彼が居なくなってから三度目の春がきた。相変わらず彼の居ない家の中はがらんとして寂しくて堪らない。振り向けば彼があの意地悪な笑みを浮かべて其処にいるようで、何度幻影に手を伸ばしたことだろう。何時だって触れられなくて、描いた虚像は音もなく崩れ去る。苦しくて苦しくてどうしようもなくて、彼が傍に居ないただそれだけなのに、心が痛いほどに悲鳴を上げている。
今も何処かで彼はあの意地悪な笑みを浮かべて笑っているのだろうか。それとも愛を囁いてくれた時のような優しい笑みを浮かべて笑っているのだろうか。結局どちらでも構わないのだけれど。笑っていてくれるのなら。

「総司、さん」
久し振りに呟いた愛おしい名前はみっともなく震えていて、こんなのではまた彼にからかわれてしまうだろう。そう思っても止められない。視界が滲み始めた。
強くなったつもりだった。彼が傍に居なくとも独りでもちゃんと立っていられるつもりだった。笑って過ごしていけるつもりだった。
それなのに。
「総司さ…ん…っ!!」
溢れ出す透明な滴。止まらない止まらない止められない。
逢いたい。逢いたい。逢いたいよ。一度だけで良い。抱き締めて欲しい。大丈夫だよって。僕は幸せだったよって。頑張れって、そう言って欲しいよ。
「総司さ……っ!!」
桜の幹の下にうずくまる。深い闇の中、どうしようもなく苦しくて悲しくて辛くて痛くて。何度も愛おしい名を呼んだ。



「千鶴」
不意に聞こえた声に振り返る。
「う、そ…」
それは紛れもなく彼の物で、なりふり構わず彼に駆け寄った。抱き締めた体は驚く程冷たくて、現実をどうしても見たくなくて熱を分け与えるように思い切り力を込めた。
「千鶴、泣いてるんだね」
「泣いていません…!!」
「泣いてるじゃないか」
「だから泣いてなんか…っ」
持ち上げられた顔。視界に広がる彼の困ったような顔。それすら愛おしい。
「……本当に嘘を吐くのが下手だね君は」
言いたいことは沢山あって、でも嗚咽がそれの邪魔をする。彼に安心してもらう為に笑顔を作りたいのに、透明な滴がそれの邪魔をする。
「千鶴、よく聞いて」
彼の声。彼の優しい瞳を見つめながらそっと耳を傾けた。
「僕は十分幸せだった。千鶴と過ごせて、とてもとても幸せだった」
その言葉はまるで、
「千鶴が気に病むことは何一つない。だって僕は後悔なんか何一つしていないんだから」
離別の言葉のようで。
「……千鶴。苦しかったら苦しいって言いなよ。寂しかったら寂しいって言いなよ。ちゃあんと聞いてるから。姿形はなくともちゃあんと傍に居るから、大丈夫だよ。だからもう独りでなんか泣かないで」
駄目なのだ。傍に彼の姿がなくては。傍に彼が居て笑っていてくれなければ。
「嫌です嫌です…!!総司さんが居なくちゃ私は息も出来ないんです!!貴方が傍に居なくちゃ私は一人で立つことも歩くことも出来ないんです……っ!!」
彼を繋ぎ止められるならばもう何でも良かった。どんなに醜くともそれで良かった。
「……大丈夫。千鶴は息が出来てるし、一人で立つことも歩くことも出来てる。心配しなくていい」
「違います総司さん。私には貴方が居なきゃ、」
「……千鶴は僕が言った言葉を忘れちゃったの?」
「……え……?」
彼が目を細めて優しく笑う。
「僕はいつだって君の傍に居るって。僕の心は永遠に君の物だって」
「……」
「僕の言葉は信じられない?」
その聞き方は卑怯だ。頷く以外に何も出来やしない。
「君が忘れてしまわないように、何度でも言ってあげる。僕は何時だって君の傍に居る。だからもう何も心配することはないんだ」
そんな言葉など信じられないと言うことも出来た。でも彼があまりにも優しく笑うから。これ以上我が儘なんか言えなくて。甘やかな猛毒に浸食されていくように小さく微笑んで頷いた。
「良い子だね」
「もう…。子供扱いはしないでください」
久し振りの優しい時間。沖田はもう一度強く千鶴の体を抱き締めると、そっとその体を離した。
桜の花弁が風に舞い上がって散っていく。
「千鶴、僕はね、君のことが、」
強風。桜に包まれる体。思わず目を瞑って、次に開いた時彼―――沖田の姿は其処には無かった。
でもそれでも、彼の言葉はきちんと届いていたから。だから大丈夫だ。
まだ前はうまく見えなくて、息をするのには少し苦しくて、足は震えているけれど。
彼の言葉が在る。だからきっと大丈夫。







彼が居なくなってから四度目の春がきた。今年も桜の花は満開だ。
「総司さん。今年も桜は綺麗に咲きましたよ」
その言葉に呼応するかのように桜の花が風に舞い上がって、千鶴を包んだ。千鶴はそっと優しく微笑んで、ゆっくりと目を閉じた。


もう泣かないよ。貴方が隣に存在しなくとも。




〜090319/有海
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