01
「多分さ、」
目の前に座った男はそういって笑った。なんだかんだ小学生の頃からの腐れ縁の男だ。レンとは異なり何処にでもいるような一般庶民であるが、彼がそれを卑下したこともなければレンがそれを指摘したこともない。何処にでもいるような仲のいい友人同士。何もかも打ち明けられるわけではなかったにしてもそれなりに信頼していたし、甘えも見せていた。友人と言える人間が皆無に等しかったレンにとって、彼という存在は本当に貴重だったのだ。
「好きだって気持ちだけじゃさ、どうにもならないことだって世の中にはあるんだよな」
「いきなりどうしたんだい?……そうだ、この間は悪かったね。折角お姉さんの結婚式に呼んでくれたのに」「ああ、それは別に姉さんも気にしてねーよ。つかお前が来た方が逆にやばかった。トップアイドルの神宮寺レンさん?」
「茶化さないでくれよ。これ、お姉さんに渡してくれ。結婚祝いだから…お姉さんは元気?」
そこで男は少しだけ困ったような顔をした。何も言わないままレンが差し出した紙袋を受け取る。あまりにも不自然な動作にレンは訝し気に眉を寄せて、何かあったのか。たっぷり鐘三つ分の空白。
「姉さんは今、入院してるんだ」
「へ」
「……姉さんの嫁ぎ先、レンなら知ってるだろ?」
「あ、ああ。確か神宮寺、聖川に次ぐ財閥だったか」
「そう。その跡取りと結婚したんだ。義兄さんはすっげえいい人でさ、本当に姉さんのことが好きなんだ。だから夫婦仲に関しては別に心配してなかった。ただ、周りがさ」
「…周り?」
「………こんなこと、レンに言うのは間違ってると思うんだけど。財閥の人間、それも男の嫁になるって相当のプレッシャーみたいで。義兄さんはそんな気がなくても、周りはそうじゃない。やれ次期跡取りを早くだのなんだのとか、加えて姉さんは――俺らは一般庶民だからさ。義兄さんの周りの人間からしたらそれが気に食わないんだと。毎日毎日義兄さんのわかんないとこで嫌がらせされて、今は過労とストレスで入院してる」
語られた言葉は静かだった。何の感情も浮かばない瞳でそれだけいい終えると、男は困ったような笑い方をしてレンの肩を叩く。その動作が悔しくて、噛み締めた奥歯がギリッと嫌な音を立てた。だからしたくなかったんだ、ごめん。
脳裏に浮かんだのは春の陽射しのような笑顔で笑う少女の顔だった。今まではただなんとなくこれからもずうっと一緒にいて、何時かきっと番になるんだろうと考えていた。そこになんの障害もなくて。けれども男の話はそんな柔らかな空想さえ打ち砕く。レンの隣にいる、ということはつまりそういうことだ。傷付かせたくないひとばかり、自分はいつも傷付ける。
「好きって気持ちだけじゃどうしようもないことだって、世の中にはあるんた」
レンは何も言わない。


02
久しぶりに見た兄の顔を、レンはまともに見ることが出来なかった。何を考えているか分からない顔で兄――レイタはレンを黙ったまま見つめている。時折ゴオッゴオッと冷房が嫌な音を立てる以外にはなんの音もしない。
先ほど友人から聞いた言葉がぐるぐると頭の中を回っている。行き着く先はいつも同じだ。やっと見付けた、呼吸がしやすい自分の居場所。孤独を消してくれる日だまり。彼女の隣は息がしやすい。だから出来ることなら最後まで一緒にいられたら、と思い、願い、祈っていたのだ。それなのに、神宮寺という苗字がそれすら許さない。確証はないにしても、「神宮寺」よりも下であってもあの様なのだ。増してや神宮寺ではどうなるか、考えるだけで背筋が泡立つ。レンは神宮寺を取り巻く闇を知っている。――何時だって自分は。傷付かせたくないひとに限って傷付けてばかりだ。
「この間、お前の恋人に会ったよ」
「…?!レイ兄!?彼女に何を、」
「そう噛み付くなって。別に何もしてない。たまたま道端で会ったから世間話をしただけさ。聡明で優しいお嬢さんだね、レンより年下か?」
「……ふたつ」
「そっか。それはいいひとを捕まえたもんだ……ただ。彼女はこの世界で生きていくには、少しばかり優しすぎるね」
「……レイ兄」
「彼女のような柔らかな心が傷付いて、壊れなければいいのだけれど」
「……アンタは。何がしたい。何がいいたい」
「わかってるくせに」
それきりレイタは黙った。何を考えているか分からない顔をして珈琲を飲む。レンはそれすら飲む気にならない。無性に彼女の声が聞きたくなった。
――そうして。彼女の指先の白さすら朧げになるほどの期間、彼女に触れることはおろか、姿を見ることすらしていないという嫌な、目を背けていた事実を思い出した。
仕事が忙しいから、それはただの言い訳だ。彼女が笑って送り出してくれるから何も気づかないでいられただけで。はるか、はるか、はる、か。喉の奥で何回も何回も掠れた声で名前を呼ぶ。どうして自分は。彼女がいつまでも自分を好きでいて、待ち続けていてくれるなんて、根拠のないことを思ったのだろう。
「レン」
「…なんだい」
「今度兄さんにも紹介してくれよ」
何も言うことも出来ないまま。レンはそっと目を閉じた。






//有海
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