これと微妙に繋がってる。

何処か切実さの滲む声が、一樹の耳朶に染み込んでゆく。体の奥で揺らぐ、今にも消えてしまいそうな何かを、必死に掴もうとしている声だった。その声の余韻を掻き消すように、一樹は目を閉じる。――告げなければならない言葉があった。何度でも。それがたとえ月子の胸には届かなかったとしても。(俺はお前のことを好きにならない、か)ばたん、静かな音で鳴いた扉の声を一樹は静かに聞いていた。月子の体の奥から絞り出すような声が耳朶にこびりついて消えやしない。本当はどうしたかったのか、分かりきっていた。手を伸ばせば触れられる距離に居て、冷え切った小さな指先を温めてやりたかった、ただそれだけだったのだ。どこで何を間違えてしまったのだろう。――いや、何かを間違えたわけではない。自らこうなればいいと思ったのだ。こうして突き放して、もう二度と月子が傷付くことのないように、もう悪夢を見ることがないように。何時だって願うのは、祈るのは、ただそれだけ。月子が幸せならば他に何も要らなかった、月子が幸せであるのなら己も幸せだ。
(――本当に?)
がたり、風の強さに負けたのか窓が軋む。青い筈だった空には暗雲が立ち込めていた。まるで己のようだ、一樹は自嘲する。嘘だった。傍に居なくとも月子が幸せであれば己も幸せであるだなんて。嘘だった。他の誰かが月子を幸せにすればいいだなんて。(本当は傍に居たいし、幸せにするのは俺がいい)思ったところで、願ったところで、一度落ちてしまったものは戻らない。もう戻れないのだと、知っていた。(酷い奴だな、俺は)
記憶は風化する。新しい記憶に古い記憶は押し潰されて消えていくしかない。――けれど、一樹は確かに覚えていた。はらりはらりと鮮やかな空を舞う薄桃色の花弁。思わず目を瞑ってしまうほどに輝いた、白銀の光。微かにに耳朶を震わせた、飛行機のエンジン音も。笑うと世界が光で満ち溢れるような気がした。その笑顔さえあれば何でも出来るような気さえした。(ねぇ、一緒に遊ぼう?)薄桃色が溢れんばかりの巨木の間に挟まれて、余計に小さく見えたその体。伸ばされた掌の小ささ。そっと包み込むように触れてきた指先の、涙が零れ落ちそうになるくらい、優しい温もりを。――何もかも、自分とは違う。それが、ずっと眩しかった。(幸せになれよ、か。なんて、)目を閉じれば、今でもあの屈託のない笑顔が脳裏に蘇る。薄桃色の花弁が舞い散る巨木の根本で、一樹に向かって伸ばされた小さな白い手も。(初めまして。よろしくお願いします)生徒会室で差し出された、雪のように白い細い腕と掌も。けれど、その手を取る事は、許されない。それを一樹は知っている。月子の中に一樹の存在があってはならない。(俺は、月子に許されては、ならない)それだけは、どうしたって揺るがしようのない事実なのだ。(なら、傍に居ない方が、いい)この関係に名前が付かなくとも構わない。隣に居られなくとも、後ろ姿を静かに眺めていられる位置に在ることが許されるのであるならば。月子を傷付け、一時であろうと、その優しい心を深淵なる闇に突き落とした己の罪は許さなくていいから。エゴだと言われればそれまでかもしれない。だが一樹にはそれ以外に月子を守る方法を知らない。そうすることでしか月子を守れないのだと、頑なに思い込んでいる。他の道を模索しようとは思わない程度に一樹は臆病者なのかもしれなかった。(臆病者でもいい。アイツを守れるのなら)未来が映るというこの瞳に彼女の幸福な行く末が映ればいいのに、と強く瞼を閉じる。闇の中浮かび上がってきたある日の幻想を打ち砕くように、一樹は小さく頭を振った。









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