『極楽鳥の嘴』
なけなしの食料も底を尽き、日がな一日歩き回って疲弊した足は既に棒のようだ。この御時世、皆自分のことで手一杯で当然のことながらわたしのことを顧みる人間など一人としていない。
混濁していく意識の中、恐らく樹になってしまったのだろう、元は人間だったかもしれない樹木を眺めながら、もうわたしは死ぬのかもしれない、と思う。人々が樹木に変わる奇病が世界を浸蝕し始めて短くない時間が過ぎていた。
「――こんなところで寝てますけど、死ぬつもりですか」
闇に落ちる意識を寸前で引き止めたのは柔らかい低音だった。
最後の力を振り絞って無理矢理瞼を押し上げると、夕日を浴びて鈍く煌めく銀色がそこにはあった。
「死ぬんですか?死ぬなら金目のもの全て出してからにしてください。――もし、死ぬつもりではないなら」
銀色は一旦そこで言葉を切って何かを探すそぶりをした。何も言えないまま挙動を見詰めていると、つやつやと光る白い三角形が三つ詰められた小さなパックが目の前に現れる。
「これでも食べます?腹、減ってるんでしょ」




あちらこちらに生えたまだ幼い樹木を容赦なく踏み潰しながら車は進んでいく。わたしは指先に付いた塩を丁寧に舐めとってから(両親が目にしたら卒倒するだろうが、今は体面を気にしている場合ではない)、運転席で器用にハンドルをさばく男を盗み見る。夕日に煌めく銀色は別世界みたいだった。
「……一応、御礼は言っておくわ。有難う。あなたがいなかったら今頃死んでいたかも」
「いーえ別に。死んだら死んだで金目のものは貰っておくだけなんで。まあ、見たところ金目のものなんて持ってなさそうですけど」
「……否定しないわ」
猫を拾うような気軽さでわたしを軽々と抱え上げて車に押し込めた(長時間外気に触れると樹木化が始まるからだ)男は円という名前らしい。まるで猫でも拾ったみたいね、と素直に礼を言えないわたしが言うと、円はあなたは人間でしょう。猫だったら拾いません、と応えた。猫だって同じ命じゃない。猫から人間は生まれません。