それはまだ幸せだったあの頃の遠い記憶。




毎朝決まった時間に土方さんを起こしに部屋へ向かう。そっとベッドの傍に近寄ると、穏やかな寝息が聞こえた。
「土方さん、朝ですよ」
耳元で優しく囁く。私はこの時間がとても好きだ。私が声を掛けると彼はいつも優しく穏やかに微笑んでくれるから。
「ん、もう少し…」
「朝ご飯、冷めちゃいますよ」
「千鶴の作ったもんなら何でも冷めてもうめぇから大丈夫だ…」
「も、もう!!またそんなことを言って…っ!?」
頬に熱が集まるのが分かる。彼の一挙一動が私にとってとんでもない爆弾だ。人が幸せで死ぬことが出来ると言うなら今自分は確実に死んでいるんだろう。
「土方さ―ん…」
さらさらした髪を撫でる。それが心地よいのか目を細めながら私を見つめた。
「ちづる、」
彼は時々こうやって不思議な声音で私を呼ぶことがある。そうまるで、私であって私でない誰かを呼ぶような。
そんなとき少しだけ悲しい気持ちになるけれど、いつだって彼は優しい優しい瞳で私を見つめてくるから、それだけで十分だと思ってしまうのだ。
「なんですか、土方さん」
大きな無骨な手が私の手を包む。重ねるようにゆっくりと包み返すと温かさがじわりと広がった。
「歌を歌ってくれねぇか」
「歌、ですか?」
「あぁ…お前の声は聴いていて気持ちがいい」
そこまで言われては断るわけにもいかず、私は目を閉じて彼の手を握りしめながら静かに唄う。彼に、土方さんに教えてもらった唯一のあの歌を。
『遠い遠い昔あの人は言った
君は特別な人形であると
あの人に喜んでもらうため
あの人に褒めてもらうため
今も歌ってるずっと
あの人がもう瞳を覚まさなくとも歌っていよう
いつかあの人の傍に行けるその時まで…――』
「『千鶴』」
土方さんが今度は確かに私ではない誰かの名を呼んだ。
「お前は幸せ、だったか…?」
私はきっと土方さんの中にいるあの人には一生勝てないんだろう。
でもそれでも、私は土方さんを誰よりも愛していて、それは彼が『私を作ったから』ではない。
私はあの人にはなれないし、あの人の『代わり』なのかもしれない。でもそれでも私は土方さんがこの世で一番愛おしくて、彼の傍に在れることが何よりの幸せだから……。
「はい、私はとても幸せです、土方さん……」









今まで忘れていた、否忘れていたフリをしていた全てを私は思い出した。
私は『千鶴』。土方さん最愛の女性、『雪村千鶴』を模して作られた16番目のーー人形だ。






0428/有海
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