一さんと斗南に移住してから暫くが経つ。最初はその寒さに戸惑いもしたが、今では大分慣れてきたように思う。
「行ってらっしゃい、一さん」
「あぁ、行ってくる」
毎朝こうやって仕事に出掛ける一さんを送り出すのが日課。一さんは決まって額に口付けを落としてくれるのだが、そちらにはまだ慣れそうもない。
………一生慣れそうもないのだけれど。

斗南に移ってから一さんが羅刹の発作に苦しむことも少なくなった。それが堪らなく堪らなく嬉しい。
羅刹の発作が少なくなったということは彼の体内に潜む羅刹の血が薄くなってきたということで、それはつまり彼と在れる時間が増えているということに他ならない。
いつだって自分が望んでいるのはありふれた幸せだ。彼が傍にいて笑っていてくれる、ただそれだけでいい。他には何も望まない。周りの人間は安っぽい幸せだと笑うだろう。でもいいのだ。
「はーじめさーん…」
何となく呼んでみたくなって小さく名を呼んでみた。返事が返ってくるとは思っていなかったのに。
思っていなかった、のに。
「呼んだか」
「はっ、一さん!?お仕事はどうなさったんですか?!」
「働き過ぎと言われてな。休暇を戴いた」
「そ、そうなんですか…」
まだ心の臓がバクバクと音を立てている。今の自分は顔が真っ赤に違いない。
ちらりと一さんの顔色を窺うとそれはそれは優しく微笑んでいたので、釣られて自分も笑顔になる。
一さんの大きな手がまるで宝物にでも触れるようにそっと髪に触れてきた。その手が心地よくて目を瞑る。
「少し眠るといい」
「でも……」
「遠慮することはないが」
「いえ、折角のお休みでしょう?寝てしまうのは勿体無いです…」
そう呟けば空気が笑ったような気がした。
「半刻経ったら起こす。そうしたら久しぶりに村に降りてみよう…」
「は、い…」
優しい手つきと迫る眠気に抗えなくて意識を手離す。深淵に落ちる間際に聞こえた声にそっと笑みを零した。


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