診察待ちをしていた最後の一人の診察を終えて、わたしは人知れず重たい息を吐いていた。人が木になる奇病。発病したら最後、どうなっても抗えない。ただ身体が樹木になっていくのを何も出来ずに見ているのはどれだけ絶望を覚えるのだろう。発病した人間を診察する度に何時も死にたくなる。所詮医者の真似事だし別にわたしが診察したからといって病の進行が止まるわけではない。皆、感謝の言葉を述べてくれるけれど、その言葉すらわたしにとっては鋭く磨がれた刃だった。発病していないわたしの言葉など意味がない。大丈夫だって、一体何が大丈夫なのか。【もうすぐ完全に樹木なって苦痛も絶望も何もかも感じなくるから大丈夫】?そんなの、ただの自慢じゃないか!
「……おい」
聞こえた声にハッとして俯いていた視線を上げると、金色の瞳がこちらを見ていた。同じ組織に所属している、しかもリーダーである。結成した時からずっと一緒にいて、尚且つまだ発病していないのは彼だけだ。粗暴で人の意見を聞かないことはたまにあるが、それさえ除けば面倒見が良く人を引き付けるカリスマ性を持った男だった。
「トラ」
「診察終わったんだろ。もう休め。楓がうるせぇ」
「……どうして楓がうるさいの?」
「お前、一昨日から殆ど寝てないんだろ。いい加減死ぬぞ」
「……そうね、それもいいわ。何も出来ないよりは。ただ誰かが死ぬのを見ていることしか出来ないのなら!」
「……撫子」
八つ当たりなのは分かっていた。辛いのは自分だけだと、苦しいのは自分だけだと悲劇のヒロインぶって。辛いのは、苦しいのはわたしだけじゃない。そんなの、誰だって同じだ。残されるのも残すのも。
――トラからは炎の香りがする。
組織内で発生した犠牲者を弔うのは何時もトラだ。一人で準備をして、一人で燃やし、一人で冥福を祈る言葉を呟く。仲間が増える数よりも死んでいく数の方が多い現実は、トラを確かに蝕んでいる筈なのに、トラは何時も少しだけ優しく笑っておやすみの言葉を口にするのだ。おやすみ、どうか旅路が幸福なものでありますように。
「……………ごめんなさい」
トラは何も言わずに瞬きを一度だけした。
炎の香りがする。トラという存在から。今日もまた仲間の誰かが死んだ。樹木になってしまったから。
トラから炎の香りがする。きっと彼は今日もまた一人で弔いの言葉を囁くのだろう。
「疲れてるんだろ、さっさと休め。倒れたらぶん殴る」
「倒れないわ。昔から身体だけは丈夫に出来ているのよ」
この病は何時になったら消えるのか。人間が人間ではなくなる病。身体が樹木になる病は、一体何時になったら。
政府はとうの昔に機能しなくなった。政治家の大部分は既に死んでいるという噂だ。生きていたって大して変わりはないような気もした。絶望を孕む魔法みたいな病を止める術が見つからない限り。
今は政府に代わって新政府が国の実権を握っている。科学力に特化した新政府のことはよく分からない。この間は【新政府が配布する水以外飲むな】という命令が出たが、それの意味もよくわからない。そもそも新政府が配布する水の絶対量は少ないから、誰も守らないのだ。
トラと彼の右腕と呼ばれる楓は毎日律儀に給水所に向かっている。わたしは無意味ではないのか、と思いながら止められない。そこになんとか救いを見出だしたい、わたし。
不意に、トラの大きな掌がゆっくりわたしの頭を撫でた。掻き回すみたいなそれではなくて、泣いている子供をあやすような柔らかさ。安心と共に覚える恐怖は見ない振りをした。必死に。
「あんま、頑張りすぎんな」
「………うん」
トラの掌からは炎の香りと、それに混じって微かな樹木の香りがする。




//有海
∴before 「Bird of paradise's bill」
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