銀土*銀魂 | ナノ


▽ 少女はスカートのしたで鯨を游がせる。


 


蜩が鳴く黄昏がやってきて、先輩に「ここまで」とストップをかけられる。
大粒の汗が首を伝って落ちていく。肌が粟立つような不快感。額の汗を腕でよく拭っていると、そのうち汗が引いてきた。
私が水筒とラケットケースを担ぎ上げたとき、三年生の先輩が思い出したように、

「土方さん、あとで来て」

と呼んだことが私の気を重くした。







「ひじかたさん」

女子というものはつくづくマウンティングを取りたがるものなのだろう。
この中学校の先輩はその野生がとくに強いようで、時折こうして後輩を呼び出しては、
「誰か影グチいってなかった?」
と尋問するのだった。
そのたびに私は、
「別に。私そういうグループ入ってないので」
と嫌味を含めて返すのだ。すると先輩も私の馬鹿加減に呆れるのか、解放してくれる。先輩からすれば後輩の誰に聞いたって同じなんだ。情報が手に入りさえすれば。
それならば私より、隣のクラスの総子の方がよっぽど情報通だと思うのに。


「私は、そういうのは……」

生真面目そうな先輩の雰囲気が苦手で、視線が泳ぐ。
思わず視線を自分の爪に落した。直視できないと判断したからだ。爪の間には泥が入っていた。
そういえば今日の先輩たちのボールはよく飛んでいた。飛びすぎてフェンスを越えて、隣の草むらにダイブしていたし。そこに分け入ってボールを取ってくるのも、後輩である私たちの役目である。おかげさまで腰が痛い。

「だめ?」
「――え?」 なんの話だろう。

惚けて爪の隙間を見つめていたから話を聞いてなかった。

「付き合いましょうって」

――カンカラカン。変なことが起きたんだ。
目の前にいた先輩が宇宙人になってしまった。
私が驚いて宇宙人の目を見ていると、彼女は『なにもおかしなことは無かった』とばかりに見つめ返してくる。
宇宙人である正体がばれたということは、まったく気にしていない模様。

なんてことだ。
この正体に気づいてしまったのは私だけらしい。こんな国家機密レベルの秘密を知ることになろうとは、六時間前にはがつがつとお弁当を貪っていた私に見当つくまい。
おいトシ子、そんな食い意地を張っている場合ではないぞ。
六時間後のお前は大変な事実を告げられているのだ。すこしは大人しくしていろよ。

昼間の自分に呆れて警鐘を鳴らしていると、宇宙人先輩が苛立ったように髪を耳にかき上げながら「付き合ってくださるの?」という。

待ってほしい。
私はまだ宇宙人の重要秘密の片棒を担ぎたくはない。だってまだ驚いてるんだ。
私はまだ13歳だ。ついこの間まで小学生をやっていたのだから、宇宙人なんて聞いたことはあっても見たことは初めてなんだ。
たしかに、入学前に近藤さんたちが騒いでいたのは知ってる。

『あそこの中学はね、女の子ばっかりだから、女の子同士でチューしちゃうんだって』

うそだろ〜なんていって笑い転げてた。だって本当に嘘だと思った。
父さんお母さんは、男と女だろ?そういうもんだろ? 
多忙な親の代わりに保護者になってくれている私のおじさんだって、奥さんがいる。女の人だ。隣の家のお兄ちゃんだって彼女がいる、私は知ってる。彼氏じゃなくて彼女だ。黒髪が綺麗な白い肌の人。

男同士ってそれって変。女同士もなんか、変だ。

だからきっと、そういう人は宇宙人なんだと思う。同じ見た目をした宇宙人。
からだのつくりは保健で習った。私はちゃんと、男女でからだの作りが違うことを知っている。なのに、女の私の前にわざと女の子の姿で現れたこの先輩は、宇宙人そのものだ。きっとそうに違いない。
じゃないと女の子が女の子を好きになるのって、変だ。



私はその気持ちをそのまま、先輩に伝えた。

先輩は泣いていた。大粒の涙を目尻に落としながら、両手で必死に見せまいとしている。
なんでか分からないけれど私の胸はズキズキした。……また大きくなるんだろうか? 私の胸はこの歳にしては少し発育が良いとよくいわれる。手で持てる程度にあるのだ。

(これ以上大きくなると運動しにくいな……)

そう思いながら私は、先輩の目の前で胸を押さえた。

どうして先輩は泣いているのだろう。
宇宙人は大変気難しい生物なんだ、と思った。








長い話をしていたため、私の持っていたコートの杙が最後の道具になってしまったようだ。あとはこの杙を体育館の倉庫の入り口に立てかけてその鍵を閉めれば、私も更衣室に行ける。
体育館か……なんか嫌な響きだ。
外で部活するばかりのテニス部は、体育館に入るなんてことそうそうない。それこそ体育の授業ぐらい。
じゃあ何が嫌って、あの暗いのがダメだ。というか無理。ホラー話を連想させるところがとっても嫌だ。まずどうして体育館の光って、非常口の蒼白い光だけなんだろう。あんなんじゃ余計に人が逃げにくいと思う。少なくとも私は逃げられない。腰抜かすわ。

まだバレー部は練習しているだろうか?
体育館の横窓から中を覗いてみる……サイアクだ。サイアクの極みだ。電気が消えてる。

だってまだ杙を返してないのよ?
お分かりいただける?

