こんな青峰を黒子は知らない。
もしかして怒らせてしまったのだろうか。改めて考えてみると、青峰が怒るのも至極当然と言えよう。要するに伝書鳩になってくれと言っているのと同じだ。いくら温厚な人間でもきっといい気はしないだろうし、短気で知られている青峰なら尚更だ。怒って当たり前、寧ろどうして自分は怒られないで受け入れてもらえるなんて、そんな甘えたことを思ったのだろう。
自分の目的しか見えていなかったという現実を突き付けられたことで、黒子は漸く平静を取り戻した心地になって小さく息を吐いた。謝らなければならない。優しいひとに。
「あおみねくん、ごめ――」
「テッちゃーん!青峰くん!遅くなってごめんね!」
黒子の言葉は勢いよく体育館に駆け込んできた桃井によって遮られて青峰には届かなかった。
「おせーよさつき」
「ごめんごめん、仕事が長引いちゃって…。さ、帰ろ!」
宙ぶらりんになった言葉に黒子がどうしたらいいのか戸惑っている間に、青峰は壁際に置かれていた自身と黒子の鞄を軽々持ち上げて、一言も発することのないまま体育館を出ていく。拒絶にも似たその行為は、黒子を酷く動揺させた。
流石の桃井も不思議に思ったようで、どうしたの青峰くんと首を傾げている。
「青峰くんを怒らせてしまったんです」
「テッちゃんが?」
「はい。……嫌われてしまったかもしれません」
黒子の言葉に桃井はきょとんと目を丸くして、それから外の暗がりを見つめた。その表情は何かを考えているようで。
その瞳は、駄々っ子を見た母親のように、優しい。
「そんなことあるのかなあ」
ぽつり、零された声に咄嗟に反応出来ず、思わず聞き返してしまう。
桃井は視線を黒子に戻して小さく笑った。おかしくてたまらないといった表情である。理由がわからない黒子は首を傾げるばかりだ。
「本当に、そんなこと、あるのかなあ」
楽しそうな声が体育館に響く。


◇◆◇


二週間が経った。あれから青峰、というより他人を頼ることなく自らの力で黄瀬からタイトルを聞きだそうと涙ぐましい努力を続けている黒子ではあったが、成果は芳しくない。そもそも黒子は黄瀬の笑顔が苦手なのだ。同じクラスとはいえ近付くことすら容易ではない。クラスで近付けないのなら尚更部活で近付けるわけもなかった。もともと男子と女子では練習場所も練習時間も違うから、当たり前なのかもしれないが。
――青峰とはあれ以来どことなくぎくしゃくしている。
次の日、神妙な面持ちで待ち合わせ場所に向かった黒子よりも(驚くことに!)先に体育館に来ていた青峰は、普段と変わらない表情でバスケしよーぜと声を掛けてきた。まるで前日に何もなかったかのような態度である。後に引きずらないのが青峰の美点の一つだ。そうはわかっていてもどことなく釈然としない。怒ったなら怒ったと言えばいいのに。そうすれば自分だってもっと素直に謝れるのに。
だから黒子が帰り際、ぽつりと青峰が零した「俺との練習中に他の奴の話すんな」という言葉に反射的に頷いてしまったのは、早くこの違和感を拭い去りたいという感情の発露なのかもしれない。

話を戻そう。あれから結局黄瀬と会話はおろかまともに近付くことすら出来ないまま、二週間。
黒子たち帝光中男子バスケ部、女子バスケ部は共に練習試合のために他校を訪れていた。久しぶりの練習試合にわくわくする気持ちを抑えながらキャプテンの後を歩く。歩く速度が他者より遅い黒子は遅れを取らないよう、必然的に集団の真ん中を歩くことになる。遅れをとったら最後、持ち前の影の薄さで置いておかれてしまうからだ。
「(いい天気ですね…絶好の試合日和です)」
雲ひとつない空を見上げながら今日は色々考えるのは一旦やめにして純粋に試合を楽しもう、と思った。そうでなければ相手に失礼だ。
そう決意した矢先。
「黒子サン!今日の試合頑張ろーね!」
「……はい、頑張りましょうね。黄瀬くんも」
跳ね上がった心臓を押さえ付ける術も、跳ね上がった心臓の理由も、黒子は知らない。



