銀土*銀魂 | ナノ


▽ C


 


私と銀子にとって忘れられない大事件が起こった。
高校三年生になった、始業式の日のことだった。

その日は、まず朝からついてなかった。
三年目にしてはじめて銀子とクラスが離れてしまったことがわかり、私は苛々していた。教室の前のクラス名簿の前で、10分は立ち尽くしたと思う。
そのことを銀子と共有しようと思ったのに、彼女はこんな日にも遅刻。
SNS(銀子が登録してくれた)を開いて銀子にメッセージを送信すれば、30分後に既読がつき、
『ベタベタだからおふろにはいってからいく〜』
と返ってきた。
昨日も彼氏さん?とやらと楽しんでたようだ。彼女の場合、彼氏じゃなくてもセッ○スするので本当のところは分からないが。

友だちであるはずの私を放っておいて、銀子はのんびりしている。
そのことが何より、私の苛々を増幅させた。それと同時に、悲しませた。

(同じクラスになれなくて嫌だとか、銀子は思わないんだ)

分かっていた。分かっていたけれど…………寂しかった。仲が良いと思っていたのは、やはり自分だけだった。
どうにか隣のクラスにはなれたのだから、銀子のことをよく見ておかないと。彼女に新しい友達ができたら、すぐに私も仲良くならないと。私の地位なんか危ない。大丈夫だ、二人がダメでも三人でおらせてもらえば……。

(でも移動教室のときは? 選択授業で自由席なんかになったら、銀子は誰と座るんだ……?)

隣のクラスでできる“特別な友だち”とやらと、座るんだろうか?
そのまま一緒に帰っちゃうんだろうか?
そして、私がいない時にその子と遊ぶんだろうか?
私のことは、もう用済みになるのだろうか……。

そんなことを考えていると心がしんどくなって、とてもじゃないが高校三年生を楽しめそうじゃない。珍しく朝食のマヨネーズ(銀子のせいで制限されて量が決まってる)が喉を通らなかった。
どんなに頑張っても、銀子は私のことを忘れてしまう気がした。
今ですら、食べ物でいうところのパセリでしかない私の立場は、存在意義があまりない(私はパセリが食べられない)のに、こんなんじゃ余計に銀子に忘れられるじゃないか………。

私はクラスを分けた大人を恨んだ。
せめて同じクラスなら、どうにかなっただろうに。どうして私たちの仲を引き裂くのだろう? 私に彼女は勿体ないからか? 分不相応だからか?
……まあ本当に恨むべきは、三年経っても立派に友達になることもできない、自分の性格なのだが。

(そりゃ総子に、友達いませんもんね〜とか言われるわけだ)




しかし一番の大きな出来事───大事件の発端は、始業式のあとの担任発表だった。

うちの高校は有名な私立であるため、先生の入れ替わりが激しい。理事長が良いと思った教師は採用され、逆に結果を残せなかった先生は2年で辞めさせられる。
生徒ですらそのことを知っているということは、教師はその制度を勿論知っているということだ。そのためか教師たちのモチベーションは高く、エリートが多い風潮があった。いつもスーツをきちっと着て出勤し、その姿を見て私は嫌な気がしなかった。
去年までの担任の桂も、変わっているわりにキチッとしたところがあって、割りと私は好きだった。

しかし今年赴任してきた私の担任という男は、どう考えても浮いていた。
馬鹿広い体育館が静まり返るような服装と態度で、生徒たちの興味を一手に引き受けていた。

「三年A組の担任になりましたぁ、坂田銀八でーす。あー銀八せんせーとかやった方がいい感じ? ま、適当で。……三度の飯より甘いものが好きでーす。そこんとこよろしく。以上」

ふざけているのかと問いたくなる便所スリッパがぺたぺたと音を立て、担任らしい男は背中を丸めて席に戻っていった。
教壇から男が消えた瞬間、周囲はざわめく。

「もしかして坂田さんのお兄さん…?」
「だ、だよね? 髪の色も同じだし」
「とりま、だるそーにしてた? ふり?」
「ヤバイヤバイ! めっちゃヤバイかも……!」
「土方さんなにか知ってる?」

