それは突然の出来事だった。
「ピクニック?」
『そうだ。翼、部屋に閉じこもってばっかりだろう?だから気分転換にも丁度いいぞ。部屋に篭ってばかりじゃ気が滅入る』
「いいよ俺は別に…外になんか出たくない」
『だーっ!何言ってんだよ!いいから出てこい!明後日だからな!いいな!?』
「ちょ、ぬいぬい、俺は行かないってい…」
一樹から一方的に掛かってきた電話は同じ様に一方的に切られてしまう。翼にとって春とは忌むべき存在だった。嫌いで嫌いで堪らなかった。春は彼女を奪ってしまったから。
「いらないよ…いらないんだ…」

――願うのは、いつもたったひとつだけだったのだ。


◇◆◇



いくら翼がその日を回避しようとしたところで月日の流れを止められる筈もない。小鳥の囀りを聞きながら、けれどもどこか憂鬱な気分になるのを自覚する。春だなんて吐き気がした。この世界が嫌いだ。彼女を忘れたこの世界が大嫌いだ。けれども。(でも月子はこの世界が好きだって笑うんだ。愛しくて愛しくて仕方ないって笑うんだ。俺は月子が愛したものを愛したいのに、俺は、おれ、は)どうやったらこの世界を愛せるようになるのかが分からない。翼がこの冷たいだけの世界を愛せていたのは月子が居たからだ。隣に居て手を繋いで笑ってくれていたからだ。もうあの日みたいに笑うことが出来ないなら。笑いあえないなら。そんな世界だなんて本当に、必要なかったのだ。
翼ー!扉の向こうから慣れ親しんだ声が聞こえたような気がして、翼は漸く重い腰を上げた。外に出たくないことも、春が嫌いだということも、この世界を必要としていないことも。全部全部本当だった。けれども、外に連れ出そうとしてくれる仲間を感謝しこそすれ疎ましく思ったことなど、今までに一度だってありはしない。まだこんな自分のことを気にかけてくれるひとがいる。それがどんなに嬉しいことなのか、きっと誰もしらない。
「今行くってば!」
そう外に声を掛けて翼は長い間開くことのなかった扉を開けた。真っ先に目に飛び込んできたのは、色とりどりの美しい花々と雲一つない青空。そして可憐に舞う、薄桃色の小さな花弁。思わず見惚れてしまうほどにその光景は美しかった。――それでもどこを探したって彼女はもういないのだ。
空に固定してしまっていた視線を動かして首謀者の姿を探す。しかし颯斗の姿はおろか一樹の姿も見当たらない。扉の向こうで翼の名を呼んだのは確かに一樹だった筈なのに、その姿だけが見つからない。まさかからかっているだなんて、そんなことを一樹はしないと知っている。だから翼は懸命にその姿を探すのだが、やはりどうやったって見つけられやしなかった。
「ぬー…ぬいぬいはどこ行っちゃったんだ…」
風が吹いて、花びらが舞う。小鳥が囀り、日光が降り注いで、待ち侘びた筈の春がそこには在った。

翼くん


それは始まりの声だ。翼を変え、世界すら変えてしまった、冬の温度を持った、世界で一番優しい声だ。守りたかったのに失ってしまった筈の声だ。
その声につられてゆっくりと翼は振り向く。風が強く吹いて、ざわりと鳴いた。

「つき、こ?」
「……うん、一人にしてごめんね」

そこにいたのは紛れも無く、失ってしまった筈の、彼女だった。光を孕んだ亜麻色と雪のように白い手足、慈愛に満ちた優しい笑顔。彼女を形成する全てがそこには在って。伸ばした震える掌は、静かに細い指先に捕われた。
「春がきたのは翼くんが創ってくれた機械のお陰だよ。流石天才発明家だね。ありがとう」
「え、機械って、」
「翼くん、気付いてなかったのかな?わたし翼くんが創った機械を拝借してたの。それを使ったらね春が来たんだよ。ちょっと色々あって帰ってくるのが遅くなっちゃったけど、」
「つき、こ…月子…!」
「うん、長い間ごめんね。わたし、約束は守るよ。だって約束したもの。ずっと、ずうっと一緒にいようね、って」
そう言って月子は柔らかく笑う。翼は滲む視界をなんとか抑えながら不器用な笑顔を作った。触れ合った掌は温かい。
そこまできて翼は言い忘れていたある言葉を思い出した。たった四文字。けれどもずっとずうっと言いたかった言葉だった。

「おかえり、月子」

「……ただいま!」





続く世界もきみの隣で







101024:有海
本当の意味で「Out of eden」は完結致しました。お付き合い戴きありがとうございました。続く世界もきみの隣で微笑んでいれたら。
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