「年々ラプラスの個体数は減ってきており、より一層の保護が必要とされてきています」
「もしみんなが野生のラプラスを見掛けたら保護委員会まで連絡して欲しいにゃあ!連絡先はこっち!」
食堂に備え付けられたテレビから流れる映像に春歌は食い入るように見入っていた。愛しのHAYATOが出ているから当然とも言えよう。さっきから箸が止まっている春歌の隣で友千香は困ったように笑い、腕に抱かれたコリンクは不思議そうに鳴いた。
「ラプラス、また数が減ってしまったんですね…」
「希少価値が高いからね、ハンターにとってもお宝物件なんじゃないの」
「捕まえてどうするんでしょう…」
「売り払うんじゃないでしょうか」
「一ノ瀬さん、」
「確かに、そうよね。ラプラスってだけでプレミア付くじゃない。欲しいひとは喉から手が出るくらい欲しいわよ、ラプラスなんか」
友千香の言葉に頷きこそしないものの同様の意見だったトキヤは何も言わなかった。数が少ないというのはそれだけ希少価値が高いと言うことで、誰も持っていないものを欲しいと思うのは自然の摂理だろう。ならばトキヤはラプラスが欲しいのかと聞かれたら別に欲しいわけではない。どちらかといえば今は電気タイプが欲しい。デンチュラの素早さは捨て難いなどと取り留めないことを考えながら真っ白な皿を汚すベーコンにフォークを突き刺す。一瞬嫌な音がしたが誰も気付かなかったようだ。春歌は相変わらずテレビにくぎ付けのままだし、友千香は腕の中で暴れるコリンクを宥めるので手一杯だ。誰もトキヤの様子に気を払う様子もない。
この白い皿を汚すように彼女を汚してしまいたいという気持ちを抱いているなんて知ったら、春の陽射しを集めた温かさを持つ彼女は一体どんな反応をするのだろう。口から漏れたのは自嘲的な笑い声で、しかし反応したのはコリンクだけだった。雪のように白く春のように温かい彼女の総てを踏みにじって暴いて汚して自分のものにしてしまえば。見ていて苛々するのだ、その白さも温かさも。どうやったって自分には手に入らない。手に入らないそれはじわじわと鮮やかな色を伴って世界を侵食する。何もかも全て最低な方法で手に入れてしまえば。そうすれば少しは満足出来るだろうか、少しは埋めてもらえるだろうか。眩暈のする頭を振って無理矢理余ったベーコンを口に押し込む。吐き気を伴う油っぽさ。ガタリ、音を立てて椅子を引くと驚いたような視線がこちらを向いた。
「あ、一ノ瀬さん、もう行かれるのですか?」
「すぐ動くと疲れない?もう少しゆっくりしていけばいいのに」
「いえ…これから行くところがあるので」
「そうですか…。今日は暑くなるみたいですから熱中症には気をつけてくださいね」
「…………はい。有難う御座います」
嗚呼君は私を最低な男にすらさせてくれない。





響くのは自分の足音だけだ。時折水が寄せては返す微かな音が聞こえてくるが、響くという程でもない。何を考えているか判別致しかねる表情でどんどん奥へ奥へと進んでいく。時折、侵入者の来訪に驚いたのかズバットやゴルバット、クロバットがバサバサと飛び立っていく。
洞窟の最深部、ヒトモシが照らすその場所でトキヤはたった一言、名前を呼んだ。
「…ラプラス」
ざあっと音がして、水色の、ともすれば太古にいなくなってしまった恐竜と呼ばれる存在に酷似したそれが、ゆっくりと長い首を擡げた。澄んだ水色の瞳を見詰めながら静かに、乗せてくれますか、と言うと柔らかな声で小さく歌う。
ラプラスの体温は緩やかだった。外の気温とは対称的な水温に足を委ねながらトキヤはそっとその首に身体を預ける。
「あなたの保護を謡ったこの口で、あなたが見付からなければいいのにと言うだなんて、本当に裏切りでしかない。あなたを失いたくない気持ちは本当なのに」
ラプラスは何も言わない。
「…寒いですね、ラプラス。此処に一人きりは」
ラプラスに自分を重ねているのは自分だ。特別になりすぎたが故に滅んでいく種族と。特別になりすぎたが故に彼女に近付くことすらできない自分と。歌声を媒介にして特別になったというのに、今はその事実が少しだけ、苦しい。後悔はしていないし、胸を張ることも出来る。ただ、

自分が彼女の隣で笑うことは、今も昔もこの先もない、というだけで。

「歌いませんか、ラプラス。私はあなたの声が聞きたい」
澄んだ水色が何かを考えるように瞬いた後、まるで天界から響くような歌声が洞窟を満たす。水際でこちらを窺っていたヒトモシたちが、聴き入るように身体を揺らす。
ラプラスの声に沿うように、トキヤもそうっと、名もない歌を歌う。HAYATOの歌でも一ノ瀬トキヤの歌でもない、トキヤの歌を。

それは祈りだった。


「……ねえ、ラプラス」
ラプラスは歌うことは止めないまま、それでも応えるように首を揺らす。
「特別になんか、ならないほうがよかったですね」
もう届かない、春の陽射し。天界の音楽は、止まない。





//有海
∴或はよく出来た幻
(title:白群)