言いたいことは、私もわかる。でも、私は拳を握りしめるのに精一杯で何も言えなかった。
いや、元から何も言えなかった。
だって、“お兄さんがここの先生になるだなんて”知らなかったのだから。

(どうして教えてくれなかったんだ……)

その言葉が頭をぐるぐる回る。
もしかしたら銀子も知らなかったのかもしれない、昨日は彼氏さん?のところにいたみたいだし──本当に……?
守秘義務とかで当日までは家族でも教えてもらってなかったとか……でも、先生とすら私は聞いてなかった。
なんでこんな大切なことを、今まで教えてくれなかったのだろうか。おかげで私は今、非常に困っている。だって周囲は、私が銀子と仲が良いと思ってたずねてくるのだ。

「銀子ちゃんのお兄さんかっこいいね、何歳?」
「──しらねぇ」
「え、土方さんでも知らなかったの?」
「っっ……ああ」
「へー。……大したことないんだ」
「っ、!」

私は腸が煮えくり返りそうになった。いや実際、煮えくり返っていただろう。お腹の部分が熱くなるぐらいグッと力を入れていたから。
周囲は私が知らないとわかるとくすっと笑って、その後。聞かなくなった。
四方で勝手に盛り上がるだけ。華の高校生は恋愛に飢えている。特に年上の男性ともなるとなおさらだ。さらに、気だるそうな男の雰囲気に憧れる年頃だ。坂田という先生がモテないわけがなかった。
まあ女が女にキャーキャー言ってる中学時代に比べたら、いたって人間らしくて、私は気にならなかったのだけれど。

それより銀子だ。
いつになったらくるんだろう?
今日はこのあとクラスで話を聞いて、そのまま下校の流れだ。もうあまり時間はない。
もしかしたら今日は欠席なのだろうか?
教室に戻った私は、席についてすぐに携帯を開いた。通知は何もない。

(銀子……)

早く安心したかった。隣のクラスで友だちができても、私もいれてもらえるという安心が……確証がほしい。
そうじゃないと塞ぎこんでしまう。
私は焦っていた。目は忙しなく窓のそとをチラチラと見てしまうし、足を貧乏揺すりさせていた。窓に一番近い列になれて良かったと思いながら校庭を見ていると、スカートを暴力的なまでに短くした銀色の姿が見えた。

(銀子!)

私は思わず机に手をついて立ち上がろうとする。その瞬間、チャイムがなった。

「ぁ、」
「席につけよー」

担任となる男が入ってきた。
さっき窓の外で見かけたおしゃれな女の子とお揃いの髪を無造作にはねさせて、坂田先生は教壇にたどり着いていた。
私は慌てて外を見ると、もうすでに誰もいなくなっていた。

(放課後にしよう……)

肩を落として、私は椅子に座り直した。
大丈夫まだ誰も銀子とは話してないはずだと。だって今から先生の話だ。雑談する時間なんて今日は、帰りしかないのだから。

(明日からはどうしよう……)

明日から午前授業が始まる。
半日とはいえ銀子が誰かと過ごす可能性は格段に、増える。
普通の友だち同士なら、別々のクラスになったとき、一体どうやって仲を続けていくのだろう?
私は今まで、近藤さんや総子のように家族のような存在しかできたことがないため、それ以外がわからない。


放課後になり鞄をもって隣のクラスへ行こうとした。
入り口付近では先生が女子たちに捕まり、「彼女いるんですか〜?」とちやほやされていた。
これじゃ出られない──。
早く銀子のところに向かいたいのに、とまた苛立った。

