むかしむかしあるところに、山深くにある疾うに人々に忘れ去られた古びた神社に住む二匹の狐がいました。特徴的な黄金色の大きな耳とふさふさとしたしっぽを持つ二匹はいつも一緒でした。逆を言えば二匹しか、いませんでした。


「誰か泣いてる」
特徴的な大きな耳をぴくりと動かして那月はどこか遠くを見るような仕草をした。隣に座る砂月は興味がなさそうにふん、と鼻を鳴らす。
「さっちゃん、さっちゃん。誰か泣いてるよ。迷子かなあ」
「…どうせ人間だろ。ほっとけよ、どうせほっときゃいなくなる」
「でもこんなに悲しそうなのに」
もう一度、形の良い大きな耳をぴくりと動かして那月は気配を探るようにぎゅうっと目を瞑った。何処にいるのか分かるように自身の気配さえ殺して。そんな那月の一挙一動を黙って見つめていた砂月だったが、那月が泣き声の主の元へと歩もうとすると閉じていた瞼を押し上げて不機嫌そうに呟いた。
「まさか探しに行くんじゃねぇだろうな」
「どうしてダメなの?だってこんなにも悲しそうな声で泣いてるんだよ。早く助けてあげて安心させなきゃ。もう大丈夫だよって、泣かなくてもいいよって」
「助けたところで何もできやしないだろ。見つけてどうする?山の下まで俺たちには連れて行くこともできない。ただ声をかけて慰めることしかできない。本当に欲しいのは慰めなんかじゃなくて家族だろ」
「…でも、それでも。ここで見ないふりをしたら。それこそ僕はずうっと後悔することになると思うから」
それだけ言うと那月は声のするほうへ風と同じ早さで駆けて行った。ふわりと落ちていた葉が風に舞ってぽとりと砂月の手の上に落ちた。柔らかい緑色を握りしめる。ぎりっと奥歯を噛締める嫌な音がした。
「あっんのばか…!」
どうせどうにもできないなら最初から手を出さなければいいのだ。そうすれば後から受ける傷は少なくて済む。ずっとそうやって生きてきた。散々そういう生き方をしろと言ってきた。それなのにいつも自ら傷つきにいくような生き方をしているから。
緩慢な動作で立ち上がると後を追うように砂月も風と同じ早さで走り出した。


那月が見つけたのは桃色の着物に身を包んだまだ年端もいかない少女だった。零れ落ちそうな大きな瞳に沢山の涙を溜めて、助けを請うように泣いている。
そっと近寄ると大げさに体を震わせたので、脅かさないように脅かさないように、意識しながら笑った。
「もう、大丈夫ですからね。泣かなくて大丈夫ですよぉ」
「きつね、さん?」
「はい、狐です。ぼくの名前は那月と言います。一人で寂しかったね、もう大丈夫だから」
抱きあげた体は興奮しているのか思ったよりも熱かった。少女は本当に安心したのか泣くのをやめて、興味深そうに那月を見詰めている。小さな紅葉みたいな手がふらふらと大きな耳を目指して揺れた。
「おい、」
「あ、さっちゃん!やっぱり来てくれたんだねぇ。ほらこの子。迷子になっちゃったのかなぁ」
「…だからお前は、」
砂月は痛みをこらえるような顔をした。少女はきょとんとして砂月を見詰めている。零れ落ちそうな大きな瞳は、涙のせいか未だ赤いままだったけれど、その黒の奥が夏の日差しのようにきらきらと輝いて眩しいくらいだ。名前、なんていうのかな。よしよしと頭を撫でる手のひら。
「泣きやんだのか」
「うん、僕が来たら泣きやんだんだ。強いんだね」
少女は意味を咀嚼出来かねるといった風情で何回かぱちぱちと瞬きをした。春と同じ髪の色は温かで、ひとりでよく頑張ったな。何かしら声をかけなければいけないと告げた言葉は思いの外柔らかで。那月が楽しそうに笑う。
「名前、なんていうんですか?さっきも言ったけど僕は那月で、こっちがさっちゃ…砂月です」
始まりの声は鮮烈な輝きを伴って世界を侵食する。それが良いことなのか、はたまた悪いことなのか二匹には分からなかった。それでも。




//有海
∴消ゆや消えぬる、をわかれの
(title:埋火)