※3巻のはなし

己の言葉で千早が動揺し集中力を欠いていく様を目の当たりにした時の、あの言いようのない底知れぬ感情を思い出して太一は柱に寄り掛かりながら目を閉じた。
知らなかったのだ。プレッシャーなんてものとは無縁みたいな顔をして笑う少女が実は恐ろしくプレッシャーに弱いことを。いや、弱い弱くないの話ではなく自覚するかしないかの話なのだが、プレッシャーを自覚した千早があそこまで狼狽えるなど思いもしなかった。
気付けば傍にいて底抜けの明るさで笑っていたから、それだけで総てを知った気でいたのだ。何もかも分かったつもりでいたのだ。何より自分こそが誰より千早という人間を知っていて、理解していると。
しかしそれがとんでもない自惚れであり傲慢であることに太一は漸く気付く。
実際問題、何一つ知らなかったのだ。千早のことを何一つわかっていなかった。総てを理解した気になって無意味に安心してみたりしていたが、けれども蓋を開けてみればなんてことはない。ただの独りよがりだった。

(それでも、)

その何も知らないという事実に行き当たった時、息が詰まる程に苦しくなるかと思ったが、しかしそんなことはなかった。寧ろ苦しくなるどころか嬉しいとすら思った。そうか、自分はまだこんなにも千早のことを知らないのかと、まだまだ知ることが沢山あるのだと。これからも自分は自分の知らない千早を沢山沢山知ることが出来る、知らなければならない、ならばまだ隣にいても許される。なんて、勝手に許された気になって。
「太一、おまたせ!」
「千早遅ェ!どこまで行ってたんだよ」
飲み物を片手に走って来る千早の姿を認めて、太一は柱から背を浮かした。もうこれ以上ないというくらいに近いと誤認していた距離は、本当は遠くて遠くて堪らなかった。その遠さを愛しいと自分はまだ思える、と太一は思う。まだこの距離が、遠くて堪らない距離が愛しい。知らないという事実に笑って手を伸ばせる。大丈夫、まだ、自分は、
「太一はどっちがいい?オレンジジュースとグレープフルーツジュース」
「千早は?」
「わたしはオレンジジュースがいいなー。見て見てこれ100%だよ!」
「じゃあ俺はグレープフルーツジュースでいいよ」
いつかこの距離が堪えられなくなるまで、自分は、まだ。






//有海
∴きみが足りることはきっとずっとない
(title:恋送り)
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