「邪魔です」
思わず私は、先生に向かって本音を言ってしまった。

今までどの先生の前でも優等生で通っていた私が、だ。
目先のことばかり考えて、周囲が見えてなかった。
すると辺りが一気にしーんとなる。
今まで各々に楽しそうに話していたのが嘘のように。
私はそんなのどうでもよくて、何がなんでも早くこの部屋から出たかった。
ふと先生と目が合う。銀子と同じ真っ赤な宝石のような目だ。それが見開かれている。
私は銀子のことを思い出して息が詰まりかけた。早く会いたかった。
もう一度、口を開く。
「あの」
そのとき先生が目に蓋をするように瞼を半分閉じた。まるで初めて会った頃の彼女の表情だ。

「──先生にその口はなんだぁ」
「……ごめんなさい」
「次から気を付けろよ」

高圧的な言い方で苛っとしたが、話を終わらせたくてとりあえず「はい」と言った。
私は懲りてない。エラそうな男は嫌いだ。なんだか嫌な奴。
もうこうなったら人の間を縫って外に出よう、と入り口を見た瞬間。ガラリと開いた。
「──お兄ちゃん」
銀子だ。
私は思わず声をかけようと身を乗り出すが、周囲の女子の影で届かない。強引に掻き分けてドアのところにいる銀子のところに行こう、とした。
そのとき。
先生がドアの向こうに歩き出してしまった。
「ちょ、」
慌てて声をかける。二人で話をするだなんて想像してなかった。

しかし銀子に届く前に、クラスメートが、

「二人揃うとやっぱりオーラがすごいよね!」
「わかるぅ〜〜入り込めない? 的な?」
「兄妹だもんねぇ!」
「私だったらそんな常識ないことできなーい」

と手を叩いてはしゃいでいた。


そこで私は気づいた。

(その通りじゃねぇか──私は今、なにしようとした?)

ドアの向こうに消えた二人の影を思い出して、足がすくんだ。
私はいち友達ではあるが、家族ではない。少なくとも剣道のメンバーの方がよっぽどそれらしい。隠し事なんて小さい頃からあってもないものだった。
それなのに何を焦って割って入ろうとしたのだろう。

(話が終わるのを待っておこう……)

私は鞄をもって図書室へ向かった。SNSで『図書室で待ってる』と送ったが、いつ既読がつくかわからない。そのために勉強をしようと思った。
私は勉強するのも好きな方だ。出来るかは別として。数学や理科は好きなので理系向きなのかもしれない。だが銀子が国語が得意なのもあって、私は一緒に文系に進んだ。
文系は3クラスしかない。だからこそ同じクラスになりやすかった、はずなのに……。

(銀子、遅いな)

時計を見ればもう2時だ。
教室を出たのが11時だったから、かれこれ三時間は勉強していたことになる。これはいくらなんでも、遅い。そんなに大切な話なら家でするだろうし……。
私は嫌な予感がして携帯を見てみる。既読はついていなかった。
もう一度、『どこにいるんだ?』と一応送ってみる。いつ見てもらえるかはわからないが。

(もしかしたら、もう帰ってる……?)

私は鞄に荷物を詰め込んだ。

(そんで彼氏に会いに行ってる?)

焦る気持ちを抑えて椅子を机にいれた。さっきのように慌てておかしいことをしないように、自分に言い聞かせた。
職員室の前を通りドアの上窓をちらりと見る。目立つ銀髪が揺れていた。
(やっぱり話は終わってるよな……てことは)
教室についた。窓から中を見て、探し人を探すけれど見つからない。
やはり帰ってしまったようだ。
私のことを放って。

「──かえろ」

きっと彼氏と前から約束してたんだろう。
きっとそうだ。じゃなかったら私の連絡を銀子が無視するわけがない。
それか電源が切れてしまったのかもしれない。彼女はよく携帯を放置するから充電が切れやすい。おっちょこちょいなのだ。
だから大丈夫。きっと。明日になればまた一緒に帰れるから。

頭のなかでは、“おかしい”、“置いてかれた”、“もう無理かも”という台詞が何度も回るが、考えないようにした。考えても良い未来は、なにも見えなかったから。


「あっつ……」

外に出ると春の陽気が眩しい。
もうこの時期に長袖の肌着は、しんどかったな。それも4日前に銀子が、私の首筋に噛み痕をつけたせいだ。嫌だというのに面白がってつけてきた。
彼氏ともあんなテンションなんだろうか?
いつもよりすこし気分の良さそうな、乗り気な銀子。とても妖艶で美しかった。笑うと眉が下がるのが色っぽい。

