(一月←オリキャラ+春組記憶喪失パロディ)





月子が事故にあったのはまだ雨の匂いが残る昼下がりのこと、一樹と月子が仲良く並んで歩いている時のことだった。小さな子供がいきなり歩道へ飛び出して来たのである。その歩道は普段は車の往来も人の往来もほとんどない道であったから誰も気にも留めていなかった。だが、今回は違った。居眠り運転だと思われるトラックが道に突っ込んできたのだ。小さな子供は気付いておらず避けなければ衝突は必至である。道行く人々は数えるほどしかおらず、それも音楽を聴いていたり携帯電話を弄っていたりとその状況に気付いている者はいない。
(助けなくちゃ)
体が動いたのは必然だったに違いない。目の前で誰かが傷付くのを人一倍月子は嫌う。誰かが傷付くくらいなら自分が、なんて自己犠牲精神を月子は持ち合わせてなどいない。でも頭のほんの片隅にこんな気持ちを持ち合わせていたのは多分、嘘じゃない。
(一樹さんがこれ以上傷付かなくていいなら、わたし、は、)
「っ、月子!」
最後に聞こえた声は誰のものだったか、其れを知る術はもう、ない。





わたしが目を覚ました時、最初に目に飛び込んできたのは見知らぬ天井だった。鼻につく薬品の匂いと純白に覆われた世界がわたしの認識できる世界の全てで、ふと気付けば自身の左手がとても温かいことに気がついた。わたしの掌を握り締める温かく大きい掌の持ち主。銀色の髪が窓から入ってくる風に揺られている。
(このひと、)
繋がれた掌の温もりが心地よくてわたしはゆるりと目を細めた。なんだかとても大切なことを忘れている様な気がして、必死に脳内を探ってみるけれど何も思い出せない。寧ろ何を思いだしたいのか、何を忘れているのかそれすらも分からない。ただ、この掌の温もりだけは絶対に失いたくないと、そう強く思った。
「…っ」
ぐらり、銀色の髪が揺れて若草色をした澄んだ瞳に見つめられる。嗚呼、綺麗だなあ。それでも口から洩れたのはほう、といった溜息だった。
「!月子、目が覚めたのか!」
つきこ、彼の口から紡がれる三文字の文字の羅列の意味をわたしは咀嚼できない。つきこ、彼の薄い唇から紡がれるその三文字は特別な響きを持ってわたしの耳朶を揺らす。つきこ、砂糖菓子の様にふわふわとした甘さを持ったその響きが、わたしの意思とは裏腹に脳内を侵食していく。つきこ、たった三文字の意味すら咀嚼出来ないでいるわたしを不審に思ったのか若草色の瞳が訝しげに細められた。嗚呼、若草色が隠れてしまう。わたしの愛した若草色が、
(わたしの、あいし、た?)
「つき、こ?どこか痛いのか?俺が分かるか?」
分からないの、知らないの、思い出せないの、何もかも。わたしの記憶からは全てが抜け落ちて、若草色をした優しい目を持ったこの人のことも、白い衣服に包んだわたしのことも、みんなみんなわたしを置き去りにして何処かへ行ってしまった。この掌の温もりだけは今も確かに息づいているのにその行方だけが分からない。
「つきこ?」
「…ごめんなさい、あなたは、だあれ?」
思いだしたいのに、それすら、『わたし』は許してくれない。





「あなたのせいじゃない、分かっています。でも暫くは、貴方の顔を見たくありません」
そう言われては為す術もなかった俺は静かに月子の病室の扉を閉めた。隙間から見えた月子の寂しそうな、心細そうな瞳が消えてくれない。
(何やってんだ、俺は、)
守ると決めたのに。もう傷つけにないと心に決めたのにこの様は一体何なのだろう。何が星詠みの力だ、何が未来を見通せる力だ。大切な物一つ守れないくせして、どうして別のものを守れると言うのか。貴方の顔を見たくありません。その通りだ。嗚呼、いっそのこと消えてなくなれたらいいのに、白くなるほどに握りしめられた指先は虚しく宙を切るだけだった。その指先を解いて笑ってくれた光の塊が、今は傍に居ないから。
「あれ?不知火さん?」
ふと聞きなれた声がして振り返ると見慣れた女が立っていた。自称月子の親友で俺が最も苦手とする存在――代菅鈴。代菅は何時もの様に底冷えする感情の読めない瞳で俺を見つめている。その瞳に宿る光が少しだけ優しく感じられるのは何故だろう。
「どうしたんですか、病室行かないんですか」
「…追い出されちまったからな」
「…そうですか」
代菅はそれ以上何も言わない。黙ったまま俺を見つめている。其処に俺を責める様な色は見当たらない。どうせなら目一杯責め立てて欲しい、詰って欲しい。許されたくなど、ない、のだから。
「貴方がそんな顔してどうするんです。今一番不安なのは誰ですか。今一番寂しいのは誰ですか。そんな顔しているなら奪いますよ、言いましたよね」
何も言えない俺を代菅はまだ暫く見つめていたが、時間の無駄だと思ったのだろう、踵を返して病室へと入っていく。なんの制約もなく病室へ入っていけるその姿を心の底から憎いと思ったのは初めてだった。


あなたがあいした世界の残りに





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