銀土*銀魂 | ナノ


▽ D


 


「トシ子ぉ〜私んち、来るでしょ?」

きた――。
唾を飲みこんだ。久しぶりの誘いだった。一緒に帰るってことはそうなるってことだろうと分かっていた。だって今までそうだったから。

さすがに二週間も空いてしまったのでどんなテンションで行けばいいのか分からなくなっていたが、それでも私は覚悟して今日を迎えたのだ。ちょうど生理も終わっていたし銀子に迷惑かけることは一つもないはずだ。
下着だっていつもの(※まだ使えるからという理由で中学生の時のキャラもの)じゃない、ちゃんとフリルのついた勝負下着にしてきた。
見られても恥ずかしくない、ハズ。

(いや……本当はいつだって恥ずかしいけど)

乳首だって、銀子に飽きられないように毎日弄ってきた。
それに、はしたない子だって思われないようにパンツを濡らさない、我慢する練習をたくさんしてきた。きっともう大丈夫だと思う。たぶん。自信はないが銀子に呆れられるぐらいなら舌でも口の中でも噛んで、痛みで誤魔化すつもりだ。
身体に対するコンプレックスはたくさんあるが今日は全部我慢しよう。おっぱいが大きいのはもちろんコンプレックスで、見られたくないが……それに言ってなかったが、腋だって毛が生えにくくて剃るにも剃れないというコンプレックスがあったが……我慢しよう。

(まあ腋を閉じていれば見られないし)





銀子の家は相変わらず静かだった。
この様子だと今日も誰もいないようだ。

「お邪魔します」
「どーぞ。親もお兄ちゃんも仕事で居ないから、二階いこっか」
「? ああ」

どういうことだろう?
いつもなら誰もいないからと言って、リビングに直行してそこで服を脱いでいた。そんで銀子お気に入りだというソファーに座って、身体を触り合いっこして遊んでいた。

(なのに、どうして二階……?)

まさか今日は何もしないのか?
話すだけなのか?

別に銀子がそのつもりなら私は何も言わないが―――もしかしたら彼氏と昨日ヤったばかりなのかもしれない。だから疲れているのかも。

(なんとなくわかったぞ)

私は、唾を飲みこんだ。
嫉妬して銀子にたずねてしまいそうだったからだ。聞かない、と事前に決めていたのに。
階段を上る彼女の後ろを歩く。
振動に合わせてふわふわと踊る髪が、相変わらず美しかった。
ガチャリとあけた彼女の部屋だって、一年前からずっとおなじで。新しく彼氏のものが増えているわけではないようだった。

(……大丈夫、変わってない)

一つ一つ確かめるように私は自分に言い聞かせた。
そうしないと胃の辺りが重くて仕方がない。


「今日はあっついね〜」
「そ、そうだな……」

話しながら銀子が鞄をベッドに放り投げた。そして、あっつーと言いながら制服のボタンを二つあけた。
大ぶりのフリルが付いた赤色のブラ紐がちらりと見えた。私はまた唾を飲みこんだ。今度は喉が渇いたからだ。

「トシ子も鞄おいて脱いだら?」
「あ、」
「ほら。おいで、脱がしてあげる」

入り口に立って茫然としていた私の腕を引いて、ベッドの上に座らせた。キイ……とすこしスプリングを利かせて跳ね返る感覚が、生々しい。
お尻が落ち着かないことを気にしていると、首筋を指で撫でられた。
「っ……!」
細い指がボタンの穴につき入れられて、その隙間から私の首を撫でている。チラチラと少ししか動かないのが逆に、感じる原因になっていた。
「ブラ可愛いね………ねえ。またおっぱい、大きくなった?」
「っ!!」
自分では気づかなかったことを指摘されて頬が赤くなった。

「もうこのブラじゃきついでしょ。ね――外しちゃおっか?」
「ぎ……ぎん…」
「乳首ももう苦しいよぉ〜ってブラの中で立ってるよ、としこ?」
「ひ、!」
指先でツンツンとブラジャーの突起を突かれた。
たしかに私も気にはなっていた。下着をつけるのに、どうしたことか、私の乳首の場所が分かってしまうのだ。そのため私は下着の上にいつも厚手の肌着を着ていた。……今日は誘うつもりだったから脱いでおいたが。

