YWPD | ナノ


▽ B


 




このアルバイトというのも時給がアップするよ、と言われたからはじめただけのこと。単純に考えて、時給1000円のところが1700円にアップするなら誰だって承諾すると思う。

人から言われて気づいたが、おれは声が聞きとりやすくて綺麗らしい。純粋な意味での綺麗じゃなくて、聞いてる人の心が澄んでくるような綺麗さだと。うん、よく分かんないけど褒められたことは良い気分になる。
そんなわけでアルバイト先の店長に、
「新しく始めるラジオ番組があるんだが、出演してみないか?」
とスカウトされたのだから喜ばしいことだ。

もともと大学近くのSOHOKUで二年以上アルバイトしていたおれは、欲しいものが多くてアルバイトを掛け持ちすることを予定していた。
それが、店内だけで流すラジオのパーソナリティをするだけで平日のアルバイト代を全部上げてもらえると来たのだから、これはしめたと思った。
もちろんリクエストされた曲を流すだけだと当時は思っていたから、そんな安請け合いをしてしまったのだが、今となってはそれも良い思い出だ。








ブースから出て通路の右側に小さなテーブルがある。
そこに入ったときにはなかったバスケットが置かれてあって、その傍にはリンゴ型のメモスタンドが立っている。
メモには、
“風邪の流行る時期なので、ノドを大切にしてください!”
との文字が。となりに描かれた歪なキャラは、彼の好きなあれだろうか?
小野田らしい優しい気遣いだと思い、胸の辺りが温かくなった。

バスケットから一つ飴を貰おうと探っていると、ふと背中を叩かれた。

「今日もいい感じだったショ」
「巻島さん、お疲れ様です」
「最近オマエ宛に便りが届くようになったって小野田が喜んでたショ。たく、自分のことは棚に上げて、どこまでお人好しなんだか」
「でも巻島さんも大概ですけどね?」
「はァ!?」

素っ頓狂な声を上げて後退りをする巻島さんは、俺のどこがお人好しなんだ? と言いそうな顔をしていた。この人の場合、心の底からそう思ってそうだ。
そりゃこの人、見た目の奇抜さから引き気味に接されがちだが、一度懐に入れた人間に対してはめっぽう甘くなる。ボディータッチも嫌がらずにしてくれるし、ねぎらいの言葉も無意識だろうがしてくれる、それに何より差し入れをしてくれる。
緊張の中で声を出さないとならないこのアルバイトでは、喉に良いものをくれる巻島さんは重宝すべきスタッフだ。

足をスタッフルームに向けて動かし、休憩室に入っていく。まだ7時半を過ぎたあたりの時間だ。夕食を食べていない空きっ腹に、いくら慣れ親しんだ丼の匂いとはいえダイレクトに響く。
そういえば、向かいに新しくインド料理店ができたって小野田が話していたことを思い出す。大学生も卒業となれば一人で飲食店に入ることなんて、別に恥ずかしいことでもなくなった。

「今から休憩で外に食べに行ってきます。巻島さんはどうしますか?」
「あ? 俺はいいッショ。ここへも新しいデザインのポスター貼りに来ただけだしな」
「新しいデザインですか? ぜひ見せてください」
「おう。オマエら同じ反応するな、手嶋と小野田。ほらこれショ」
「すっご……って、おれのことも!?」

A3サイズを二枚以上足したようなポスターサイズに、目立つところに店の名前。その周囲には売り出し中の新商品の写真。キャッチフレーズは誰が考えたんだろうか? すくなくとも今泉じゃなさそうだ、アイツに考えさせるとお得感しかアピールしようとしない。
となると、センスの良いこのキャッチフレーズは鳴子か。
商品の下のスペースに書かれた、
“昼下がりの気分クライムをパーソナリティ、ジュンがお手伝い!”
おそらくこのクライムはロードとかけてるのだろう。ロード馬鹿なあいつらしいフレーズだが、なんだ気分のクライムって。上げろってか、気分を、おれがか?
なんて無茶ぶりを……。
苦笑いしながら、テーブルに広げたポスターをまとめて巻島さんの方に返す。販売機でコーヒーを買ってきた巻島さんが「置いといてくれ」と目で促した。

