「始めまして、月ちゃん。わたしは代菅鈴。よろしくね」
差し出した右手を月子はおずおずと握る。その瞳に絶対的な寂しさを見てとって、鈴は静かに眉根を寄せた。





「東月さん」
ん?そういって錫也は月子に兎の形に切られた林檎差し出したまま鈴の方を振り返った。底冷えする瞳のまま壁に寄り掛かっている鈴は名前を呼んだっきり何も言わない。近くに座った哉太交互に二人を見やってから小さく溜息を吐く。月子は心許無さそうにその視線を空に彷徨わせていた。
この微妙な空気の原因をきちんと理解している自分に気付いて鈴も周囲に分からないように溜息を吐く。原因は銀色の髪と若草色の持った男だ。毎日毎日病室に入りもしないで、外からこの病室を見上げている。入ってくればいいのに、と当初は思った。が、なるほど、この空気の中入ってくるのはなかなか至難の技だろう。そもそも月子の過保護な幼馴染の一人が病室の扉の取っ手に手を掛けることすら許していないのだから、懸命な判断と言えなくもない。だが、
(だからってさ、これは…)
月子も不知火を気に掛けているのは知っていた。当たり前だ、二時間に一回くらいは幼馴染にその存在の所在地を尋ねているのだから。幼馴染の一人である七海はその問いかけに答えようとしていたが、その前にもう一人の幼馴染である東月が無理やり話題を変えていたのだ。その気持ちは分からないでもない。世界で一番大切な存在が傷付いてしまったのだ、もし自分が同じ立場にあったなら同じ行動を取っていたに違いない。それだけは断言して言うことが出来た。ただ、鈴は月子の幼馴染でも何でもなく、ただの一般人、それも一言で言い表すなら月子に想いを寄せている、傍から見れば異端と取られてしまってもおかしくない存在である。この状況を或る意味一番客観的に見ることの出来る存在であったために、この彼らにとっては住みやすい箱庭がとても窮屈で歪な物に見えてしまった。自分よりも相手を想い、相手に害をなすであろう可能性は徹底的に排除する。その極端性を鈴は嫌ってはいない。相手が傷付く可能性が少しでも減らせるのならどんな手段だって取る、いっそ狂気に見えてしまうほどの其れを誰もが内包していることを鈴は知っている。故に無条件に彼らを非難
することなど出来る筈もないし、しようとも思っていない。ただ、鈴には不知火の気持ちも痛いほどに分かってしまうから。
(あーあ、わたしもいい加減お節介だよねえ、本当)
「ねえ月ちゃん、」
その声に月子は瞬時に反応する。声を発しないのはその口に林檎を咥えているからだろう、その姿が幼くて微笑ましく思えたけれど今はそれどころではない。この計画は七海が気付くかに掛かっているのだが、果たしてうまくいくのだろうか。
「月ちゃん、アイスクリーム、食べたくない?」
「え、アイス?」
「うん。食べたくない?」
「え、えっと、食べたい、かな」
その返事に何か感づいたのだろう、七海がぴくりと体を小さく震わせる。どうやら通じたらしい。
「そーか、なら買ってきてやるよ。な、錫也!」
「え、でも、月子が」
「わたしが見てるから。別に変なことしないよ」
「変なことってなんだよ変なことって…。行くぞ!錫也!」
「おい、哉太!」
頼んだ、去り際にそう呟かれた言葉に小さく笑うことで応える。
(貸し一つですよ、不知火さん)





がらり、と扉を開ければ亜麻色の髪を持った美しい少女が此方を向いた。その瞳の中に自分が映っている、それだけでこんなにも満たされた気分になるのは相手が月子だからだろう。その亜麻色に触れたいと思ったけれど、二人の間にある壁が今は其れを阻む。いつになったら触れられるんだろう、こんなに好きで好きで愛おしくて堪らない。もう一度その名前を呼んで、抱きしめることが出来たら、それだけで他には何もいらないと思えてしまう程度には、俺は月子のことが好きらしかった。
「月子、」
「不知火さ、ん」
その名前の呼び方にずきり、と心が悲鳴を上げた。分かっている。今の月子にとって俺はただの『知り合い』の一人でしかない。先輩でも元生徒会長でも恋人でもなく、ただの知り合いで、
(自分で言って落ち込んでたら世話ねえよなあ…)
「体調はどうだ、痛いところはないか?」
「ふふふ、大丈夫です。ありがとうございます」
流れるのは愛しい時間。いっそこのまま時間が止まってしまえば永遠に二人で一緒に居られるのだろうか、果たしてそんな筈もないのにそう思ってしまうのはどうしてだろう。




その魔法は使えません


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