(銀子……)

明日は会いたい。

会ってそして、
「寂しかったとかトシ子にもあるんだぁ〜!」
と人の気も知らずに笑い飛ばしてほしかった。










そんな望みとは裏腹に、SNSの返信が来たのは朝の事だった。

『ごっめーん!盛り上がってて携帯見てなかった』

朝から頭が痛いテンション。
……やっぱりか。
考えた通りになってホッとした。他に友だちが出来て帰ったんじゃなかった。

『今日は帰り、』
そこまで打って、ハッと気づく。
これじゃまるで、銀子の周囲にいるつきまっている子達と同じだ。今までこんな甘えたことなんて言ったことがない。いつも誘うのは銀子の方だった。
慌てて、メッセージを消去する。
そしてすこし考えて送った。

『なら良かった。今日は遅刻するなよ』

これでいい。一緒に帰れるかどうかなんて銀子の気分次第だし、なにより、向こうで仲の良い子ができたら私は気まずい。
帰る前に急いで彼女のところにいって、“ちょうど今終わったから来た”みたいにすればいい。そしたら気が向いたら、一緒に帰ってくれるはず。

考え事をしていたらマヨネーズを食べ忘れた。……これは相当珍しいことだ。

私はモヤモヤする胸を無視して玄関を出た。
みんな働きに行っているため、私が最後だった。
「──行ってきます」
静かな空間にその言葉は異質だった。
別に言わなくても良いが、礼儀として毎日言うことにしていた。




午前は国語と数学、そして保健と総合だ。
実は担任は保健体育の教師である。そのため実質2時間はこの、坂田という先生が入る。昨日の今日であるため、私としては『銀子をとられた』相手だと感じて気分が良くない。
あれがなければ……と考えなくもないのだから。

「初っぱなだけど教科書開け〜。えー先生の授業はエロエロだから寝る暇ねぇと思うから覚悟しとけー」
「…………」

クラスはどっと笑う。
多感なお年頃にはもってこいの脳みそなのかもしれない。つまり同レベル。私が嫌いな下ネタをいう男だ。
眉間に皺が寄るのを感じる。
私は何となく周囲を見ると、何人か同じように困った顔をしていたことに気づく。今まで銀子ばかり追っていて他の生徒を意識した記憶があまりない。しかしこう見ると、去年一緒だった子も割りといるらしい。
そのなかの数人が、先生の下ネタに困惑していた。

──嫌がっている。

自分が苛々するだけならまだしも、他の子まで迷惑を被っているのだ。こんなのパワハラでしかない。
私は咄嗟に手をあげていた。
するとボーッと前を向いていた先生は「あ?」といって気づき、面倒というように当ててきた。

「なんだぁ〜俺にアピール? そういうの困るんですけどぉ」
「っ、……違います。早く授業始めてください」

怒りが湧いてきて思わず“ちげーよ!”と言いたくなったが、昨日のことを活かして私はグッと堪えた。
それを聞いた先生は、
「ふーん」
と言って欠伸をした。……何て自由な奴だ。イライラする。

その調子のまま保健の授業は過ぎたが、そのあと先生が過激な下ネタをいうことはなかった。割りとアウトなことは言っていたが、それでも直接的には問題ないレベルの、教科書に沿った内容だった。
やればできるんじゃないか……。
私はなんとも言えない気持ちになる。こういう適当な大人は、どうしても適当でしかできないと思っていたから。まさかコロッと変わると思っていなかった。

(本当は良い先生なのかもな)

