※砂月が師匠
※※春歌が弟子
※※※分裂+那月不在


◎月曜日
「師匠、師匠!朝ですよ!」
女特有の高い声が鼓膜を揺さ振り、男は渋々閉じていた瞼を押し上げた。丁度、女がカーテンを思い切り開け放ったところだった。
「今日はいいお天気になるみたいですよ」
「春歌、もう少し寝かせろ」
「駄目です。もう十時です」
「まだ十時だろ…」
女は掠れた声を軽やかに無視して、柔らかく微笑んだ。その瞳が一歩も引く様子はないと言っているのを見て取ると、男は此れ見よがしに大きな溜息を一つ吐いて、渋々重い体を起き上がらせた。昨晩の疲れがまだ残っているのか、節々が歪な音を立てる。まだそんな歳でもない筈なのに、いやがおうでも老化が進む現実に眩暈。テーブルの上に食パンありますから、トースターにいれてくださいね。冷蔵庫にサラダとお鍋にスープありますから出して下さい。背中にそんな言葉を受ける。今まで朝は珈琲だけで済ましていた筈なのに、この口煩い弟子が来てからというものなかなかに健康的な生活を送っている。そんな自分は、そこまで嫌いじゃない。

◎火曜日
今日は男が久しぶりに出掛けているので、家に一人だ。自室である一階は既に掃除し終えてしまって、残るは男の居住スペースたる二階だけだが、自分は二階に入る許可を得ていないため立ち入ることは不可能だった。男のことだから綺麗であるのには間違いないのでそこまで心配はしていないのだが。冷蔵庫から朝食のと昨日の夕食の残りを取り出して簡単に昼食を済ませると、男に添削してもらった、朱で埋まった譜面を取り出した。男の指摘は的確かつ女の盲点ばかりを付いてくるのでとても勉強になる。そもそも女が男の元にやって来たのは自信の能力を伸ばすためであるため、勉強にならなかったら意味がないともいう。
とんとんとん、机にリズミカルに鉛筆をたたき付ける。時計は丁度正午を回った頃だった。男が帰るのは確か十九時過ぎだった筈だ、まだまだ時間はある。夕食の買い出しは昨日のうちに済ませてあるし、今日は勉強に集中できそうだ。男に成長したな、と言ってもらえるために女は譜面に意識を落とし込んだ。


◎水曜日
羨ましいよ!と突然掛けられた言葉に男は視線だけ遣って、手元の液体を口に運んだ。焼けるような温度が心地好い。右隣りの男性は赤くなった顔で羨ましい羨ましい、と頻りに呟いている。どうやら弟子と一つ屋根の下で暮らしていることを指しているらしかった。どの辺りが羨ましいのか、男にはさっぱり分からないままである。
「だってよ!あんなに可愛い子と一つ屋根の下だぜ!?しかも世話焼いてくれてよ…手を出したい放題じゃねーか!」
「手前だけだよ、そんなこと考えるのは」
「んなわけねぇよ!なあ、レン!」
「何でここでオレに振るかな…」
男の左隣は苦笑して酒を一口飲んだ。
「砂月も俗にいうイケメンだしよ、女の子の方だって満更じゃないんじゃね」
「そもそもそういう奴を俺が弟子にすると思うか。そんな素振り見せた瞬間追い出してやるよ」
当たり前のことを言っているかのように淡々とした口調で、男は一度も視線を左右に遣ることのないまま酒を口に運ぶ。右隣は拗ねたのかぶつぶつ何か呟いていたが、砂月ってそういう方面に全く興味がないのかよ、仙人か!という言葉を最後に机に突っ伏した。どうやら潰れたらしい。
「今回はなかなか粘ったね。何時もはすぐに潰れるのに」
「耐性でも出来たんだろ」
「砂月に付き合ってたら誰でも耐性付くよ…」
余談であるが男は蟒蛇である。
本当に興味ないのかい?これっぽっちも?悪あがきなのか、将又潰れた右隣の意思を継いだのかは定かではないが、左隣は茶目っ気たっぷりに尋ねる。男が心底嫌そうな顔をした。
「まあ、結婚式には出てもいいが」
「新郎で?」
「仲人以外は却下だ」