「こんなエロい姿で学校行っちゃだめだよ? みーんなトシ子のこと、好きになっちゃうから」
「そん、な……は…ぁ……誰も私のことなんか、」
「だーかーらーそういう鈍感なとこだって」

強い口調で話す銀子にブラジャーの上から乳首を抓まれた。
「……ひぁ、っ!」 驚いて大きな声が出た。
なんか、銀子……怒ってる?
まさか私が銀子のことを遊びに誘ったのが嫌だったのだろうか?
あからさますぎて、気持ち悪かったとか――?
おそらくそうだ。今度からちゃんと肌着を着たままにしようと後悔しつつ、とりあえず銀子に言われた通りブラジャーを自分で外してみる。
弾かれるようにして解放されたおっぱいが銀子の前に出てきた。

「おお〜〜やっぱトシ子のおっぱい、おっきーね!」

銀子が楽しそうな声をあげた。
どうやら機嫌が戻ったらしい……簡単なのやらややこしいやら。よく分からないが、友だちが苦しそうにしているぐらいなら、喜んでいる方がいいと思うのは当たり前のことだろう。
私は嬉しくなった。
おっぱいを露出するなんて久々過ぎて緊張したが、やってよかったのかもしれない。

いまだに上がった息を整えながら、銀子におっぱいを見せていると、彼女が何かを思い出したらしかった。

「今日は寝転がってしよーよ」
「……寝転がる?」
「そそ。だからベッドのあるここにしたんだし!」

銀子は私の隣に腰かけてポンポンと布団を叩いた。どうやらここに寝転がれということらしい。
なんでだろう……と思いながらも断れず、私はおっぱいを手で隠しながら寝転がった。

「いつも見てるけど、ベッドで見るとさらに――トシ子って可愛いね」
「……っ、はあ?」

何の嫌味だろう。可愛いのは銀子の方だ。
私はつり目で目が小さいし、銀子みたいに綺麗な肌をしていない。大きいのは胸だけで他は何も取り柄がないのに。

「――銀子の方がだろ」
「ふふ……あーりがと」

銀子はうっとりとして笑った。
――スイッチが入ったらしい。私は腰がゾクリとした。でもそれと同時に喉元が気持ち悪くなった。やっぱり風邪なのかもしれない。銀子に触れすぎないように気を付けよう。
布団の上に散らばった私の髪を一束手に取り、銀子がキスをした。
目を閉じて……匂いをかぐように鼻に持っていった。

「いーにおい」
「や、やめろよ……」
「やめなーい。トシ子ってほんと恥ずかしがり屋だよね――淫乱なのに」
「…え?」
「なぁんにもないよ」

聞こえなかったのでたずねてみるが、銀子に笑って誤魔化された。
その笑い方があまりにも久しぶりのアレだったので、私はそれ以上どうでもよくなった。

「おっぱい触ってもいー?」
「……き、きくな」
「ふふ」

顔を反らして答えると、笑みを降らされた。銀子は機嫌がとてもいいらしい。
おっぱいを覆い隠す私の手の隙間に指を入れ、肌を滑らせるように突いてくる。

「やわらかいね」
「っ、」
「女の子ってやっぱり、いーね」
「―――」

そのときハッとした。
それはまるで、男を知っている口ぶり……いや実際知り尽くしている彼女の台詞だった。

銀子は私以外にも、こういうことをしているのだ。
その事実を私に強く感じさせた。
私が唯一の存在じゃ、ない。


気持ち悪い感じが込み上げてくる。喉の奥がこぽこぽとして落ち着かなくなってきた。気を抜けば、震えそうなほど吐き気がした。
……これは本当に風邪か?
私は嫌な感じがした。