一時間が終わり、総合の時間に決め事を決めていくうちに、私はそう思ってきていた。ちなみに私は三年連続、風紀委員だ。そろそろ委員長に任命される気もする。別に任されたならやってもいい、仕事は好きだった。
あとは授業の準備係の割り振りを決めればいい、というところになった。しかしそこからが問題だった。
あまりにも坂田先生の保健体育の希望者が多いのだ。一人しか必要ないのに、その希望者が十人。
他の準備も決める必要があるのに、これはじゃんけんして決めても時間がかかりそうだ。
そのため、学級委員長に就任した生徒に促され、みんなで『くじびき』をすることなった。

「じゃあ紙を引きましたらすぐ、書記に見せてください」

白紙は18枚あるらしい。つまりクラスの半数が白紙。
私は風紀委員になっていたこともあり、他に仕事が増えるのもな……と考えていた。白紙だった方が望ましい。これ以上余計なことをしたくなかった。
まあそれでも、決まったからにはするが。
できることなら去年担任だった桂先生の国語が良い。何となくその程度には思っていた。


しかし私は忘れていた。

昨日から私は、ついていなかったことを。








教材を運ぶために資料室までついてこいと言われ、永遠に続くとさえ思われる廊下をとぼとぼと歩く私は、厄年かと思った。
なかばドナドナされている気分だ。

(今日も銀子と帰られなさそう……)

携帯を見てないのでSNSに連絡が来ているかはわからないが、とりあえず、みんなよりも帰るのが遅くなるのは確実だった。

(──それもこれも全部、この天パのせいだ)

前をのそのそ歩く猫背の先生を見て、私は内心ボロクソに言っていた。
いくら銀子と兄妹とはいえ、私にとって銀子は銀子しかいない。よって、この先生を好む理由がなかった。

校舎棟の1階の一番端にある狭い資料室についた。ここは入ったことのないところだ。どうやら、去年まで本当に物置だったのをこの先生が引き受けたらしい。
どうりで埃っぽい部屋なわけだ。私はドアの隣に立ち、口を押さえながら先生の動きを見ていた。

「んじゃ、これ。プリント運びよろしく〜」
「──先生はどうするんですか?」
「俺?ここで寝る」
「は?」

思わず聞き返してしまった。
おいこら、この教師とんでもないこと言ったぞ。どうして生徒だけに頼んどいて自分は休めるのだろうか。意味がわからない。

「この量を私だけで、ですか?」
「ンだよ……行けるだろ」
「いや逆に行けるなら、先生がいけば良いじゃないですか」
「そんな面倒な……暇じゃねぇの、せんせーは!」
「いま面倒って言ったよね!? というか暇じゃないなら仕事しろよ、寝てる暇ねぇだろ!!」
「先生の仕事は、一に睡眠、二に甘味、三四にケーキ、五に甘味だ」
「それほとんど甘いもん食ってるだけじゃねぇか!! とんだ、いんちき教師だな!?」
「あーそれ言っちゃう?」

かろうじて歩けそうなところを通ってローテーブルのところに行けば、山積みになったプリントと遭遇する。これをこの先生は一人で運べというのだ。
ふざけるなよ、いくら私が力の強い方だとはいえこの量は馬鹿げている。というか馬鹿だ。
抗議してやろうと先生の方を見れば、彼はすでにローテーブル横のソファーに寝転がっていた。腕を後頭部に回して、寝る準備万端だ。

「……このやろー」

私は小さく呟いた。
よくもまあこんな埃っぽい部屋で寝れるもんだ。閉じたカーテンの隙間から差し込む太陽の光によって、舞い上がっている埃がキラキラと光っていた。

あきらめてしゃがみこみ、プリントの山をひとつ持ち上げようとした。すると腰の部分をコツンと何かがあたった。
「……なんですか?」
先生の足だった。便所スリッパのようなものは丁寧にソファーの傍に脱いであったので、先生の靴下が私の腰をつついていた。セクハラで訴えるぞ馬鹿。

「銀子とはどーよ」
「っ、は?」

何を聞かれているんだと思った。しかし、もしかしたら銀子が私のことを家族に言ってくれてるのかもしれないとすこし期待する。
まさか、アンタのせいで会えてないとは言えない。先生相手ということもあるが、そんな淡白な付き合いだと思われるのが癪だった。
だから私は意地を張った。

「別に」
「ふーん。まあいいけど」
「……なんですか」
「あんま無理すんなよ」
「ッッ、!」

誰のせいでこうなってると思ってるんだ!

