珍しいものをみた、とケントは人知れず目を細めた。視線の先にいるのは同じバイト先の後輩だ。夏休みの間中怪我をしただか病気をしただかでずっと店に来なかった。体調管理すら満足にできないのか、と思わないでもなかったが、大切(と本人の前では口が裂けても言わない)友人の一人であるイッキュウの大切な友人(だと思う)の彼女のことを悪く言うのははばかられて結局無難な会話しか交わしていない。
視線の先で繰り広げられているのはケントが最も理解し難いと思っている、いわゆる告白と呼ばれるものだった。院生の自分には当然だが見覚えのない青年が顔を真っ赤にして彼女に何かしら告げている。意識的に二人の声を鼓膜から排除しているケントの耳に二人の声は届いてこないので、一体どんな言葉を交わしているのかは分からずじまいだが。
――そんなことをしても無意味だ。
脳裏をよぎったのはただそれだけだった。

◇◆◇

「覗きですかケントさん。悪趣味ですね」
「覗きではない。勝手にそちらが私の前で始めたことだろう。大体、他大のきみが私の大学にいること自体、私には理解し難い」
「わたしが取っている授業のひとつがケントさんの大学の授業と合同なんです」
「それは聞いたことがないな。どんな授業だ?」
「犯罪心理学のフィールドワークです。こっちの大学の先生がわたしの大学でも教えてくださってて」
「きみがそんな授業を取っていることが驚きだよ」
「そうですか?そうでもないと思いますが」
彼女、マイは隣失礼します、と小さく声を掛けてケントの隣に腰を下ろした。思わずケントは周りを見回してある人物の姿を探すが見あたらない。思わず安堵のため息をはいてーー彼がこの場にいるはずがないと苦笑した。記憶が間違っていないなら彼は彼女と同じ大学で、自分と同じ大学ではない。
マイがイッキュウのファンクラブから執拗な嫌がらせを受けていたことは、それとは言わなかったがイッキュウの口から確かに聞いた。普段よりも目に見えて憔悴しきった表情で酒を呷る彼と一緒に酒を飲んだのは記憶に新しい。そうしてそのファンクラブに対してマイの幼馴染みがとった行動も知っている。正確には教えてもらった、が正しい。あらゆる手段を使ってマイの身辺から敵を排除した男。監視カメラを仕掛け証拠品を集めたその手腕はお見事だと舌を巻かずに入られない。けれど、ただの一幼馴染みにそこまで献身的に尽くすことは可能なのだろうかと思う。自分だったら絶対に不可能だ。他人のためにそこまでしようとも思わない。それが研究の一環ならまだしも、ただの好意、善意で出来てしまう程自分がお人好しではないことをケントは知っている。
という話を同じくバイト先の後輩であるシンにしたところ、アイツはそんな可愛いものじゃないですとやけにはっきりとした口調で言われた。同じくマイの幼馴染みであるシンは自分の与り知らぬ事実を知っているのかもしれない。彼がイッキュウファンクラブのメンバーでマイを虐げていた人間に対して行ったこととは全く別種の、マイに対して行ったこと、などを。別にケントは知りたいとも思えなかったのでそれでよかったが。
そもそも、ケントはマイの幼馴染みである彼のことをよく知らない。同じバイト先、先輩後輩という関係ではあったが、それ以上の関係を持とうと思ったことはないし、持ちたいと思ったこともない。少なくとも進んで仲良くなりたい人間ではないというのがケントの見解である。ああいう笑顔の裏で何を考えているかよくわからない人間はどう扱っていいか分からないのだ。自分も何を考えているか分からないとよく言われるが彼よりはマシだという自負があった。イッキュウに言わせればどっちもどっちである。
そういえば隣に座るこの女は彼と付き合い始めたと言っていたっけ。
「きみに告白するとは酔狂な男がいたものだ」
「…ケントさん、それ、どういう意味ですか」
「きみが振り向くことなど一生ないのだろう?ならばするだけ無駄だ。届かないものほど無意味なものはないよ」
「…ちょっとそれ、ひどくないですか。思うだけの恋もなかなか楽しいものですよ」
「それは通じたものが後付けする理論だろう。もしもきみの思いが届かず終わっていたら、きみは同じことが言えただろうか?無理だな」
「即答ですかあ」
マイは困ったように笑ってゆっくりと空を仰いだ。その瞳に一体何が映っているのかケントには分からない。知りたくもない。
彼も大概だが、そんな彼を選んだマイも大概だ。イッキュウのやけ酒に付き合った際に恨み言に近い声で語られた言葉の一つ一つをケントはまだ覚えている。おそらくイッキュウはマイのことが好きだった。それでもマイはイッキュウを選ばなかった。それで正解だとは思うが、代わりに選んだ男のことを思うとそのまま肯定してしまってもいいものなのか疑問が残る。
「トーマには内緒にしてくださいね」
「何をだ」
「さっき見たことです。トーマああ見えてやきもち焼きなんです」
「どう見なくてもそう思うが」
「え」
「面倒な男に捕まったものだな、きみは」
「…わたしが捕まったんじゃないです。わたしが捕まえたんですよ」
「どちらにしても同じだ。付き合うことになったのなら」
こんなに長い時間二人で言葉を交わしたことがかつてあっただろうか、いや、ケントの記憶が確かなら一度もなかった。そして言葉を交わしてみて気付いたことがある。彼女はなかなかに強かだ。全てをひっくるめて自分の策略だと言い切ってしまうだけの力を持っている。恐ろしいな、とぼんやりと思った。女とは全てこうなのだろうか。そんなケントの考えを読んだのか、マイは花が咲くような笑みを浮かべて、女の子は好きな人のためならいくらだって頑張れちゃうしどんなことだってしちゃうんですよ、その人が与えてくれるものなら痛みだって嬉しいのと歌うように言う。
「恐ろしいな」
もう一度、今度は口に出して噛みしめるように言う。マイはそれを聞いてきょとんとした。「それでは呪いと変わりがない」
「ひどい言い種です。でも呪いを掛けて好きになってもらえるんならわたし、呪いだって掛けちゃうかも」
「…きみは」
「え?」
「いや、いい」
視線をマイからはずし同じように空を眺め、マイの傍らにいることを生まれ落ちたその瞬間から選択した男のことを思った。彼は厄介な男に捕まってしまった女の子としてマイを見ているのかもしれないが、もしかしたら厄介なものに捕まってしまったのは彼の方かもしれない、と。





//有海
∴女の子の暗闇は生々しい匂いがする
(title:リリギヨ)
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