「としこぉ……」
銀子が愛おしそうに私の指にキスをしてくる。
息が止まりそうになった。
初めて私はそのとき――気持ち悪いと思ってしまったからだ。

「かわいいね、ふふ」
「……んな、こと…」

私はどうにか銀子にばれないように深呼吸を繰り返す。彼女にまさか言えなかった。私以外の“友達”も“彼氏”もいるようなアンタと、もうこんなことをしたくない――だなんて。気持ち悪くて吐きそう――だなんて、絶対に…。
気付かない様子の銀子は久しぶりのことにテンションが上がったのか、私の首筋にキスをしてきた。ぢゅっと吸い付く様な強いキスを。
「いった……っ」
思わず私が声を上げると、銀子は笑った。

「キスマークだからねv」

背筋が凍った。
まさか――銀子の彼氏たちと同じものを、私にも付けられたのかと思うと。

私の身体が震えはじめると同時にスマホが鳴った。私のものじゃない、これは銀子のものだろう。
「と、とった方がいいんじゃね……?」
私は震えていることを隠すために銀子にそう促した。彼女は面倒くさそうに身体を起こすと、案外あっさりと鞄からスマホを取り出してくれた。
「いいところだったのに……はあ」
溜め息を吐きながらスマホを操作しはじめる。私はそのあいだに深呼吸を何度もした。すると銀子が、「トシ子〜ちょっと待ってて」と言った。
その表情はにやけていた。――どうやら彼氏らしい。

「あ、ああ……」
「すぐ戻るからね〜!」

ルンルンとした足取りでドアを開けて廊下に出る銀子を見送っていると、そこで話し始めたのか、「はーい!」とハートが付きそうなほど嬉しそうな声を出していた。

(あ、だめだ)

私は気持ち悪くなり思わずベッドの上で蹲った。その瞬間、喉の奥でギュコっと変な音がした。そして口の中が酸い味でいっぱいになる。……吐いたらしい。
どうにか吐き出さなかっただけ、褒めて欲しい。私は目尻に浮かぶ涙を布団に擦り付けながら、口の中を唾液で溢れさせる。はやく元に戻らないと、と焦った。

するとそのとき外から声が聞こえた。

『えへへ〜まじで幸せすぎるんだけどv』

銀子が相手に愛を伝えている瞬間だった。

『ホント好き………え? 私の方がだし、いやいや、冗談抜きでさぁ!』

幸せいっぱいといった声色の銀子が、嬉しそうに笑っている。私には……言ったことのない台詞をスマホの向こうの彼氏に向けて放ちつづけて。私には感じたことのないだろう想いを、スマホの向こうの男にむかって……。
私は肺の奥がズキズキした。
止まったはずの涙がどんどん溢れてきて、とまらなかった。
「……ふっ…ぅ……ひっく…」
苦しい。どうして私はその人じゃないんだろう――どうして私は、銀子の唯一の友達にすらまともになれないんだろう……。銀子を満足させてあげられる友達にすらなれない。あんな幸せそうな銀子の姿を、私が作ってあげることなんて……できない。私だけで満足させることなんて、できるわけがない。なのに、他の誰にも銀子を取られたくない――だなんて…。

もう支配欲が抑えきれないぐらいに膨れ上がっていた。

頑張れない自分が情けなくって、悔しくて。
そのくせ他人にばかり嫉妬して人のせいにする汚い自分が、気持ち悪くて。
それはそれは友達ができるはずもない醜い人間だと自覚してしまって――私は身体じゅうから力が抜けた。

どう頑張っても私が銀子とつり合うことはないんだと、知ってしまった。

そうなるとあとは、銀子の傍にいるのが申し訳なくて仕方がなくなった。
勝手に周囲に嫉妬ばかりして、独占欲ばかり強い、醜い女のくせに、こんなドロドロした下心を持っているのに、彼女の友達面をするのが―――許せなかった。

いつの日か、嫉妬のあまり銀子の周囲の人を怪我させてしまう自覚があったのだ。



いつのまにか銀子の話し声は止んでいた。この部屋に戻ってくるらしい。
私はハッとして涙を腕で拭いた。こんなことをしている場合じゃない。
この家に入らせてもらっていること自体、お門違いだとやっと気づいたのだ。

