その日の夜、月子は久し振りにふかふかのベッドの上で寝た。梓が譲ってくれたのだ。当の二人は居間で何やら話をしているようだ。久方ぶりの再会なのだから積もる話もあるのだろう、そしてそれは月子が入っていいものではないのだ、きっと。僅かに開いた扉から漏れる飴色の優しい光を、月子は今にも閉じそうな瞼を無理矢理こじ開けながら見つめていた。ちろりちろりと揺れる光は、決して掴めない、星という存在にとてもよく似ている。(なんのはなしを、してるんだろう)眠気に支配された頭では正常な考えなど出来やしない。正常な考えが出来たところで会話の内容など考えつく筈もなかったのだけれど、何かを考えていないと眠ってしまいそうで、怖かったのだ。翼の家に居た時は何時も翼と手を繋ぎながら眠っていたから、余計にそう感じたのかもしれない。どろりと融けた闇に侵食されてしまいそうな気さえした。それでも眠気には抗いきれずに静かに瞼を下ろす。意識が途絶える前に聞こえてきたのは、この世界に春を呼ぶ人間の名だった。




「ぬははは!月子!犬だぞ犬!」
一面の雪景色の中、翼は茶色の毛並みを持つ大型犬とそれは楽しそうに戯れていた。二人の住む家では自分たち以外に誰もいなかったから、物珍しいのかもしれない。見ている月子と梓でさえ楽しくなってしまうほどに、翼の笑顔はきらきらと輝いていた。天は翼の笑顔を隠すまいとしたのか、白い花を降らせることはまだ止めているらしい。楽しそうだねえ、月子がそう笑いながら零せば、隣に並ぶ梓もそうですね、と楽しそうに返した。集落より少しだけ離れた場所に梓の家はあるため、周囲には誰も居ない。そこだけが世界から切り取ったかのようだった。
「…翼があそこまでたのしそうなの、久しぶりにに見ました」
外に出てから暫くして、ふと、漸く思い出したかのように梓はその言葉を口にした。驚いて月子が梓を見遣れば、悪戯っ子と同じ光を宿した瞳とかちあう。
「僕が知っている翼はあんな風に笑わないから」
「そうなの?初めて翼くんと出逢った時から、翼くんはあんな風に笑ってたよ」
「……先輩はどうして翼が春を呼ぶ道具を生み出そうと躍起になっているか知っていますか?」
「………え?聞いてない、よ」
「そうですか」
それ以上梓は何も言わなかった。ただ少しだけ困ったように笑いながら翼を見ていた。翼が犬と戯れる度、まだ固まりきっていない柔らかな雪がひらりひらりと宙を舞う。まるで花びらのようだなと月子は思った。花びらなど本当に数える程しか見たことなどなかったのだけれど。翼は淋しがりでしょう、ぽつりと零された言葉は雪に吸収されて消えた。聞こえていた筈の声を月子は敢えて気が付かないふりをして、瞼を閉じる。淋しがりなのはわたしだよ、その声が梓に届いたかどうか、月子には分からなかった。
「先輩なら翼を幸せにしてくれると思っています。だって翼があんなに満ち足りた顔で笑っているの、初めて見ましたし。それに翼なら先輩のこと、絶対に幸せにしてくれると思いますよ。従兄弟の贔屓目を抜いても、ああ見えて翼は一途ですから」
「わたしが翼くんを幸せにしてあげられているかは分からないけど、でもわたしは翼くんがいてくれて、幸せ」
「それは良かった」
その声はどこまでも穏やかで、梓が本当に翼の身を案じていたのだと知る。きっと梓は月子と出逢う前の翼を思い描きながらそう言っているのだと簡単に想像がついたが、月子は黙っていた。過去とは詮索するものではなく、沈黙の中静かに横たわっているものであるから。本当に仲良しなんだね、と月子が言えば、家族のようなものですからね、と優しい声が返ってきた。







人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -