最初は滅びたはずの雪村の、それも貴重な女鬼だからというだけの興味しかなかったあの雪村千鶴という存在をそれ以上の興味を持って見るようになったのは俺すらも気づかない、随分前からのことだった。
きっかけは新選組の原田左之助と刃を交えた時だった。
あいつは槍で、俺は銃でそれぞれ武士なんて堅っ苦しい肩書きなんざ捨て置いて、ただ殺るか殺られるかの瀬戸際で純粋に勝負の経過を楽しんでいた。
だが、あいつはどこまでも甘い野郎で、後ろに女なんて庇いながら俺に槍の矛先を向けてきやがった。
挙げ句に勝負の途中から非情になりきれねぇ迷いだらけの濁った目で俺を見やがるもんだから頭にきてあいつの長物を吹っ飛ばして、その眉間に銃口を突き付けてやった。
…こいつも、『あいつ』の面影を垣間見たこの原田左之助という男でさえ、結局は取るに足らない弱い人間だった。
他人に縋って寄生して、自分の利のためだけに相手を喰らい尽くす。
もう、『あいつ』みてぇな人間なんざ、この世にはいねぇってことだ。
今まで見たこともねぇほど焦燥に駆られた顔で俺を見上げるそいつにとどめを刺すため引き金に指を掛けた俺にあの女鬼は言った。
「撃つなら私を撃って下さい」
原田の前に庇うように身体を躍らせ、銃口に見向きもしねぇで俺を射殺すような眼差しで睨めつけていた。
鬼だからどうせ傷はすぐに治っちまうとか、惚れた男の死に様を見たくねぇからとか、そんな安っぽい理由じゃねぇ。
目の奥の覚悟を見りゃわかる。
こんなに肝の据わった女は見たことがねぇ。いや、そもそも女にしとくのが勿体ねぇぐらいだと思った。風間が執拗にこの女鬼を手中におさめようとする理由にも頷ける。
「…興ざめだ。見逃してやるから早く行け」
内心と裏腹な言葉を吐いて、俺は銃口を下ろした。
こいつはこんなところで死ぬような女じゃねぇ。
あのときは、ただそれだけの理由で気まぐれに生かした。
それからしばらく、原田とその女鬼は行方知れずのままだった。
新選組を離隊したなんて話を天霧伝いに流し聞いたきり、音沙汰なしだ。
だからどうしたってわけじゃねぇが、どっかで野垂れ死んでやがったら、あのとき俺が生かしてやった意味がねぇじゃねぇかと思っただけだ。
「不知火。あなた宛てにです」
「あ゙ぁ?なんだそりゃ」
「差出人は雪村千鶴と書いてあります」
「あの女鬼が俺にいったい何の用があるってんだよ」
「それは計りかねますが、中を確認すればすぐにわかることでしょう」
「…ちっ」
丁寧に封のされた手紙を受け取って、俺はその場を後にした。
虫の知らせなんて信じる類いじゃねえが、妙な胸騒ぎがしてならねぇ。
無意味に募る苛立ちに任せ封を破れば、中から出て来たのは予想を裏切らない胸糞悪い知らせだった。
手紙を受け取ってすぐ、その日のうちに立った俺は月も昇った夜遅く人里離れた山奥の家に着いた。
だが、そこに女鬼の姿はなく、代わりにむせ返るような花の薫りだけが漂っていた。
それが言い知れぬ不安を掻き立てる。
「ったく、呼び付けておいてどこに行きやがったんだ?」
欠けた月明かりは道標にもならねぇ。
そのうえ道を塞ぐように茂る木が邪魔で進退すら窮まりねぇ状態だ。
何だってこんなとこに呼び付けたのか、さっぱりわからねぇ。
「…待つしかねぇか」
闇に呑まれていく舌打ちに俺はため息を吐いた。
――程なくして女鬼が現れた。
原田と居た頃とは比べものにならねぇぐらい、やつれたその姿は一見してそいつだとわからねぇほどだった。
「おい」
何があったか、なんて野暮なことは聞かねぇ。
そもそも俺は『それ』を聞きにわざわざ来てやったんだ。
大体の経緯と検討はついてる。
「いつだ?」
「………。」
「あいつはいつ逝ったのかって聞いてんだよ」
「……昨日です」
「昨日?昨日の今日で俺に手紙を寄越したってのか?」
「それは…」
女鬼は俯いたまま言葉を濁した。
それきり一言も喋らねぇ。
…まさかと思うが泣いてやがんのか?
泣くためだけに俺を呼び付けたってのか?
「俺はお前の泣き言を聞くために来てやったわけじゃ、」
「どうして、ですか」
「あ゙ぁ?」
「どうして、左之助さんに会いに来てくれなかったんですか」
「俺があいつに会いに来なきゃいけねぇ理由でもあんのか?」
「…何度も、手紙を送りました」
「手紙?」
そんなもん見た覚えはねぇ、そう言いかけて俺は自室の机上――未開封のまま幾枚も重ねられた封筒に思い当たった。
それは紛れも無い、今朝、天霧から受け取ったものと同じ封筒。
差出人は言わずもがな、この女鬼だった。
「お返事が来るとは思っていませんでした」
「………。」
「でも、一度は会いに来てくださると、思っていました」
「はっ、ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ」
俺があいつに会いに来ると思っていただと?
お前がそれを俺に言うのか?
俺の気も知らねぇで勝手なこと言いやがる。
とんだ茶番に付き合わされたもんだ。
「…俺様があいつに、お前らに会いに来なかった理由を教えてやろうか」
「……なんですか?」
「そんなもん…」
――そんなもん、何だ?
降って湧いた疑問に、今度は俺が押し黙った。
人間が嫌いだからか?
すぐ、くたばっちまうような弱い人間が嫌いだからか?…いや、違う。
俺がこいつらに会いに行かなかったのは、
会いたくなかったのは、
「…不知火、さん?」
「………!」
『それ』に気付いたとき、救いようのねぇ嫌悪感に襲われた。
冷えた夜の呼吸は、肺の奥がチクリと痛んだ。



冷えた夜の呼吸は、肺の奥がチクリと痛んだ。





企画サイト"花葬"さまへ提出。
素敵な企画をありがとうございました。
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