今日は修学旅行最終日だ。もう直ぐ千鶴に会える、それだけが薫の頭の中にある。千鶴とどんな話をしよう。千鶴はどんな話を聞いたら喜ぶだろう。
もしかしたら千鶴は自分が見せている幻想なのかもしれぬ。そう薫はよく思う。両親にただ賢くあれ強くあれと、それだけを強要されていた幼い頃の自分が作り出した甘やかな幻想。
しかしそれならば。自分が望む限り千鶴はあの鏡の向こうに居てくれるのだろうか。薫。千鶴の声がする。その声を守るためだったら、何でも出来る気がした。
そんな取り留めないことを考えていると、にゅっと目の前に顔が現れた。委員長だ。
「やほ。アンニュイな顔をしてるよ南雲くん」
「元からだよ」
薫のことを見ていてくれと教師に言われたのか、委員長は冷たく突き放されてもニヤニヤ笑いながら傍にいた。千鶴とは違う、気持ち悪い笑い方だった。
「ね、南雲くん。シュレディンガーの猫。知ってる?」
「…………名前はね」
突然委員長がそう問い掛けてきた。どんな意図があるか分からない。ふっと委員長の方を見れば、委員長はただ前を真っ直ぐに見つめている。相変わらずニヤニヤ笑いであったけれど。
「シュレディンガーの猫。詳しいことは面倒だから省くよ。例えば此処に猫が入った箱があったとするね。私は猫が死んでると思う。でも南雲くんは生きてると思ってる。さてどっちが正しい?」
「そんなの、箱を開ければ」
「そう。簡単だね。箱を開ければいいんだ。でも猫の生死は箱を開けるまで分からない。つまり箱を開けるまでは、箱の中の猫は死んでもいるし生きてもいる」
「何が言いたいの」
風が一陣通り過ぎる。迎えのバスが来たようだ。遠ざかっていた筈の喧騒が帰ってくる。千鶴の声はない。
「何となくさ、この間の南雲くんの言葉を思い出して。この世に存在しないものはないんじゃないかな。私たちが存在すると信じている限り、箱を開けなければ全て存在するんだから」
漸く委員長の言いたいことに薫は気が付いた。
千鶴は存在する。そう薫が思えば確かに千鶴は存在するのだ。触れられる。そんな存在で。自分が箱さえ開けなければ。
「そうかもね」
薫。また千鶴の声が聞こえた。









091005/有海
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