◎木曜日
師匠とはうまくいってるの?と、眼前に座る赤い髪の女が苺タルトを口に運びながら尋ねる。女はうまくいってるってどういうことなのかよくわからないと思ったが、別に仲が悪いわけではないしそれなりに毎日充実していたため、最終的にはうまくいってるよと微笑んだ。
「しっかし、春歌があの天才作曲家四ノ宮砂月の弟子になるとはね。世の中分からないものだわ」
天才作曲家四ノ宮砂月とは何だかキャッチフレーズみたいだとも思ったが、女は黙っていた。
「でもさあ、やりにくくない?いくら師匠とはいえ、異性と一つ屋根の下暮らすのは」
「そうでもないけど」
「……アンタって時々さ図太いんだかなんだかよくわからないわよね…」
「うーん…?」
よくわからない、と思う。男は師匠で自分は弟子で、それ以外に何か必要だとでもいうのだろうか。周囲の人間は男女が同じ家に暮らしているだけですぐに恋愛に結び付けようとするが、男と女の間にそんな砂糖菓子のような空気が流れたことは今までになかった。これからも予定はない。女にとって世界は音楽であり、恋愛対象も音楽であった。そうして男も。間に入ることは何人たりとも許されていない。女は自分が男とそういう関係になっているところを想像してみた。これっぽっちも想像出来なかった。
「案外お似合いだと思うけどなあ」
「そうかな」
「うん。美男美女って感じで」
「あはは…」
渇いた笑いを零しながらチョコレートケーキを口に運ぶ。自分と男の関係はこれくらいビターだと女は思った。


◎金曜日
女は一人で買い物に出ていた。夕飯に必要な調味料が足りないことに気付いたからだったが、丁度男から出された課題が行き詰まっていたこともあって気分転換も兼ねていた。夕焼けに装いを変えた空は、それだけで柔らかく見える。譜面に向かっていたときはあれだけむしゃくしゃしていてた気持ちが穏やかに凪いでいて、外的要因はなかなかに心身に大きな影響を与えるらしい。
ふと足を止めた処に本屋があった。特に何か求めている書籍があるわけではないが、たまにはいいかもしれないと足を踏み入れる。平台で大々的に展開されていたのは『友人の結婚式でのスピーチをするための十個条』。どうやら著名な作家の新作らしい。結婚願望があるわけではないが興味はあったため手にとって眺めてみる。なかなかにカラフルで見易い。
自分がたとえば結婚式を挙げるとしたら一体誰にスピーチ、平たく言えば仲人を頼むのだろう。瞬時に脳裏に現れたのは生活を共にしている男の不機嫌そうな顔だった。これはあくまで想像でしかないけれど、男はきっと頼めば仲人になってくれるのではないか、優しいひとだから。その優しさに付け込んでも良いなら男に仲人になってもらいたい、いや、彼でなければ、と女は瞼を閉じた。聞きたかったのだ、男の声で、言葉で、未来を祝福する音を。
そこまで考えて女はもう一度書籍に視線を滑らせた。どうやったって男がこんな堅苦しい話をするとはどうしても、思えない。そうして、話せたとしても女に関しては音楽か料理の話しか出来ないだろうという事実に苦笑。もっと世界を広げるべきだ。男も、女も。女は微笑みながら本を閉じる。

◎土曜日
久しぶりに休日らしい休日を過ごしている、と男は思いながら街をあてもなく歩く。特に予定はない。予定がない日をこうして無為に潰すのが男は好きだった。ヘッドフォンもせず、溢れかえる音の洪水に身を任せるのはそれはそれで心地いい。新しく依頼された作曲も期限まではまだまだ時間があるし、時間がなくなる前まではこうして好きなように時間を潰したい。
ふと足を止めた先のショーウインドウに、純白のウェディングドレスが飾られていた。よくよくみると淡く彩色された花が所々に散らばっている。どうやらそういったドレスを扱う店らしい。素直に綺麗だな、と思った。女に似合いそうだな、とも。
水曜日の会話が蘇る。仲人ならやってもいいと言ってしまったが、正直本当に頼まれたら自分は引き受けるのだろうか。きっちりスーツを着て堅苦しい話をする自分。全くもって想像出来なかったし、想像する気も起きなかった。音楽に関すること以外は驚くほど淡泊な男にはやはり随分とハードルが高いことだったらしい。
ショーウインドウのウェディングドレスか視線を逸らして足早にその場から遠ざかる。慣れないことはするものではない。けれど、その慣れないことをしている自分を嫌いになれそうにもない、と男は思った。今から準備でもしておこうか。純白のウェディングドレスを纏った女のためにするスピーチの。しかし話すことといったら音楽と料理の話しかないことに思い当たった。いくらなんでも酷すぎるかもしれない。持ち掛けてみようか、今度何処か行かないか、と。


◎日曜日
女と男は向かい合って座っている。並べられた夕食は何時もと変わらず美味しそうな香りを漂わせていた。
「そうだ、師匠」
「あ?」
「なんで喧嘩腰なんですか…明日、何処か行きませんか」
「珍しいな、お前がそんなこと言い出すなんて」
「駄目でしょうか」
「課題は」
「後は仕上げだけです」
「……そうか」
「そういえば師匠と何処かに行ったことないと思って」
「行き先、考えておけよ」
「はい!」
嬉しそうに女は笑って、皿の一つに手を伸ばした。あまりにも嬉しそうな様子に男もつられて口元が僅かだが緩む。夜が更けていく。そして、また月曜日が訪れる。





//有海
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∴死んでほしくない背中
(title:子宮)
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