『トシ子〜? 下から飲み物持ってくるから、ちょっとだけ待っててぇ』

「っ……あ、ああ」 私はチャンスだと思った。
もう二度とここに来てはいけないと、自分に言い聞かせる。早く服を着て家から出ないといけなかった。私なんかがいてもいい場所じゃなかったんだ、はじめから。
そりゃみんな、“あんなところ割り込めないわ!”とうっとりするわけだ。

私だって、ソッチに行っちゃダメな人種だったんだな。

(馬鹿過ぎるだろ私……)

自分の頭の足りなささに頭痛すら感じながら、ブラジャーを手に取った。もう着けてる時間すらない。制服のボタンを乱雑に付けて、あとは鞄で前を隠して、走って帰ろうと思った。大丈夫、ここから家までそうそう離れていない。それに何より、私を襲う人間なんてこの世に存在するはずないのだから。
鞄を手で持ってドアを目指した。指でドアノブを捻って廊下に出た。



「――土方?」
男の声がした。

「……せ、せ……んせ……」
廊下の先に立っていた男を見て、私は腰が抜けた。驚きから立てなくなることが本当にあるのだと、知った。
どうしてここにいるんだと思ったが、そういえば今日は先生の研修日だといっていた。だから学校に来ていなかったのだろう。終わってそのまま直帰したのなら、話が分かる。
でも今はそんなこと気にしている暇がない。
確実にばれたと思った。鞄で前を隠すのを忘れていたため、服の前は胸部を剥き出し状態だった。髪は乱れているし息も荒い。これは……銀子と友達のフリをして遊んでいたとバレたに違いない。
「……ぁ」
先生はきっと、私が銀子の友達にふさわしくないと分かっていたはずだ。だって大人はそういう生き物だと父が言っていた。分かっていても口には出さない。友達としてふさわしくないと思っても、教えないものだって。
私が銀子と遊んでいたと知ったら、先生は、私を怒るだろう。
――大切な妹に、なに近づいてくれたんだと。

「ぁ……の…」

無言のまま立ち尽くした先生を見上げて、私は言い訳を考えていた。
【大丈夫です、ちゃんと分かりましたから、私は銀子にふさわしくない馬鹿な勘違い女で、今まで浮かれてこの家に侵入してましたが、このたびちゃんと自覚して自主帰宅しようとしていたところで、これからは勉学にだけ励んで誰にも迷惑かけません】
――そう言おうとしたときだ。

階段の方から足音がした。
私はギクリと固まった。

(……だめだ…まだ外に出られていないのに)

銀子は私がいるとまた気を遣って、友達のフリをしてくれるだろう。しかしそれは、ダメだ。もうこれ以上迷惑をかけるわけには……。


その瞬間

「――こっち」

先生に腕を引かれた。
「ぅ、……あ」
押し込められたのは、隣の部屋だった。銀子の部屋に比べて物の乱雑に置かれた散らかった部屋だ。どこかしこから甘い匂いがする。
よく見てみると、いちご牛乳だのタイ焼きだのが散らかっており、万年寝床になっている布団のうえにはポテチの袋が開けられていた。
デスクの上にはいくつかの分厚い本がつみ重ねられ、『高等学校保健科 指導要録』と書かれた黄緑色の本が見えた。ここは先生の部屋らしい。

「待ってろ」
「ぇ、あ……」

先生がそう言って廊下に一人で出た。
するとすぐに銀子の声がした。

『――トシ子は?』
『お腹が痛いつって帰った。……ひひひ、逃げられてやんの。ダッセー』
『はあ?? トシ子の飲み物用意してただけだし……てかお腹痛かったんだ……』
『いや銀子、おまえその飲み物――』
『……なに?』
『…………なあんも』

それだけ話してすぐに隣の部屋からドアの閉まる音がした。ドンっという大きな音だった。私がそれに身体を震わせていると、先生が戻ってきた。
彼は後頭部を掻きながら気だるそうにしていた。もしかして……私のために嘘を吐いたのだろうか?