思わず私は叫びそうになった。言いたかった。全身全霊心を込めて、泣きたいぐらいだった。
でもできなかった。私のプライドが邪魔をした。そして、先生がどこまで知っているのか──すこし怖くなった。

(まさか家で裸になってること……知らないよ、な)

それが一番気になった。
これは確実に自分が悪いのだけれど、知られたら親を呼ばれて面談させられる事態になる。それだけは嫌だった。
変なことを言ってこの先生に察されるわけにいかない。……私は無言になる、言わぬが花とはそういうことだ。

先生はそれ以上なにも言わない。
とりあえずはそのことにホッとする。でもこれからのことを考えると頭が痛かった。
先生のいうとおり、銀子とすこし距離が離れている気がするし……物理的にそうなのだから、しょうがないのだけど。もしも私が一人になってしまったら、前のように生きていけるだろうか?
それが心配だった。もう近い間、一人で行動したことがあまりない。人は一度生易しい世界を知ると、ダメになりやすいのだと実感した。

やはり私はもっと気を引き閉めておかないと……。
目の前のプリントを眺めながらそう考えていると、ふと頭に重みを感じた。

「……ん?」
「だから無理すんなって」

そう言って頭を撫でられた。
振り向けば、先生は寝転んだまま腕を私に伸ばしていた。

――私は男があまり得意じゃない。だからこそ中学は女子中を選んだし、こうして高校でも出来るだけ関わってこなかった。
まあその女子中でいろいろ宇宙人について考えさせられたし、結果良かったのだかどうだかわからないけど。
それでも私はそこで、銀子に会えた。それは胸を張って良い出来事だったといえる。

(ちなみに総子はなぜか、失敗だったとか抜かす。彼女は昔からよくわからない)

とどのつまり私は男と関わらずに生きてきたのだ。話したことはすこしだけあるが、それも小学生の頃だ。桂先生や松平先生は男だが、私のことを女扱いではなく『土方トシ子』として扱ってくれた。
男勝りな女。それが私だ。女々しく悩むなんて本当は嫌いで、黒白はっきりとつけたがる。虐めなんかもっての他だった。

でも最近は銀子のことで、自分でも引くぐらいなよなよしていたようだ。



坂田先生に頭を撫でられ、混乱していた脳内はリセットされたようにクリアーになった。頭の知恵熱がとれていくようだ。
落ち着いていく脳内に、私はなにも言わないままされるがまま頭を撫でられていた。

「しっかりしろよ」
「…………はい」

頭をポンポンとされて手を離された。その振動でまた、動き出せそうな気がした。
嫌だったはずの男からの接触に、自分でも驚くほど嫌悪感がしなかった。……なぜだろうか?
匂いのせいかもしれない。お菓子が好きと公言するだけあって、この部屋も先生も甘い香りがする。これはクッキーの匂いだろうか。バニラエッセンスのあまったるいかんじがする。
そう言えば銀子も甘いものが好きで、家に行くと必ずお菓子を出してくれていた。

だからかもしれない。
二人は外見だけじゃなく………違うところも似ている。そのおかげで私は、先生が触ったのを受け入れられたのだろう。

「……先生」
「ん、」
「ありがとうございます」
「んー」

もう背中をこちらに向けて本格的に寝ようとし始めた先生。その耳に向かってすこし近づき、お礼を告げた。もう眠たいのか先生は緩慢に手をあげて、ヒラヒラさせるだけだった。
その姿は銀子とは違う。どんなに疲れていても銀子は、私がお礼を言ったときは目を合わせてくれ──そしてすこし目を細めて笑うのだ。
『真面目ちゃんなんだからぁ』
と揶揄しながら。


