ひゅるり、風が髪を撫でる。目の前ではまだ幼い千鶴が無邪気に笑っていた。空が掴めると言わんばかりに大きく伸ばされた雪の様に白い腕が目に眩しい。
これは夢だ。分かっている。だってもう千鶴はこんな風に笑ったりしない。分かっている。夢は夢でしかなく、いつかは覚めなければならないのだということを。それでももし許されるならまだこの夢を見続けていたい。この優しい夢を、叶うことなら永遠に。
「にいさまーっ」
「ん?どうしたの?」
「あのね、あのね、これ、あげる!」
差し出されたのは何処にでも咲いている様な小さな白い花だ。まるで千鶴の様な凛とした華やかさを持っている。これは夢だとわかっていてもいきなりどうしたのだという気持ちが拭えない。受け取らないでぼうっと眺めていた薫を不思議の思ったのだろう、その小さな手を更にずいっと前に突き出して千鶴は笑った。
「あのね、かあさまにおしえてもらったの!にいさまのことだいすきだっていったらそれをつたえてあげなさいって!だからね、だからね、はい!にいさま、だーいすきよ!」
思わずぽかんと口がだらしなく開いてしまうのが分かった。これは夢だ。都合の良い頭が見せている夢だ。それなのにどうしてこんなにも幸せな気持ちになるんだろう。嗚呼、自分はこんなにも千鶴のことが好きで好きで堪らない。たった一人の妹だから?家族だから?違う。この神の絶対性に良く似た少女が千鶴だからだ。千鶴だから好きで、どうしようもなく好きで、二人の間にある絶対的な寂しさが受け入れられない。ちづる、呟いた名前は自分でも驚くほどに優しい。ちづる、あのね、おれだってきみのことが、
「ありがとう、ちづる。おれも、あいしてるよ」
「あいしてる?」
「すきよりももっとうえってことだよ」
「じゃあちづる、にいさまのことあいしてる!」







ふ、と目を覚ませば見慣れた天井が目に入る。嗚呼あの優しい夢はもうどこか遠くに行ってしまったのか、どうしようもない虚無感が体を包んだ。夢だと分かっていたから目を覚ましたくなどなかったのに、神様は残酷だ。何時だって自分の望みなんか叶えてくれやしない。
「千鶴、」
夢で見た同じ声で、夢で感じた同じ愛しさで少女の名前を呼ぶ。返事はない。当たり前だ。少女は部屋の隅で虚ろな瞳でぼんやりと宙を眺めている。少女をあんな風にしたのは紛れもない自分だ。だってそうでもしないと少女は自分の傍に居てくれない。仕方なかったんだ、そう何度心の中で呟いただろう。伸ばした指先は拒まれることなく少女の雪の様に白い頬に届く。冷たい、その温度に一筋滴が伝った。
「ねえ、千鶴。お前は…まだ俺に躊躇いなく「愛してる」って言えたりしますか」
少女は答えない。少女は応え、ない。


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