(何のために……私に生徒指導するためか………?)

そう思っていたが違ったらしい。
先生は部屋に入ってきては何を言うわけではなく、私のことを無視してポテチを食べ始めた。ボリボリっとイイ音をたてて。
行儀悪くも布団の上に座ったまま。こちらに背を向けてだ。
普通だったら先生のそんな姿を見たら、がっかりするモノなのだろう。しかしこの銀八という教師に限って言えば、“そんな気がした”というのが正しい。あまりにも想像通りだった。

私は唖然として、入り口の近くに座り込んだまま鞄を抱きしめていた。
ふと先生の手が止まった。

「くう?」

半身をこちらに向かせ、ポテチを摘まんで差し出していた。
私は食べる気にもならず首を振った。
「あっそ」 
先生はそれ以上何も言わずにお菓子を貪っていた。

音が止まった。どうやらお菓子がなくなったらしい。一体先生はどうするのだろうか―――私は成り行きをちらちらと見ていると、先生はデスクの下から棒付きキャンディを取り出した。カラフルな色の大きめな、可愛い柄のキャンディだった。
そしてソレの包装紙をとったかと思うと、先生は立ったまま、大きい口の中に甘い飴を放り込んだ。
頬が横に伸びきって、だらしない顔をしている。先生はそれを真顔でやってのっけるのだ。
――私は思わず吹き出していた。

「ふ、くく……」
「んー?」
「……ひっどい、かお……くく」
「ひしかたわーうなー」
「言えてねえじゃん……ふくくっ」
「まーあ」

まーな。と言いたかったらしい先生がどや顔を決めていたので、更に私は笑ってしまった。だってどうしようもなく面白かったのだ。このやる気のないだらしない大人が、私のためにとしか思えない身体を張った芸を見せてくれて。しかもそれが微妙に的外れで。
私は涙が出るほど笑った。勿論隣に聞こえないように声を押し殺して。
五分は笑っただろうか?
腹筋が痛くなるほど笑い続けた私は、ひーひー言いながらもやっと落ち着いてきた。先生もその頃にはキャンディを大半舐めてしまっていた。
そして何を思ったか私に向かって、
「なめる?」
とキャンディを差しだしてきた。自分が口に入れてレロレロしていた飴をだ。
いつもの私なら、なに言ってんだ!と一刀両断しただろう。
だがこの先生は身体を張って私を笑わせてくれたのだ。本当は生徒のために動くことを面倒くさがる、この大人が。
ならば……私もノってやるのが筋ってやつだろう。

「舐める」
私が言うと、先生は目を丸くした。

「……ドーゾ」
「なんで片言――」
不思議に思いながらも私は先生に近づいた。邪魔だった髪を耳にかけて、唇をキャンディにつけた。ぺろりっ。ひと舐めする。甘ったるい。なんだろうか先生の匂いがした気がする。
唇に残っていた飴の甘さを舌で舐め直していると、先生が口を開いた。

「俺以外にするなよ」
「え?」
「……な」
「はあ、まあ」

そりゃあこんな馬鹿なこと他の人間にはしないだろう。今回だってはっきりいって馬鹿だとは思うが、それもこれも全部、先生がしてくれたことへのお礼としてやっただけで。私はいつだってこんな馬鹿なことはしたくない。
だから別に、生徒の行動を気にしなくたっていいのに、銀八先生は真剣な眼差しで私に何度も言った。
あまりにも彼には珍しい真面目な視線だったので、私も『大変なのことをしたのか?』と心配になり頷いた。

「あ、ああ……」
「――わかったらいい」
「しねぇから安心してください」
「本当頼むわ」

残りのキャンディをボリボリと噛んだ先生は眉間に寄った皺を指で押さえながら、唸っていた。……こうやって私の心配をしてくれるところが、先生らしいなあと思わなくもない。
たしかに少しばかり下ネタが多いし、適当だし、上から目線だし、教科係の仕事は多いが、まあ――悪い先生ではないのだろう。


