朝から月子の様子がおかしいことに琥太郎は気付いていた。そわそわと何時にも増して落ち着きがなく、何かを隠している様にも見える。思春期の少女には隠し事の一つや二つあったとしてもおかしいことなど何もない。何もなかったのだけれどもそれはそれで気になってしまうものだ。その理由を表立って口にすることが出来ないことが更にその感情を際立たせていた。
「あ、琥太郎せんせ!」
ふとそんな声が聞こえてゆっくりと振り向くと、太陽と同じ色をした橙色が視界に入ってきた。何時だったか誰かが真夏の様な笑顔と表現したその笑顔で笑いながら直獅は今日の放課後保健室に来てほしいと告げる。保健室といえば寧ろ琥太郎の城である。行かないわけがないのに何故その様なことを聞くのか、琥太郎には分からなかった。訝し気にそれでも頷く雲一つない青空と同じ色をした髪を持つ男を確かに見て、橙色はもう一度嬉しそうに笑う。その笑い方が脳裏に染み付いてやまないあの愛おしい笑顔と重なって。そういえば今日はまだ彼女に会っていなかったと思い出して、何だか無性に声が聞きたくなった。(ねぇ、せんせい)無邪気に問い掛けてくる声が。(せんせい、お茶、飲みますか?)緩やかに微笑む体温が。どうしてだろう、何だか泣きたくなって、琥太郎は少しだけ笑った。

◇◆◇


理事長としての仕事が忙しくて普段通りの時間に保健室へと向かうことが出来なかった。数時間前に聞いた直獅の言葉が引っ掛かったけれど、取り敢えず足を早めて保健室に急ぐ。あそこでは彼女が待っている筈なのだ。光を孕んだ、春の陽射しと同じ色をした髪の、世界で一番優しくて――愛おしい少女(そんなことを言ったら彼女は先生の世界は狭いですね、と笑うんだろうけれど)
そっと、静かに保健室の扉に手を掛けて音もなく扉を開く。
――と、
「遅かったですね、先生」
飴色の光を背にして少女は立っていた。ふわり、と風が吹いて亜麻色の髪が靡く。それと同時に白いカーテンが舞って。まるで天使の翼のようだと、琥太郎は思った。
「つき、」
「こったろうせんせえええええ!お誕生日おめでとうううう!!」
「!?」
思わず名を呼びそうになった瞬間、死角となる場所に隠れていたのだろう、橙色が飛び出してくる。続けて長身の深い藍色もやってきて、誕生日おめでとう、こたにぃと小さく笑った。その言葉で漸く今日が己の誕生日だったことを思い出す。誕生日だなんて久しく忘れていた日だ。歳を取るたびにまた一つ居なくなってしまった彼の人との距離を見せ付けられるようで。それを話したらきっとそんなことはなぃ、誕生日って素敵なものなんだよこたにぃ、と怒られる気もしたけれど。
「直獅に郁。それに夜久。お前ら何時から居たんだ?」
「ひっみつー!琥太郎せんせ、中々来ないから来ないんじゃないかと思って焦ったぞー…」
「陽日先生はこんな簡単な仕事も出来ないのかと思いました」
「おい水嶋!何言ってんだお前!」
問い掛けに答えているようで答えていない二人はぎゃあぎゃあと言い合いを始める。それを見て月子は小さく笑ってから、お誕生日おめでとうございます、と言った。
「ありがとう。忘れてたよ、誕生日なんか」
「だろうと思いました。先生、自分のことには疎そうなんですもん。良かった、お祝いできて」
「……なんだ、そんなに祝いたかったのか?」
「当たり前です!」
力説するように言われた言葉に思わず言葉が詰まる。二人はまだ言い争っていたけれど、その音が段々と遠ざかって行った。まるで世界には二人しかいない錯覚を起こす。
「誕生日って生まれてきてくれてありがとうって。わたしと出逢ってくれてありがとうってその気持ちを伝える日なんです。ありがとう、これからもよろしくねって。そんな大切な日なんですよ」
月子の声は温かい。優しい体温と同じ温もり。
「……この歳で誕生日なんて喜ぶものじゃないと思ってたが……お前がそう言ってくれるなら、そうやって祝ってくれるなら、俺はこの日を愛せるよう気が、する」
そう言葉を発した瞬間、どこかで懐かしい声が聞こえたような気がした。こたにぃ、お誕生日おめでとう。幸せになってね。
月子は柔らかく微笑んだ。
「先生、これからもずっと、ずうっと幸せでいてください。怖いことも辛いことも、憂いもないように。そうしてその幸せの隣にわたしがいれたらいいなあって、思います」
「…………俺は、幸せになる権利なんてないと思ってた。でもお前が居るなら、お前が居てくれるなら、それだけで幸せだよ。なぁ、こう思うのは間違ってるか」
それは琥太郎の本心だった。月子がいるから幸せで、月子がいるから笑って居られる。過去の傷は癒えないし、これからもそう簡単には癒えそうもない。けれども隣に月子がいるならば。
琥太郎の言葉に月子はゆっくりと笑って頭を横に振る。そうして小さな声でもう一度、お誕生日おめでとうございます、と呟いた。








悲しいのではありません
(しあわせなのです)








琥太郎先生お誕生日おめでとう。幸せになってね。
「君白恋。」様へ提出させて戴きました。ギリギリの提出ですみません。素敵な企画ありがとうございました。
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