「ん、」
差し出された掌を、わたしはどうしたらいいのか分からないまま黙って見つめた。わたしより一回りも二回りも大きな、少し骨張った掌。ざあっと雨を含んだ風が髪を揺らして、傘を持っていないから雨が降らなければいいのにと、場違いだと分かりながらもそう考えた。
眼前の鷹介は不思議そうにこちらを見ている。
「つき?」
つき、というのは鷹介だけが用いる月子の綽名である。月子が鷹介の名前を呼ぶのも、鷹介が月子の名前を呼ぶのにも一騒動あり、その結果の綽名である(今でもその話をしようとすると鷹介はあまりいい顔をしない。思い出してまた照れるのが嫌なのだという)。
彼がわたしの名前を呼ぶ度、どうしていいのか分からなくなる。特に二人きりの時にそれは顕著に表れるのだ。彼の表情が、仕種が、何よりもその声が、まるで砂糖菓子のようにとても甘いから、
(名前を呼ばれているだけなのに。好きだと、囁かれているみたい、で)
「……俺、何かやらかしたっけ?」
暫くの間、手を差し延べたまま固まっていた鷹介は困ったように苦笑して差し延べていた掌をそのまま月子の頭に乗せた。ぽんぽんと軽やかに伝えられる体温は緩やかで、思わずこちらの体温も上がってしまう。他の誰か、例えば幼馴染みや部活仲間、教師や生徒会メンバーにこんなことをされたところで体温なんか上がらないのに。こんなに心臓が痛いほど苦しくなることなんかないのに。彼がわたしに触れる、ただそれだけの動作でここまでおかしくなれるなんて相当である。――嗚呼、これが恋なのだ。
「ち、違います!別に鷹介さんが何かしたわけじゃなくって、えっとだから、何でその、手を」
「は?」
「だ、だから!急に手を差し出されて、どうしたらいいのか分からなくなったんですッ!鷹介さんの意図も分からなかったし、だから」
「つきって毎回そんなこと考えてるわけ?面白い子だね」
「ちょ、何で笑ってるんですか!わたしはこれでも必死で…」
「階段。落ちると危ないだろ?つきはただでさえおっちょこちょいだから、落ちたりなんかされると困るんだよ」
「………………っ!落ちません!」
彼が何でもないことのように言い放った言葉のお陰で、一瞬、わたしの体の全機能が停止したのではないかという錯覚を覚えた。そんなことあるわけがないのに、頭では分かっている。なのに。
幼馴染みのお姫様扱いでも、部活仲間の女神様扱いでも、教師の優等生扱いでも、生徒会メンバーの頑張り屋扱いでもない。こんな、こんな普通の女の子みたいな。
(こんな、とても大切にしている、みたいな)
星月学園唯一の女の子だったが、そこでは女神やらお姫様やらおよそ普通の女の子とは掛け離れていた扱いを受けていた月子は、鷹介の『女の子』扱いがむず痒い。どうしたらいいのか分からなくなる。慣れていないのだ、こんな、大切で大切な女の子みたいな、扱いは。
恥ずかしいのかな、わたしは。そるとも苦しいのかな、心臓が痛いほど。馬鹿みたいに、好きで、苦しい。息が出来なくて、ねえ、あなたも同じ気持ちだったらいいなあ、なんて、わたしは。
頭に乗せられていた大きな無骨な掌が動いて頬を緩く擦る。擽ったくて月子が思わず目を細めると、鷹介も眩しいものを見るかのように小さく笑った。
「ようすけ、さ、」
「ん?」
「……ばか」
「は?!今度こそ俺なんかしたっけ!?」
「うるさいです!」
離れていった掌が名残惜しかったから、掴めなかった掌を今度は月子から掴む。軽やかに踏んだ階段の一段目、この先も離さないでいてもらえたならとそう願った気持ちが一緒ならいいのに、縋るように力を込めたそれから返ってきた力強さが答えだった。






やさしくてあまい純粋な凶器







//有海
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