※ひどいはなし



「アンタって本当にゲームが好きねぇ」
大型の画面に見入ったまま微動だにしない少女を見て光は軽い溜息と共に誰に言うでもなく呟く。少女は大した反応も見せずコントローラーを一瞥することもないまま驚くべき早さで操る。少女がコマンドを打ち込む度、画面の中のゾンビたちが醜い悲鳴をあげて倒れていく。少女の分身である画面の中の大柄な男は倒れ伏したゾンビを踏みつぶしながら先へ進む。男の足がゾンビを踏みつぶす度にぐちゃりと嫌な音がした。
少女は眉一つ動かさない。
これが自分たち家族の心を捕らえて離さない少女だというのだろうか。画面を注視した瞳にはなんの色も浮かんでいない。ただひたすら目の前のゾンビを倒すことだけに集中している。銃声、悲鳴、倒れ込む音、ぐちゃりぐちゃり。
大の大人である自分ですら見ていて気持ちが悪くなってくるようなゲームである。吹き出す鮮血の描写があまりにも生々しく、光は自分でも気づかぬうちにそっと画面から視線を外す。そんな光を知ってか知らずか、ゾンビの群を抜け出した少女は、一端画面を静止してようやく振り返った。相変わらず何の色も宿さない瞳で。
「あれ?光さん、いたんですか」
「……いたわよ。最初から」
「そうですか、すみません。わたし一度集中すると周りが見えなくなるみたいで」
「でしょうね。何度か呼びかけたけど、一回も反応が返ってこなかったから」
「……すみません」
心底申し訳なさそうに呟いた後、それでも少女はもう一度コントローラーを握った。どうやら再開するらしい。またあの気分の悪くなる映像を見せられるのか、思いの外堪えていたらしい光は言葉が刺々しくならないように最新の注意を払いながら自分の部屋でやればいいのに、と促す。
「自分の部屋でやれればやってます」
「……どういう意味?」
少女はポーズを解除してまた男を操作し始めた。今度は仲間とのミッションらしい。そういうイベントなのかは知らないが。
「風斗くんがわたしの部屋で映画を見てるんです。飽きもせず同じ映画を何度も何度も。わたしつまらなくなって部屋から出てきたんです。ゲーム、やりたかったし。あの部屋じゃゲームできないから、それならここしかないって。幸い誰もいませんでしたから」
彼処、わたしの部屋なんですけどね。
恐らく。風斗は少女と一緒に映画が見たかったのだろう。勿論自分の演技力向上のためという名目も嘘ではない筈だろうが、それを餌にしてすり寄ったのは間違いない。どの辺が一般人から見て心に残る演技なのか教えてほしい等と言って。誰に対しても残酷なまでに等しく優しい少女は、悩みながらも許可したに違いない。この子は、そういう子だ。相手からの明確な好意に気付きながら、相手を傷つけるかもしれないという恐怖から逃げられない。
そのゲーム、自分で買ったの?おおよそ答えが分かりきっている問いに対して、少女は振り返ることなく棗さんに戴きました、と返す。ぐちゃり、ゾンビがまた一体死んだ。
「今度棗さんの会社から出す洋ゲーらしいですよ。男性の吹き替えは椿さんと梓さんがするみたいです。……これはまだ音声はいってないのでよく知りませんけど」
棗も椿も梓も。もう少しで三十路を迎えようという大人がたった一人の少女を振り向かせようと躍起になっている。椿に到っては特に顕著だ。きみの目に映る男は俺だけがいいのに、だなんて今時ゲームの中でしか聞けないような台詞を堂々と吐く。それも他の兄弟の目の前で。
「……みんな必死ね」
少女の心が平等に兄弟全員分在ったのなら、誰も傷つくことなく少女もここまで思い悩むことはなかったはずだ。けれど、たった一つしかなかったから皆唯一になりたいと浅ましいまでに望む。少女の心に巣喰う病魔にも似た存在になりたいと。唯一になるとはつまりそういうことだ。
少女が望まなかったとしても関係なく。
「……好きになってくれるのは嬉しいです。好意を向けられるのは、決して嫌なことじゃない。でも、わたしはこの好意を、好きっていってくれる人の心を、受け入れるわけにはいかないんです。だって、わたしたち、家族なんですよ。家族なんです。おかしい、こんなの、絶対。血が繋がってないとかそんなの関係ない。少なくともわたしは、そう思っています」
その言葉はまるで己に言い聞かせているようにも聞こえた。そう言わなければならないと頑なに思いこんでいるようでもある。そう言わなければ、
――そう、思わなければ?
少女は息継ぎがうまく出来ず溺れていく魚のように口を何度かぱくぱくさせた。僅かに開かれた唇からこぼれる文字は光には届かない。もしかしたら文字などではなかったのかもしれないが、伝わらなければ同じことだ。
少女の、コントローラーを持たない方の小さな手のひらがぎゅうっと握りしめた右鎖骨辺りのシャツが不思議な模様を生み出す。
「     」
ああそうか、だから彼女は。
一度だけ聞いたことのある言葉が瞼の裏で火花を散らした。椿に覚悟していてと囁かれ、部屋の隅でうずくまっていた姿。柔らかな茶色の瞳に目一杯薄い膜を張り、けれども一度だってこぼすことはなく。震える唇で、けれども一度だって音がこぼれることはなく。
ほんとうにすきなひとにはすきになってもらえないのに。
どう声を掛けたらいいのか分からず結局背を向けることしかできなかった光の背中に、そう声が掛かった。思わず振り返ったが、少女がこちらを向くことはない。握りしめられた右鎖骨辺りのシャツの模様。彼の人の刺青。
「……アンタ本当にゲームが好きねえ」
繰り返された言葉。伝わらない思い。届かない言葉。
何事もなかったみたいに少女はまた両手にコントローラーを握りしめて、向かいくるゾンビたちを冷静に打ち抜いていく。ぐちゃり、ゾンビを踏みつぶす音。
「ゲームはいいですよ。レベルを上げた分だけ必ず強くなりますし、決められたイベントは必ず起きます。ゲームはわたしを裏切りません。――恋なんて、裏切られることばかりだ」
バタン、と大きな音がして、続いてただいまーと暢気な声がした。恐らく仕事が終わった双子が帰ってきたのだろう。バタバタと忙しないのは意中の相手がすぐ近くにいるからだと分かったからだろうか。少女は扉に見向きもしないのに!
「あ、裏切られた。選択肢間違えたかなあ……」
少女がそう呟くのと同時に、絵麻!ただいま!と銀色が駆け寄っていく。テレビには真っ赤なゲームオーバーの文字が浮かんでいる。





//有海
∴初恋を引き摺る音がする
(title:リリギヨ)