ざくざくと雪を踏み締めて歩く。辺りの景色は白と木々の茶以外には何もない。時折針葉樹からさらさらと雪が零れる音だけが響いた。どれくらい歩いただろうか、時間の感覚などとうに薄れてしまっていたけれど、繋いだ掌の体温だけは本物だった。(たったひとつを殺せば春は訪れるのさ。星が私にそう告げている)この世界の王は、何かに取り憑かれた様に笑ってそう全国民に告げた。人々はそれを信じた。誰かを悪者にしなければやっていけなかったのだろう、月子はそう思っている。仕方がないことだと思う、心の安寧を保つにはそうするより他なかったのだ。ただ、ひとつ疑問に思うのは、春を忘れてしまったこの世界は、たったひとつを殺したところで春という存在を思い出すのだろうか、ということである。たったひとつを殺したが春が訪れなければどうするのだろう。また別の存在に罪を、罰をなすりつけるのだろうか。
【清明】、この二文字には、すべてが明るく清らかで、生き生きとしてすがすがしく感じられる頃、草木の花も咲き始める、という意味がある。文字通り春を閉じ込めているのだ。ならばたったひとつを殺せば春が訪れると言われるのも頷ける。隔年で生まれてくる【清明】の名を冠した存在。見分け方は簡単だ。【清明】は左の掌に蔦が絡み合った様な模様がある。ちらりと月子は翼を見た。大きな、優しい、温かい掌。悲しみも苦しみも拭ってくれる、神の絶対性にも似た、光を孕んだ掌。
星が綺麗だったあの夜、翼に出会っていなかったら、そんなことを考えてみるが、もう訪れやしない過去の仮定など、いくら考えてみたところで答えは出ない。あのまま孤独に包まれて死んでいたのだろうか、それも悪くはないなと思ってしまいそうになるが、翼に出会った今では脳裏に浮かび上がったそんな考えも直ぐに消極される。あの夜に全てを捨てた月子にとって、世界とは翼であり、翼そのものが己の全てだった。もしも翼がこの白に覆われた孤独な世界の為に死ななければならないというのなら、この世界なんていらない、と思う。いらない、は流石に極論だったとしても、少なくとも認めたくはない、と思う。翼の為に世界を失うことはあっても、世界の為に翼を失うことだけは、どうやったって堪えられそうになかった。
「…月子?」
不意に翼にそう声を掛けられたことで月子の意識は思考の深淵から引き戻される。ふわり、瞼に当たる六花が意識を呼び覚ました。
「翼くん?どうかした?」
「俺が呼んでも気付かなかったから。何考えてたんだー?」
「ふふふ、翼くんのことだよ」
「…ぬははは!そっか!」
ざくざくと雪を踏み締めて歩く。翼の話によるとひとつめ村はこの辺りだという。無視して進んでも良かったのだが、食料がそろそろ底を尽きそうだった為にやむなく立ち寄ることにした。村人に翼と月子が【清明】を追い掛ける王宮の人間から逃げていると知られてしまえば――
「…っ!誰だ!?」
がさり、目の前の木が大きく揺れる。俺の後ろに隠れて、翼が小さく月子に囁いた。
「そこにいるの、誰?早く出て来ないとこの宇宙人吹っ飛ばしマシーンで…」
「…その変な道具の名前は…翼?」
木の後ろから現れたのは、男にしては小柄な背格好。鴉の濡れ羽のような黒い髪に、黒曜石の瞳。肩から下げられた筒には何本か弓矢のような物が入っていた。もしかしたら狩りの途中なのかもしれない。その男を見て、翼は一気に警戒を解く。目を丸くして掠れた声でぽつりと男の名を呟いた。
「……梓?」








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