01
外は土砂降りの雨だった。ざあざあという耳障りな音はあの日と同じで、耳を塞いでも目を閉じても七海春歌という全てを侵食していく。目の前にぶちまけられた五線譜には何も描かれていない。書かなければ、生み出さなければ、そう確かに思っているのに雨音に痺れた指先がそれを拒む。生み出さなければこの世界におけるわたしの存在なんて、ないものと同じなのに、そんなこと言われなくたって心の臓が痛いほど理解しているのに。どうして、どうしてなんだろう。
『神宮寺レンにとって必要なものは、なんだと思う?』
自分はきっと既にその答えに気が付いている。気が付いていて見ない振りを、知らない振りをしている。そうして誰かがトドメを刺してくれるのを待っているのだ。
「春ちゃん?入っていい?」
取り留めのない思考に終止符を打ったのは友人の柔らかい声だった。慌てて散らばった五線譜をかき集めながら、どうぞ、と扉の外に声を掛ける。音もなく開いた扉の先に立っていたのは、同じ事務所に所属するモデルの女の子だった。髪先から僅かに水滴が滴っているのは土砂降りの中を歩いたからだろうか。けれども彼女――ちほは水滴を気にもせずぐしゃぐしゃと髪を掻き回した。その表情は何を言ったらいいのか分からないという風情である。何かあったのだろうか、不思議に思いながら見つめていると、漸く言葉の初めを掴んだらしい、ちょっと話したいことがあるんだ。これ、お土産、と抱えた小振りの白い箱を掲げてみせた。
「お土産…?わあ、ありがとう!」
「駅前の洋菓子店のシュークリームだけどね。前春ちゃんが美味しいって話してたから、買ってみたんだ。一緒に食べよ」
「本当にありがとう!待ってて、お茶淹れてくるね」
春歌がお茶を淹れている間、ちほは椅子に座ったまま何も言わなかった。時折窓の外からざあざあと何もかも掻き消すような音が聞こえてくる以外は何の音もしない。春歌には何故ちほが自分の元を訪ねてきたのかさっぱり分からなかった。お互い忙しくて最近は会うこともままならない。純粋に会えたことは嬉しかった。けれどもその意図を見出だせないでいる。
温かな紅茶を出すとちほは嬉しそうにお礼を言って一口飲んだ。それから暫しの間瞼を下ろす。
「ちぃちゃん?」
「……ねえ、春ちゃん」

神宮寺さんと何かあったんでしょう



02
「どうしてそんなこと、」
眩む頭で考える。無理矢理捻り出した言葉はみっともなく掠れていた。ちほは困ったように笑いながらそんな春歌を見ている。
何かあったのかと聞かれたなら、確かに何かあったのだろう。しかしそれにはレンは殆ど関係していないし、関係していたとしてもこの世界に身を置くと決めたときには既に決心していたことだった。何かあったとちほに思われている理由が前者だとしたらそれは自分の弱さや未熟さが招いた結果だし、後者であるならそれは自分の決心が鈍っている、ただそれだけの些細な話だ。
「なにも、ないよ」
「うそ」
春歌の返事をちほは即座に切って捨ててみせた。あまりにも素早い反応に思わず呆気に取られてしまう。そんな春歌の仕種に気付いたのだろう、少しだけ淋しそうにちほは言った。
「だって春ちゃんがそこまで塞ぎ込む理由を、わたしは神宮寺さん以外に知らない」
「そ、そんなことは、」
「あのね、春ちゃん。最近鏡見たことある?本当に酷い顔してるんだよ。何かあったかとしか思えない。何もないんだったらわたしの前でその顔の理由を弁明してみせて。……トモちゃんも、心配してたよ」
その優しい、どこまでも優しい声が、今は傍にいないあのひとを思い出させてひどく苦しかった。苦しさを回避したくて、息を止めて笑ってみせたけれど余計に苦しくなっただけだ。
――わたしは何がしたいんだろう。知っていたのに、理解していたのに。彼はわたしのものになんかならない。ずっとずうっと、みんなのものなのに。

(「        。」)


「――淋しいっていうのは我が儘で、苦しいっていうのは傲慢で。悲しいっていうのは無い物ねだりなんだ」
ざあざあと侵食する雨の音が、今日も世界を苛む。逃げ出すことは、多分出来る。ただ逃げ出した先よりも今いる場所の方が何倍も自分にとっては幸せだったのだから始末におえなかった。
「知っていたのに。分かっていたのに。最近ずうっと苦しいの。なんでだろう、どうしてだろうって考えてたけど結局分からないままなんです。……もしかしたら。わからないままでいたいのかもしれないのだけれど」
逢いたいというのは我が儘で傍にいてほしいというのは傲慢で。甘い言葉を囁いてほしいというのは無い物ねだりだった。彼があの世界にいる限り。学園にいるときから言われていたのに、どうして今更苦しいなんて思うんだろう。
――ああ、そうか。だから学園長は。恋愛禁止だなんて、言ったのだ。
「素直に言えばいいんじゃないかな」
「……え?」
「逢いたいって。淋しいって素直に言えばいいんじゃないかな。だってきみたち、恋人同士なんでしょ」
「だって、それは」
「多分ね、逢いたいっていうのを我が儘だと思うのは、トップアイドル神宮寺レンの彼女としては正しい返答だと思う。でもただの神宮寺レンの彼女としての返答だったとしたら0点だよ。だってそんなの彼氏からしたら我が儘でもなんでもないもん」
「………じゃあ尚更。わたしのは我が儘なんです」
「……春ちゃん?」
だって、と春歌は続けた。彼にアイドルでいてほしい。もしかしたら彼が自ら望んだ初めての世界に、ずうっといてほしいのだ。出来ることならなんの弊害もなく。

それでも望んでしまう我が儘を、なかったことにしてしまえたらよかったのに。






//有海

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