「そういや聞いたぜ」
「へ?」
「オマエ、ここの正社員になるんだってな」
「小野田ですか……」
「まあそんなとこッショ」


おれが通っていた大学はいわゆる私立大学で、名も通ってないようなところだ。教職系だったら本人の実力によるところが大きいからまだしも、おれは数学教員の免許しか取得しておらずどこかしらの学校に就職する気も鼻っから無かった。
そうなると一般企業ということになるが、世の中まだまだ景気が良いとは言い切れない。テレビでその数値がどうだ〜とか言われていたときは、へえとしか思わず聞き流していたが、今になって思えば腰を入れて聞いてなかった地点で負けてたのだろう。
そんなときアルバイト先の店長にまたもや、こんなオーダーを受けた。

「お前が行き場が無くなったら来い。俺たちSOHOKUはお前を待っている」

もはやそんなの、勧誘なんかじゃない。
半ば決定事項のようなカッコよさだった。

そこからトントン拍子に話が進んだ。
聞いたところによると以前勤めていた先輩の田所さんがおれのことを推薦してくれていたそうだ。本当に感謝しかない、できれば一緒にもっと働きたかったが田所さんにも本職がある。実家のお手伝いとはホントに難儀なもんだ。
またおれの採用にはラジオ効果の関係もある、らしい。なんと客の数が驚くほど少なかった時間帯に、目に見えるほど客数が増えたらしい。これは本当に驚きだ。
元からラジオをすることになったのは、客が目立って少ない昼の2時と夜の7時に客を増やすことが目的だった。平日はとくに昼休憩の終了や帰宅ラッシュに重なるその時間、人気が無いのはアルバイト生であるおれでも気づいていた。
だからこそ、なにか企画を始動して目を引こうとしたらしい。まあ結果それが上手くいったのだから、おれとしても鼻が高い。時給も上がって万々歳だったし。

でもそうなると、困ったのが住むところだった。










「で、どこ住むんだ?」
「たーどーこーろーさあああん!! 聞いてくださいよ〜それが、親が、家に帰ってくるなってうるさくて! なんでおれダメなんだよ、いてもいいじゃん働いてるじゃん!!」
「がははイイ感じに酔ってるな!」
「笑わないでください〜!」
「わりーわりぃ」

生ビール一杯目で泣き上戸に変わった手嶋を見て、困った様子もなく漢らしく笑って受け止める彼は田所といって手嶋の先輩である。初めてのアルバイトでへまをやらかして困っていた手嶋を助けてからというもの、二年経った今でも田所は手嶋に慕われて、こうして定期的に飲みに行っていた。
今回はインド料理店に行こうとした手嶋が休業日という貼り紙に阻まれたところを、通りかかった田所に回収されただけだが、まあ万事オッケーということで。

頼んだレバーをもしゃもしゃと噛みながら、手嶋が嗚咽を上げる。

「うえ〜まずいよォ。噛み切れないよォおお」
「なんで頼んじまったんだよ」
「だってえええ鉄分が欲しくてえええ」
「わーったから、落ち着け手嶋」
「田所しゃーーーんん!!」
「落ち着けっての!」

鉄くさいと文句を言い出した手嶋に、とりあえずその串を置けと伝える。ぐすんと言いながら鼻を啜る男は、童顔も相俟って高校生だといわれても納得できそうなほど幼く見えた。その顔のまま泣かれるとどうにもぐつが悪い。

あーそれは大変だな。
とりあえず田所は頷いた。

「ラジオ聞いたけどよ、一応家にはもの全部移したんだろ?」
「ずびっ。……はい、下宿先の契約が二月までだったんで。実家に移したんですけどそこで、とんぼ返り反対を食らいまして……それで、それで……うう」
「だー! 泣くな泣くな、シャキッとしろ!!」
「だってえええ゛え゛」