「あ〜もう!」

早く返せばいいってことだろうな。そりゃそうだ。返さないと帰れない。鍵を持ち帰るなんてすれば、先輩じゃなくて先生に呼び出しされる。それはイヤだ。必要以上に職員室に行きたくない。

―――いざ、ゆかん。

呟きながら体育館の横ドアを横に引く。ごお、ごおっと錆びたドアの重い音がして動き始める。
よかった、まだ開いていたようだ。
ここまで閉まっていたら面倒なことになっただろう。
「失礼しまぁす……」
と意味もなく呟きながら倉庫に向かう。

ガラガラガラ。倉庫のドアも体育館の横ドアと同じように、勢いよく横に引く。
はやく帰ろう。
そういえば家にプリンを置きっぱなしだった。
マヨネーズプリン……あれは私がコンビニで見つけた期間限定のものだ。厳選された卵から作られたマヨネーズを使用しており、マヨネーズ好きには堪らない一品だと容器に書いてあった。
おじさんに食べられる前に食べねば。
(そういえば今日、はやく帰るって言ってなかったか?)
それは困る。ひじょーに困る。だってあの人、食い意地が張っているのだ。

(はやく用事を済ませねえと!)

駆け足気味に倉庫のなかに踏み出したところで、私は「え?」と声が出る。



女の子がいた。それも蒼白い子。
ふわふわした髪の毛を布団代わりにして、倉庫の外窓から差し込む月の光を浴びて眠っている。
透き通りそうなほど綺麗な銀色の髪は、星をちりばめたようにキラキラと輝いて見えた。

見ちゃいけないものかと思って、私は一瞬たじろぐ。
でも何秒経ってもその子は微動だにしない。
あと一秒、二秒……止まってから誰も周囲にいないことを確認して倉庫に入ってみる。

近くで見るとその子が幽霊じゃないことぐらいすぐ分かる。よく見れば制服を着てるし足もちゃんとある。そりゃそうだ。頭元に、学校指定のカバンが転がってるじゃないか。
どこの世界に、死んでも勉強したがる幽霊がいる。私ならまっぴらごめんだ。

ということはこの子は人間ということになるが、横たわってるっというのは、体調が悪いのだろうか? と女の子の顔を見る。
ずっと見ていればその顔のつくりがよく分かってくる。
なんというか、言葉が思いつかないけど、綺麗な顔をしていると思う。私と違って鼻筋が通っていてお人形みたいだし、あごもしゅっとしていて、全体的に陶器でできた作品のように整っている。
髪を染める生徒が少ないこの学校でその髪の色は浮くかもしれないが、そのままでいてほしい形が完成されていた。
この子には銀髪がよく似合っている。

「―――み す ぎ」
「へ?」

人形が動いた。驚いて固まる。

「見すぎ」

繰り返し告げられる。言葉遊びをしているのかと勘違いしてしまう。
この子の口の動きは緩慢で、一文字ずつゆっくりと、確実に降らせてくるから。

最初私は、人形の女の子が自分の苗字をいっているのかと思った。あまりにはっきりと文字を告げるから。
けれどそうじゃなくて、それが忠告だと気づいてからは、申し訳なさが勝ってくる。
「す、すみません」
年上かどうか分からず、とりあえず敬語で謝る。
すると女の子は重々しく片目を開いてから、それに合わせてもう片方の瞼を開いて言う。

「同じ学年なのに、どうして敬語」

女の子の目は眠たげだった。その枠の中に、キラリとした小さな宝石がはめられている。よく私を映す宝石だ。それが女の子の瞬きに合わせてよく輝く。
とても綺麗な宝石だ。光り物に興味がない私でも、そう思う。
見惚れていると、女の子は宝石を隠せんぼうしはじめた。「ぁ……」
思わず私は声が出る。勿体ない。
咄嗟に手に持っていた杙を落としてしまう。
――かんからんっ。乾いた音が響いていく。

どうしようかと私が慌てていると、女の子に話しかけられた。

「質問してるんだけどぉ」
「あ、ごめ……」
「だからどーして敬語?」
「え? 同い年?」
「体操服の色が私のタイと一緒だから。目ぇ見えてる?」

タイと言われて女の子の首元を見ると、そこによく見かける赤いタイがかかっていることに気づく。
たしかにこの子は私と同い年だということはすぐにわかることだった。
でもそれにしたって、不親切だと思う。
意味ありげに台詞を遅らせたり、瞬きをしてみせたりして。そんなんじゃ何か特別な存在じゃないかとこの子を特別視してしまうのは、仕方のないことだろうに。
それを『アンタって馬鹿なの?』というような声色で、
「ちゃんと見たら?」
と忠告してくるのだ。

これにはいくら温厚な私といえど、カチーンとくる。
(裏で、鬼のような女、と言われているとは知らない土方だ)

語尾を強めて、私は言ってやる。

「……なんだそれ」
「なぁに?」
「ちょっと気づかなかっただけだろ」
「ふーん。もっとさぁ相手のこと見た方がいいよぉ?」
「――お前、友達とかできないタイプだろ? そんな相手のことを考えないようなヒドイこと言ってると、みんな逃げていっちまうぞ?」
「アンタのその大きなお世話とおんなじ」
「……ふーん」

なんて嫌味な奴!
いちいち私の神経を逆なでするようなことを言う。よくもまあ、そんなに、相手を苛立たせる台詞が次から次へと出るものだ。
かえって感心してしまう。いやウソだ、むかつくだけ。こんな奴にいくら言ったって無駄だ。
もう二度と話しかけないでおいてやろう。
鼻息を荒くして、私は心に決めた。

ピーピー
ピーピー

「あ、やば」

校門のある方角から笛の音がする。
閉門を告げる合図だ。
どうしよう! まだ体操服のままで着替えすらしてない! 持ち物は全部部室だし……嗚呼、もう、

「サイアク!!」

彼女に話しかけたのが絶対に間違えだった!



こうして中学一年生の秋は過ぎていった。
いつの間にか彼女に会ったことも忘れて。








 女はスカートのしたで鯨を游がせる。





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