試合が終わって後は帰るだけである。常勝を理念としているだけあって、今回も勝利を手にした帝光中女子バスケ部のレギュラーメンバーは、心地好い疲労感に包まれた体を引き連れて早足で集合場所へ向かっていた。どうやら男バスの方が早く試合が終わったため、先に集合場所で待っているらしかった。もとから強かったが、ここ最近目を見張るほど急成長を遂げている男バス――更にそのレギュラーたち――が敬意と一抹の恐怖を以ってキセキの世代と呼ばれていると知ったのは、つい最近のことである。
「赤司ごめーん。お待たせ!」
女バスキャプテンが大して悪びれていない様子でそう声を掛けると、赤司と呼ばれた赤髪は振り返って遅いよ、と言う。それを契機に固まっていた集団がのろのろと動き始めた。
だらだらと駅に向かって歩く集団の最後尾付近(運悪く女バスメンバーとはぐれてしまった)をうろうろしながら、何時もなら男バスを待つ立場なのに、と黒子は少し不思議な気分になった。何時もは女子の方が早く試合が終わる。理由はよくわからない。今までずっとそうだったので、そういうものだと割り切っている。
ここまで考えて、黒子は自分自身いる位置について漸く認識した。この位置にいるのはまずいのではないかと脳が警鐘を鳴らす。この位置では遅れをとったら影が薄い自分は、どう考えても誰にも気付かれない。はぐれたら「死あるのみ」である。
まずい、どうすれば。かといって自分より何十センチも身長ある、がたいの良い男たちを蹴散らして前に行けるほど黒子は頑丈に出来ていない。それくらいわかる。学校近辺ならまだしも見知らぬ土地での迷子は避けたい。というより避けなければならない。
仕方ない、走って前に出よう。そう思ったときだった。
「黒子サン」
「…黄瀬くん。お疲れ様です」
「黒子サンもお疲れ様っス!見てたっスよ試合〜!すごかった!あのパスどうやるんスか!?」
「…ええと」
「青峰っちに秘蔵っ子がいるって話はたまに聞いてたから、誰のことかなって思ってずっと探してたんスけど、黒子サンのことだったんスね!通りで男バスで見付からないわけだ。同じクラスなのにね」
声を掛けてきたのは黄瀬だった。揃いのジャージに身を包んだ彼は当たり前のように黒子の隣に並んで、きらきらと笑っている。成る程現役モデルの笑顔はかくも、と思考を止めた頭でなんとか考えた。
前述したように黒子は黄瀬の笑顔が苦手だ。理由は分からない。黄瀬の笑顔を見るとどうしたらいいのかわからなくなる。落ち着かない。だから今の状況は非常に心臓に悪かった。しかし逃げる術を黒子は持たなかったし、何より今日は忘れると決意したとはいえ目的の人物が隣にいる。今聞かないでいつ聞くのだ。
「青峰くんがボクのはなしをするんですか?」
「たまにね。でも滅多にしないし、名前を言わないからそれが誰かってことはみんなよく分かってないみたいスけど…それにオレ、見ちゃって」
「何をですか?」
「部活のあと、二軍用の体育館で二人で練習してるっスよね?この間たまたま見かけて、いいなあ…って思って…。今日の試合見て更に思ったっスよ。黒子サンのパス受けてみたいって!」
「……じゃあ一緒に練習しませんか?二人より三人の方がより練習になりますし」
「え、いいんスか?!」
どうして自分がそんな言葉をかけたのか、黒子にも分からなかった。苦手な筈の人間をわざわざ懐に入れるような真似をする必要なんてどこにもない。必要ないどころかしないほうが自分のためだ、間違いなく。それに、また青峰の機嫌を損ねてしまうかもしれない。何も聞かないで勝手に決めやがって!と。の様子は驚くほどはっきり黒子の脳裏に浮かび上がる。ああまた青峰くんとぎくしゃくしてしまうなあ。ぎくしゃくするのは嫌だなあ。
けれど。
そう、黒子が言ったときに見せた本当に、本当に嬉しそうに笑った黄瀬の表情を、何故か苦手だとは思わなかったので。
――寧ろもっと見ていたいとすら、思ったので。
黒子は小さく笑って、頷いた。
「……っ!?」
「……?黄瀬くん?どうかしたんですか?」
「あっいや、何でもないっス!」
「そうですか……あ、そうだ。黄瀬くん。きみにずっと聞きたいことが、あって」
「ん?なになに?」
「あの――」