また唸り始めた。こりゃ今日はずっと泣き上戸を発症するな、と遠い目になった。ジュンこと手嶋純太は酒を飲むと泣き上戸になる、がときどき眠くなってすぐに寝るときがある。それは酒の種類によるものなのか精神的なものによるのか今のところ分かってないが、とりあえず今日は泣き上戸になるらしい。
本当は後者の寝る方にいってほしかったが、この際諦めた方がはやそうだ。

田所は漢気溢れる人間なので、諦めも潔かった。
とにかく今日はとことん話を聞くか。それをつまみに酒を呷るのもいいだろう。通りすがりの店員に塩だれの唐揚げとネギまを三人前ずつ頼み、それから手嶋の方を見た。

「お前はどうしたいんだ、手嶋?」
「……どこでもいい、んで腰を落ち着けたいれす」
「(舌まわってねえな)できれば会社の近くが良いんだろ?」
「まあそりゃ……通勤に二時間はきついし」
「次はたしか本社近くの店に配属になるって言ってたな。じゃあ実家からも遠いんだろ? 親御さんもそこ気にしてるんじゃないのか?」
「でもそれってお門違いですよ! だって住むところないと、困るし、てかあのあたりどこもかしこも家賃高いんですよ!! 都心に近いから!」
「あのあたりって次の店のことか? あーたしかにあそこ学生都市だしな。軒並み大学生用のアパートで占められて、もともと家すら少ねえしな」
「でしょ!?」

そりゃ手も出しにくいわけだ。
というかそこまで知っておいて親御さんの方も家に帰らせないということは、何かしらの魂胆があちらにもあるということだろう。
お互いに引けない理由がある場合、この話し合いは平行線をたどることになる。なんとも難儀な問題だ。自分には手の施しようがないような気もするが、と思いながらもそれでも放り出そうとしないのが、田所が男前と呼ばれる所以だ。

テーブルに置かれた塩だれの唐揚げにレモンをかけながら、ふと田所は手嶋をみて告げる。

「じゃあ、あのあたりに住む知り合いに当たってやるよ」
「ふぇ? 良いんですかたどころしゃん……?」
「おうよ。てかもう生ビール飲むな! 残りは俺が飲んでやるから、それ以上飲んだらオマエ歩けなくなるだろ!!」
「えへへ」
「笑って誤魔化してんじゃねえよ。たく手嶋は」

顔を真っ赤にしてテーブルに突っ伏し気味に笑う手嶋は、本当に二年前から変わっていないと田所は感心する。

SOHOKUのアルバイトを止めてしまえばもう、こうした繋がりは途絶えてしまうとばかり思っていたが、連絡先さえ知っていれば会うことはこんなにも簡単だった。
とはいえ店での手嶋の様子を田所は知らない。手嶋がアルバイト店員のリーダーになったことだって、知ってはいるがその姿は手で数えられるほどしか見たことなくて、巻島や鳴子に聞く分で想像を補っていくしかなかった。
ラジオのパーソナリティに手嶋が選ばれたと知ったとき、適任だとたしかに思った。こいつは声が良い。それに相手にどう聞こえるかよく知っている、頭の回る奴だからだ。
しかしその反面、心配もした。頭が回るからこそ、ラジオで起こる出来事の先を予想してしまい足元を掬われるかもしれないと、不安したからだ。

だが田所のところに届く、収録し終わった音声のCDを聞くかぎりそんな心配は要らぬようだったようだ。最近じゃ小野田に聞くところによると、リスナーからの人気も上々でメッセージが増えてきたそうだ。
始めてまだ半年。
その短い期間にしては上出来だ! と感動した田所が主催の、『手嶋をねぎらう会』を行ったのも、記憶に新しいことだ。

先輩としてはその手嶋の活躍は、胸を張っても足りないぐらい自慢に思うことだった。


「手嶋」
「ふぁい」
「オマエのその諦めない不屈の精神、SOHOKUらしくてカッコいいぜ」
「……えへへ」

照れたように頬を掻いて笑う手嶋は、半ば夢見心地に喜んでは、口をもにゃもにゃさせてテーブルに突っ伏してしまった。


今日はもうおやすみ。
平日だけのパーソナリティは、明日は休みなのだから。




(つづきます。)


prev / next

[ back ]