梓の家に滞在して早三日が経った。梓の家に滞在ししている間、翼は時折犬と戯れる以外は居間に何やらよく分からない機械を広げてああでもないこうでもないと、うんうん唸っている。家主の梓は何を言っても無駄だと悟っているのか何も言わずその行動を横目で眺めているだけだった。月子といえば何をするでもなく日がな一日窓の外、降り続ける天の涙を眺めているか、勝手場を借りて梓が狩ってきた兎の肉やら野菜を使って三人分の料理を作ったり、とそれなりに楽しく過ごしていた。一度外に出ようとしたことがあったのだが、その時は妙に焦る翼に止められた。(月子は俺と一緒じゃないと外に出ちゃ駄目!)思い返せば月子は追われている立場にある人間であり、更に言うならたとえ襲われたとしても追い返すだけの力など持ち合わせていないのだから、当然と言えば当然には違いない。翼くんと一緒にいる、何処にも行かないよ、そう告げた時の、翼の泣き笑いのような、何とも形容し難い表情を今でもよく覚えている。
今日も変わらず月子は窓の外を眺めている。隣では寄り添うように翼が小さな機械を弄っていた。時折機械が擦れ合う度に立てる微かな鳴き声以外何も聞こえてこない、梓は狩りに出ると言って暫く前に出掛けていったきりだ。窓の外では雪こそ降っていないものの、空は白くとても寒そうだった。――当たり前だ、冬なのだから。外寒そうだねと月子が独り言のように呟くと、俺は月子がいるから温かいぞ!と言葉が返ってきた。
「春がきたら何しようか。ね、翼くん」
「うぬぬぬ…そうだな、まずお花見!月子が作ったお弁当持って桜を見るんだ!あとはピクニックとかひなたぼっことか…やりたいことがいっぱいあるのだ!」
年齢の割に幼い笑い方をするのだなあと思った。だがその笑い方が一等好きだった。月子は楽しみだね、そう笑いかけてから遥か彼方を見透かすような顔をして一面の雪景色を眺めた。白い空と雪景色が混じり合って何処からが地面で、何処からが空なのか分からなくなっている。いつか見分けがつくようになるのだろうか。翼くん、わたしたちずっと一緒にいようねえ、小さくだが確かに呟いた声に、翼は嬉しそうに頷いて目を閉じた。
静かな時間がこのまま過ぎていくと思われたその時、バタン!と大きな音を立てて扉が開いた。驚いた翼が何かを言う前に慌てて駆け込んで来たらしい梓の、雪のように真っ白な顔。逃げろ!その一言に瞬時に動いたのは月子ではなく矢張り翼だった。強く握りしめられた手が痛いと思う間もない。
「まだ村には入って来てないみたいだけど、あの速度じゃ時間の問題。裏口から出れば森に抜けられるから、急いで」
あれだけ散乱していたよく分からない機械もいつの間にか荷物の中に収められている。バタン、大きな音を立てて開けられた扉の向こうは一面真っ白だった。目を焼く白、孤独の象徴。(いつかこの白に呑まれて、温かい掌すら見えなくなってしまう日がくるの、かな。それはとても、淋しい)
「先輩!翼!」
小走りで森を駆け抜ける途中、声が、聞こえた。
「絶対、絶対に春は来ますから!この雪が溶けて緑が顔を出し、桜が空を舞う日が絶対に来ますから!だから、それまで、絶対にこの世界に居てください!僕の指先が届かない世界になんか行かないで下さい!約束ですよ!」
その声があまりにも優しかったから、思わず目の前がぼやけてしまう。握りしめられた掌が痛い。その痛みから翼の感情が伝わってくる。
でも、その時梓がどんな表情をしていたのか、月子は確認することが出来なかった。






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