風呂上がりのさっぱりした気分で黒子は買ったばかりの本を開いた。漸く黄瀬から聞き出すことのできた例のミステリーである。
あの後、帰路の途中で本屋に立ち寄って買ってしまったのだ。本来なら贔屓の作家以外はあまり買わないのだが、今回は特別である。予想外の出費に今月は節約しなければならないな、と思う。
ちらりと時計を見ると、まだ九時過ぎだった。何時もの就寝時間は十一時すぎなので、まだまだ時間はたっぷりある。もしかしたら読み終えられるかもしれない。
「どんなお話なんでしょうね」
きっと、面白いにちがいない。そう思いながら黒子はゆっくりページをめくった。


◇◆◇


次の日。黒子の席の後ろに座る最上は登校そうそう目にした黒子の顔に眉を寄せた。
「テツナ、隈が出来てる」
「……最上さん…」
「何時も以上にテンションが不在だな…。どうかしたか?」
最上に指摘されるまでもなく理由は黒子自身がよく分かっていた。原因は昨日購入したミステリーだ。
ミステリーは面白かった。よく練られたストーリー、魅力的な登場人物、予想外の結末。どれをとっても非の打ち所がないそれは、どうして今までその作家を知らなかったのだろうと悔しく思ってしまうほどのものだった。
気付けば夢中で読み進め、就寝時間も忘れていた。こんな出来事は久しぶりだった。
「昨日、徹夜で本を読んでしまって、」
「……本当にそれだけか?」
「……はい」
嘘だ。本当はそれだけじゃない。
ミステリーを読了後、一番最初に脳裏に思い浮かんだのは黄瀬の無邪気な笑顔と、本を読んでいるときに見せた真剣な表情だった。
苦手なはずなのに。あの笑顔を前にすると居心地が悪くてたまらないはずなのに。クラスの男子たちと騒ぐ時に見せる無邪気な笑顔と、それとは正反対の本を読んでいる時に見せる真剣な表情が、頭の中を支配して消えてくれない。
反則だ、こんなの。ずるい。卑怯だ。僅かに言い淀んだ黒子に最上が再度声を掛けようとした瞬間、黒子の席の前からおはよう黒子サン!と元気な声がした。二人が釣られて視線をそちらに向けると、ひらひらと手を振ってこちらに向かって歩いて来るクラスメイトの男子が一人。手には一冊の本を持っている。
「これ、昨日言ってた本っス!良かったら読むかなって思って持ってきたんだけど…」
「……それ、もう買いました」
「え、マジ!?わあ!じゃあ読み終わったら感想聞かせてよ。オレ、今まで同じ本を読んだことある人、周りにいなかったんスよー!」
黄瀬くんから何か借りたら他の女子からいじめられそうだとか、実はもう読み終わってるんだとか、どうしてそんなに楽しそうなんだとか、言いたいことは沢山あったけれど、どれも言葉にならなかった。ぐるぐると色んな言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。
苦手だったはずなのに。どうして、こんな、あっさり。
はい、その時は是非よろしくお願いします。そう黒子が言うと、黄瀬は約束っスよ!と言ってまた笑う。そのきらきらした笑顔を見ながら黒子は頭を抱えたい気分になった。


――どうしよう。好きになってしまった!



//有海
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