いい奴だったんだよ、本当に。そう言って隣に腰を下ろした不知火はぽつりと呟いた。何の話をしているのか、脈絡もなく告げられたその言葉に一瞬だけ千鶴は眼を丸くする。不知火はもう一度続けた。いい奴だったんだよ、と。
「・・・あぁ、」
彼の大きな掌によって弄ばれている煙管が視界に入って漸く千鶴は気がついた。それは彼にとって大切であったろう友人が遺したものだったと聞いている。人間でありながら彼が心を許した存在。千鶴が身を置いていた場所とは全く正反対の位置に身を置いていた彼のことを、千鶴はよく知らない。ただ、不知火が稀に語ってくれる優しい記憶の中の彼は責任感が強く仲間想いで、とても温かい人だった。たとえば進む道が同じであったなら、彼らともきっと仲良くなれたに違いない、そう思ってしまう程度には。
「わたしはその方のことを良く存じ上げません。でも、きっととても温かな人だったんでしょうね」
「なんでそんなことが分かるんだよ」
「だってその方の話をする不知火さんの顔がとても優しいから」
「・・・・・そうか?」
「はい、とても」
不知火は手元の煙管に目をやったまま暫くの間沈黙を続けていた。その静寂自体は千鶴にとって嫌いな物ではなかったから静かに目を閉じた。髪を撫でる風の言の葉が耳を擽る。
人間と鬼は違う。何時だったか、それは月の綺麗な夜だったように思う。不知火はそうぽつりと零した。つい最近まで自分が人間であると信じて疑わずに生活していた千鶴にとって、その言葉の意味が痛いほど伝わってきた。人と鬼は違う。決して相容れぬわけではないけど、そう簡単に相容れる存在でもない。そんなことを言ったら彼らは怒るのかもしれないと、記憶の中の優しい光に向かって小さく呟いた。彼らは何時だって優しかったから。人間でも鬼でも構わないと言ってくれたから。
「人間は脆い。弱いくせに大義とか忠誠だけで突っ走ろうとしやがる。俺が止めたって聞きやしねぇ。まぁ別に止めてやる義理もねぇんだけど」
不知火が言外に何を言おうとしているのかが伝わってきて、千鶴は小さく笑う。不知火は優しい。人間なんてと言いながら、その人間の為に心を砕こうとする。不器用なだけなのだ、きっと。鬼と人間は違う。鬼は永い永い年月を生きて行くが人間は鬼と同じような時間を生きて行くことなど不可能だ。同じ世界を生きたくとも、同じ時間を共有したくとも、切ない痛みを伴った別離は必ず訪れる。置いていかれる、そんな一方的な別れをこれから何度経験すればその痛みに慣れることができるのだろうと千鶴は考えてみたが、果たして思いつく筈もなかった。
「人間ってよぉ、弱ぇよなぁ……」
本来であれば嘲りの意味を持つであろうその言葉が、死なないで欲しかったと、置いていかないで欲しかったと告げていた。叶うことなら永い永い時間の中を共に歩んでみたかったと告げていた。その言葉が千鶴の胸にもどうしようもなく重い物となって響く。どうせなら連れていって欲しかったのに、優しい彼らはそれすら赦してくれない。
「ねぇ不知火さん。寂しいです、ね」
不知火は黙ったまま何も言わなかった。ひっそりと悲しみを分け合うように、優しさを、温もりを分け合うように触れ合った指先の体温だけが返事だった。

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