「そろそろ服着ねえの?」
「は? ……あ」
「後ろ向いててやるからブラぐらい着けろ」
「―――ハイ」

その言葉通り先生はデスクのイスに座って壁の方を見、私に背を向けた。別に緊張するわけでなくサラッと言ってのっけるあたり、慣れている感じがした。
先生の場合、担当教科的なものもあるのかもしれない。人の身体を見ても勉強の一部に感じているような気がする。……そっちの方がなんとなくありがたい。いきなりガン見されても、怖いし。
私は鞄からブラジャーを取り出し、フックを前で付けた。実はまだ後ろで留められないのだ。前で留めた金具の部分を後ろに回し、それで胸をブラジャーの中にぎゅうぎゅうに押し込んでいく。
「……く、くるし」
思わず声が出た。これは銀子が言う通り買い換えた方がいいのかもしれない――。
(銀子………ぎんこ……)
なんとなくもう会えない気がして、胸が苦しくなった。これはきっとおっぱいが大きくなったからじゃ、ない。もう私はそのことに気づいてしまった。

唸りながらなんとか制服のボタンまで留め、私は先生に声をかけた。

「で、きました……」
「ん――土方、おまえ」
「え?」
「……何かあっただろ」

私はギクリとして先生から視線を逸らした。それがまた白々しかったのか、彼は椅子からギシリと下りて私の方に向かってきた。
「いや、そ、そんなこと……」
咄嗟に良い言い訳が思いつかずに言葉がつっかえる。何か言わないと、と口をとりあえず開いたときだ。
かさついた指で頬を撫でられた。
「―――ぁ」
「目が赤い」
「…そんな、こと……」
「ひひ。俺と一緒」
先生がニイーっと笑う。
それは悪戯っこの悪さが成功したときのような、無邪気な笑い方。嫌な感じじゃ、なかった。
張りつめていた緊張が完全に溶けた瞬間だった。
私は膝がガクガク震えて力が抜け、その場に座り込みそうになる。すると先生がすかさず腕を伸ばして来て私の脇腹を支えた。「っと……怪我するぞ」そう言われても力が入らず、されるがままに先生に抱き付いていると、彼はなんて事の無いように私を抱き上げた。
「……ぁ、っ、わ」
先生の胸に頭が当たり、お姫様抱っこだということに気づいたときは、顔から火が出るかと思った。私は意識を逸らそうと先生とは逆の方を見た。いつもより20cm以上高い景色は全く違って見えた。
地面が遠くて、少し怖い。
それがわかったのか、先生はすぐに私を布団の上におろしてくれた。

「どーぞお姫様」
「だ、だれが………っ」
「俺?」
「……くく。ひっでー…先生がお姫様って面かよ」

思いがけないギャグに笑っていると、先生は私の頭を撫でた。

「じゃあやっぱ、土方がお姫様だ」
「……っ」

何も言えなかった。
まるで誘導尋問だと思った。

(よくもまあ、そんな恥ずかしいことを……)
胸が高鳴った。
そうじゃなくても今、私は心臓がバクバクいっているのに…。

先生は肌が白い。まるで銀子のそれと同じように、白雪の艶めかしさを纏っている雰囲気がある。遠くから見ていると、なよっとしているような細いイメージがあった。
でも実際は違う。
今抱っこされて気付いた。間違っても彼は男だった。私の身体に触れるすべての部分が硬く大きく、私なんかまったく敵わないほど、しっかりしていた。それはそうかもしれない。だって先生は体育の先生でもあるのだ。身体はいつも鍛えられているのだろう。

(まさかドキッとしただとか、言えるかよ………)

