空からは雪が絶え間無く降り続いている。野宿も早一週間を超えようとしていた。幸いなことに怪我はひとつもなく、いまのところ追っ手に追い付かれることもなかったけれど、そろそろ節々が痛みはじめていた。それにどうやら少しだけ熱っぽいような気がする。(どうか翼くんには、知られませんように)ざくざくと雪を踏み締める音が耳に留まる。時折、翼の口から漏れる良く分からない歌だけが今の月子にとって世界の全てだった。
――夢を見た。それが夢だと分かったのは、目の前を歩く翼の姿が薄ぼんやりと見えているからだ。こういうのを確か白昼夢というんだったか、と回らない頭で考える。ざくざくと雪を踏み締める音が段々と遠ざかっていき、代わりに聞こえてきたのは、誰のものともつかない、とても悲しげな声だった。
―――【清明】が、居るから世界は春を忘れてしまった。けれど、世界は【清明】を恨んでなんかいない。
(恨んでなんかいないと言うなら、どうして春を思い出さないんだろう。世界が早く春を思い出してくれたら、翼くんは傷付かずに済むのに、)
――春を忘れてしまったこの世界はきっと、もうすぐ終末の涙を流す。けれどそれは【清明】のせいじゃない。みんな、【清明】が、あまりにも悲しいから、あまりにも淋しいから、その為に泣いているの。
(終末の涙を流した世界はどうなるのだろうか、孤独の白に包まれて、ひっそり息を止めるというなら、翼くんは、)

――たったひとつを殺せば春は訪れる。誰もが悲しまなくていい季節がやって来る。ねぇ、知っている?たったひとつって、

ぐらり、と体が傾ぐ。思わず孤独の具現化に手を付くが、何の温度も感じられない。月子?!、翼の焦ったような声が耳朶を揺らすが、口の中が乾いて返事が出来ない。目の前が霞み、立っているのもやっとの状態だった。耳の奥では今でも誰かの声が絶え間無く繰り返されている。ねぇ、知っている?たったひとつって、
そこで月子は意識を手放した。





次に月子が目を覚ますと、視界が微かに上下していた。はっきりしない頭で状況を確認してみると、どうやら翼に背負われているらしい。翼くん、掠れた声で呼び掛けると、今にも泣き出しそうな声が返ってきた。
「月子!良かった、目、覚めたんだな!」
「うん…ごめんね」
「何で月子が謝るんだ?謝るのは俺の方だろ?月子が苦しんでいるに気付いてあげられなかった。ごめんな、ごめん、月子。大丈夫か?苦しくない?もうすぐで村に着く筈だから、そうしたらお医者さんに診てもらおう。きっとすぐによくなるから!」
何処に行けども足手まといになる自分が嫌だと、この時ほど痛感じたことはないだろう。肩口に顔を埋めると、ふわりと優しい香りがした。優しい優しい、陽溜まりによく似た、それは彼の、
「翼くん、」
「うん?どうかしたのか?苦しいか?」
「…わたしね、誰よりも努力している翼くんのことを見てた。あの小さな家の中、たった一人で、誰の支えも必要としないで。……いつも言うことなんてなかったけど、翼くんのその姿、羨ましいなあって…眩しくて眩しくて……憧れてた。…わたしなんかじゃ役不足かもしれなかったけど、少しでも翼くんの力になりたいって、思ってた……今でも。だからね、こんな傷付くだけの世界なら…」
「もういい。もういいよ、月子、喋らないで」
「たったひとつを、」
「月子!」
翼のそんな怒った声を聞くのは初めてだった。指先が震える。全ての感情を押し殺した声で、翼はもういいから、と再度譫言のように呟いた。






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