教室に戻るともうすでに誰もいなかった。今日から部活が始まるので、当たり前といえば当たり前だ。
私は外部の剣道に入っているので、ここではなにもしていない。銀子も帰宅部なので入っていなかった。
鞄をもった私はなんとなく隣の教室をのぞくが、そこにも誰もいない。……今日も会えなかった。私は肩を落として帰ろうとした。
そのときふと、『無理すんなって』という言葉が蘇った。

(まあそうだ……二日ぐらい、どうってことない。中学の時は一週間に一回ぐらいだったし)

私は自分に言い聞かせた。
まさかそれが本当に一週間続くとは知らずに。











銀子と直接話すことがなくなった。

いや、すれ違い様に挨拶程度のことはする。さっきも、

「今から数学〜?」
「ああ」
「マジだるいやつだ、がんばー」
と話した。
でも一緒にご飯を食べたり帰ったり、そんなことは出来ていない。もしかしてもうすでに友だちが出来たのかもしれない。
私は気が気じゃなくて、移動教室の度に隣の教室を覗く。すると席で、ひとりで、寝ている銀子が見えるのだ。
私は酷い話、心底ホッとした。まだ彼女には次の“特別な”友だちが出来ていないらしい。

(私にもまだ希望はある……)

そう言い聞かせた。
依然としてマヨネーズは喉を通ってくれなかった。


その矢先だ。はじめて勇気を出して「一緒に帰ろう」と誘ってみた。もうこのまま偶然を待っていてもチャンスはおとずれないと思ったからだ。
銀子は、ことのほかあっさり快諾してくれた。
私は天にものぼる思いだった。

「じゃ、帰りは待っててね〜迎えに行くからハニーv」
「っは、はにー!? ばっかじゃねぇの!!」
「照れてんの〜かわゆー! 冗談だってばぁ〜もうほんと、真面目ちゃんなんだからぁ!」
「か、揶揄かうのもいい加減にしろって……」
「んーふふ」

良かった、銀子は上機嫌なようだ。
もしかしたら『え、仲良しこよしとかきーもーいww 一人で帰れってww』と笑われるかもと予想していただけに、このテンションはありがたい。
あとは帰るときの話題だ。その時に気を付けないといけないのは、この一週間何していたかたずねないことだ。なんか女女しいし、銀子は察しがものすごく良い。一週間離れていただけなのに落ち込んでいたなんで知られたら、最悪気味悪がられる。それだけはダメだ。なんとかバレないようにしないと……。
考えているうちに頭がガンガンと痛んでいく。なんだか胸の奥もモヤモヤとし、少し気分が悪いような気がした。もしかしたら風邪気味かもしれない……銀子に移ったら大変だ。明日からはマスクも常備した方が良さそうだ。

帰る時の注意点を色々と書きだしているうちに授業はすべて終了し、気づけば下校時刻になっていた。私にとってみればここからが本番だ。
鞄に教科書を詰めこみながら、もう一度メモを見直した。

(――ばっちりだ。まず聞き手に回ることは忘れずに…余計なことは言わない)

何度もペンで囲った一番重要事項を頭で繰り返す。
よし、これでいってみよう。


今日は担任が休みだったために授業のあと、すぐに帰られることになった。
隣のクラスよりはこちらの方が終わりが早いだろうと思い、隣の教室に向かおうとしたとき。
ドアが開いた。
帰宅準備に追われていたクラスがざわめく。

「とーしーこーちゃーーん。かーえろ?」
「……ぉ、おう」

久しぶり過ぎて声が小さくなった。周囲の視線が痛い。
おそらくみんな、
(どうして土方が坂田さんと帰れるんだ)
と思っていることだろう。
……ざまあみろ。みんなの注目の的は、私のことも気にしてくれるんだ。どうだ羨ましいだろ。
私は内心、この場で“友達”を断られるんじゃないかとハラハラしていたが、そんなこと、おくびにも出さなかった。

早足で銀子の元に向かう。
はやく、誰かに銀子が取られる前に、私以外が彼女の魅力に気づいてしまう前に。


そう、焦っていた。



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