私の腕に当たった筋肉質な身体に心臓がバクバクといっていた。私は男の人の身体を触ったことがないのだから、当たり前と言えば当たり前なのだけれど。それにしてもすごかった。
意識すればするほど何となく恥ずかしくなって、先生の方を見れなかった。俯いて膝頭を見つめ無言でいた。スカートが太腿までずれ落ちてきそうなことに気づき、たびたび膝にかける。
すると先生の方から声をかけてきた。
「銀子のことか?」
「っ、」
違う意味でドキッとした。
どんぴしゃだ、当たってる。さすがは兄といったところか。何を言われるのだろうか、と考えると緊張した。さっきまでとは違ったソレだった。
私はどうしようかと悩み――口が開けない。
「……言いたかねーなら良いけど。あーまあ、変に思いつめんなよ」
「へ、」
あっさりと話が打ち切られ声が出た。あまりにも、あっけなかった。

「無理矢理言わされても良いことねえだろ。お前が話したくなったら話せ、それからでも遅くねえよ」

先生はそう言うと、布団の頭元に置いてあったタイ焼きを掴んでもっちゃもっちゃと食べ始めた。その緊張感のないことと言ったら……。
あまりに威圧感のない面接に拍子抜けした私は、安堵からか「……ふっ」と笑ってしまった。なんだろうか、この先生にはかなわないような気がした。認めたくないが―――生徒に好かれる理由がわかる気がした。

(……ま…まあ、信用してもいいかも…?)

認めるのは恥ずかしいので、半ば喧嘩を売るぐらいにして、私は考えるのを放棄した。
ハイハイのように布団のうえを進みながら、私は先生との距離を詰めた。そして後ろから声をかける。

「私にもタイ焼きください」
「はあ〜? 図々しくなったな、お前」
「いーじゃねえか。可愛い生徒のお願いだろ?」
「自分で言うと意味ないんですう〜〜〜あ、こらっ」
「あっま」

想像以上に、かぶりついた先生のタイ焼きが甘くて、思わず顔が歪む。先生は「言わんこっちゃない」と呟きながら、タイ焼きを持っていない方の手で、私の口元を拭った。

「餡子ついてるぞ」
「…もう食べたくない」
「お前甘いの嫌いだろ?」
「なんで知ってんの」
「銀子に聞いた」
「――ぎんこ」

大切な人の名前に心がまた締め付けられるような感覚に陥った。
眉が寄る。下唇を軽く噛んで我慢していると、口元をまた拭われる。
私は小さくたずねた。

「……また餡子?」
「ちがう。涙」
「………でてない」
「心のだ」
「臭いこというんだな、先生でも」
「ばっか。臭いって言葉に敏感なんだからなこの年頃は、気を付けろよ」
「はいはい」

コツンと手の甲で軽く頭を叩かれる。その手加減がなんだか恥ずかしかった。
――本当に涙が出そうだ。目の奥が熱くなって鼻声になるのを感じて、ヤバいなと思った。

私はそれを紛らわせたくて、口を開いた。一生懸命、たくさん、動かして。

「――銀子の友達になりたかった」
「友達だろ」
「ちがう、私は……そんなすごいもんになれない。彼女はそんな存在を欲してない、し」
「……」
「私は汚いから。きたない…本当に。……銀子の親友になりたいだなんて、そんな…不相応な夢ばっかり見て……なれるわけねえのに」
「……」
「狂いそうなんだ、私――くるしいんだ……無理だと分かってるから、こそ、銀子の友達になりたくて……唯一の存在の彼氏がうらやましくて…」

「お前は立派な“友達”だ」

いきなり腕を引かれた。
驚く暇もないぐらい突然、顔に服が押し当てられていた。
甘い匂いとすこしの先生の体臭が鼻孔をくすぐり、やっと抱きしめられたと気づく。私ははてなが浮かび、どうして先生――と内心ドキドキした。焦って声を上げる。
「ぎんぱ、っ……せ、せんせっ!」
しかし先生は慌てずに私を抱きしめ続け、そして口を閉じなかった。

「“友達”だよ」
「先生っ、離し」
「大丈夫だ……お前は銀子の“友達”だ。他の何者でもない、お前は“友達”だ」
「ひッ」
先生に腰を撫でられた。
そのことに吃驚して固まっていると、その手はするすると背中に回っていく。そしてポンポンとリズムよく叩かれはじめた。
まるで赤ちゃんが眠るときのような仕打ちに、かあっと頬が熱くなった。
「っ、」
怒ってやろうかと思った。私は子どもじゃない、ましてや赤ちゃんではない。もうすぐ18歳になるのに。……たしかに、ひと回り大きい先生からすると子どもかもしれないが、それでも赤ちゃんみたいなこんな扱い……。

