目が覚めたときまず視界に入ってきたのは、驚くほど顔の整った男性の泣き出しそうな表情だった。
その人が誰なのか私はよく分からなくて、ただじっとその男性を見つめていると男性は唇を震わせながら私にそっと尋ねてくる。
「俺が、分かるか?」
分かるとは一体どういう意味だろう。この綺麗な男性を認識できているということか、はたまたこの男性の個人情報を知っているかということなのか。前者であれば素直に頷く事が出来たけれど彼が尋ねているのは後者かもしれず、迂闊に頷くことは躊躇われる。
「分かります。えっとでも、貴方が誰であるかとかそういうのじゃなくて、」
「……そうか」
今にも泣き出しそうな顔を更に歪めてそれでも安堵したように男性は笑う。その表情がどこか懐かしく感じられたのは一体何故だろう。
「どこも痛まねぇか」
「は、はいっ。大丈夫です」
ゆっくりと彼の大きな掌が私の頬を撫でる。その動作に胸の奥の何かが跳ねた。
「苦しかったりしねぇか」
「大丈夫です。苦しくなんてありません」
優しげに細められたその瞳を私は知らない。知らないし見たことがない筈なのに、どうしてこんなにも。
「あ、あの…」
「ん?どうした」
「貴方は、その、一体…」
言った瞬間しまったと思った。彼が絶望したような表情を見せたからである。
「……そうだよな。お前は何も『知らない』んだよな」
「………」
もしかしたら私は何かとても大切なものを忘れているのではないのか。この世界で最も忘れてはいけない、大切な何かを。でも私はそれが何かを思い出せない。
「俺は土方だ…土方歳三」
「土方、さん」
彼の瞳が揺らいだのに気付いたけれど、私にはその理由が分からなかった。
「お前は……『千鶴』だ。自分の名前くらい忘れんな…ってそうだよな、お前は」
「土方さん?」
「……いや、何でもねぇよ」
土方さんに向かって伸ばした手はいとも簡単にその大きな手に絡め取られる。
温かい、その大きな手。なのにどうして私の手はこんなに冷たいの。
彼の手は柔らかいのにどうして私の腕は固いの。まるでそう、作りもののように。
「土方さん、私は、」
「千鶴、お前は何も知らなくていい」
言いかけた言葉を無理矢理遮って土方さんは目を閉じた。絡め取られたままの指をその額に付けて、まるで神に祈るかのよう。
「お前は何も知らねえでいい。だから、」
彼に駆け寄って抱き締めたいのにどうして私の足は動かないの。
「だから頼む。もう何処にも行くな」
泣きたいと確かにそう思っているのに、どうして涙はでないの。どうしてどうしてどうして私は、私、は……。





090402/有海
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