「っわ、私は、赤ちゃんじゃ、」
「わーってるって。お前は力入れ過ぎなんだよ――大丈夫だって」
「……ぅ…ぁ」

慰めるように優しい声色でもう一度、そう言われた。鼓膜をくすぐる先生の低い掠れた声に、腰が震える。

(なん、だ、この変な感じ……っ?)

初めての感覚に背筋がそわそわした。居ても立っても居られないぐらい、喉が渇く。
一体私はどうしてしまったんだ?
自分の変化に怖くなった。もしかしたら精神病なのかもしれないとすら、不安に思った。
するとまた、先生は背中をトントンと擦ってきた。

「大丈夫」

私の中に染み込ませるように、何度も。

「銀子は“友達”だ」

何度も、何度も。
それは洗脳に近かった。



私はその言葉を真に受けて、気づけば頷いていた。

「―――は、い」


先生はニッコリと笑っていた。
その眼には生徒らしからぬ表情をした自分の姿が映っていたなんて、私は知らなかった。







「お前は銀子の大切な“友達”だから、きっとすぐに、あいつも彼氏と縁切るだろ」
「……それは難しいだろ」
「言っとくが銀子は家でお前の話ばっかだぞ」
「――そ、うか」
「まー信じなさいって。先生のことを」
「はあ」
いくらなんでもそれはあり得ない。私はそう確信してため息まじりに頷いた。いくら先生とはいえ、それは当たらないだろうと予想して。

(それにしても……家で私のことを話してくれてた、なんてな)

たとえそれが先生の優しさで吐いた嘘でも、私は嬉しかった。


一階に下りて玄関に向かうまで、先生はついてきてくれていた。銀子に見つからないようにとのことだった。たしかに定規一つ分以上大きい先生のことだ。私のことを隠してくれるだろう。
運よく銀子に出会わず(会うと変な勘違いを与えてしまうだろう、確実に)玄関まで来れた。座って靴を履いていると、銀子のものが視界に入り、なんとなくまた不安になってきた。

(――本当に私は友達なの、か)

すると頭に重いものが置かれた。振り返ってみると先生の手だった。
「大丈夫」
部屋で何度も繰り返された、あの台詞だった。――背筋に変な感じが走った。膝が震えて、もじもじとしてしまう。
はやく帰らないと、いけないのに。

「っ……ぁ…」
「土方」
「は、い……」
「また学校で―――な?」
「……はい」

赤い目に見られて身体の奥が熱くなった。おかしい、絶対に。
手まで震えてきた。でも、いつまでもここにいても先生に怪しまれるだけだと思った。だって彼は“また”と言った。それはつまり、はやく帰れということだ。ここに居座っても、もう何も言ってくれないだろう。
私はフラフラしながら立ち上がり、ドアに向かった。
「さよ、なら……先生」
「さーなら土方」
先生はいつも通り眠たそうな目に戻っていた。そこにはさっきまで見せていた変な感じはない。手を緩慢に上げて振っているその姿にも、学校と変わったところがなかった。
おそらく彼の中にも、銀子のような『スイッチ』があるのだろう。先生としての彼と、人間としての彼。
学校で先生の姿になるのは普通だろうに、彼の場合それをしないような感じだ。こうやって困っている生徒に対してだけ、特別に、先生としての彼になってくれるのだ―――そんな気がした。
腐っても銀八先生は先生だったということか……私は新発見をしたような気分になって、少し気分が良かった。今年の担任も、なんだか好きになれそうだ。

私はドアの閉まる隙間から先生に向かって頭を下げていた。
だから見えなかった。













『あしたで さいご』


先生が口パクで言ったそれが、どういう意味か。


(つづきます)

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